2020-07-01から1ヶ月間の記事一覧
執権北条氏の四代、五代と進み、更に六代、七代と延々とブログにアップして行く事に、一体何の意味があるのかと、我ながら呆れつつ自問しております。 メインテーマの「式正織部流「茶の湯」の世界」へどう繋げて行くのか、一話一話を地層の様に積み重ねなが…
5代執権 北条時頼 5代執権北条時頼は4代経時の弟です。 ここで一つ押さえておきたい血筋の問題があります。 経時と時頼兄弟の父時氏は3代執権・泰時の長子ですが、庶子です。 泰時の本来の嫡嗣子は朝時(ともとき)です。朝時が不祥事で失脚した為に、庶子の時…
4代執権 北条経時 経時(つねとき)は、3代執権・北条泰時の長男・時氏の嫡嗣子、つまり泰時の嫡孫です。 泰時には3人の男子がおりましたが、執権職は子供を通り越して孫に受け継がれました。 事情はこうです。 泰時の三人の男の子は、不運にも長男は28歳で病…
三代執権・北条泰時 1183年、泰時(やすとき)は義時の側室・阿波の局の子として生まれました。庶子でしたが義時の第一子です。泰時の幼名は金剛、元服して頼時と名乗りますが、後に泰時と改めます。 承久の乱の時、泰時は幕府軍の総大将として、叔父・時房と…
二代執権・北条義時 義時は北条時政の次男で、頼朝の正室・政子の弟です。 嫡嗣子の兄・宗時が石橋山の戦いで討死したので、義時が嫡嗣子に繰り上がりました。彼は父・時政の命ずるままに父の手足となって働きました。 頼朝挙兵の時は勿論の事、義経追討軍を…
初代執権・北条時政 北条時政を語る時、彼の異常な権力欲には嫌悪さえ覚えます。 曽我兄弟事件の戯作者は、恐らく時政ではないかと、婆は邪推しています。 時政は曽我兄弟に仇討を勧め、祐経の居場所を教える代わりに頼朝の暗殺を教唆、そして、仇討の成否に…
1193年に起きた曽我兄弟仇討事件は、曽我祐成(すけなり)と曽我祐致(すけまさ)の兄弟が、「富士の巻狩り」の場で、父の仇・工藤祐経(すけつね)を討ったという実在の事件です。 原因は領地の相続争いです。歌舞伎では曽我兄弟が仇討すると拍手喝采ですが、そう…
1160年、平治の乱が勃発します。 この乱で後白河上皇方についた藤原信頼と源義朝(河内源氏)は負け、二条天皇方の平清盛が勝ちました。負けた信頼は死罪、義朝も殺されました。武門では、勝者は敗者を皆殺しにする習慣がありました。しかし、ここに一つだけ例…