式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

2021-07-01から1ヶ月間の記事一覧

110 桃山文化4 南蛮貿易(1)

日本の種子島にポルトガル人が漂着し、鉄砲がもたらされました。この鉄砲によって日本の戦国時代の戦の仕方が劇的に変わりました。信長は鉄砲入手と彼の新奇趣味により、南蛮貿易に積極的に手を出します。このころ世界は大航海時代。当時の世界情勢を少し見…

109 桃山文化3 障壁画(2)各流派

日本の絵画史上で巨大な鉱脈の様に太く長く続いて来た狩野派ですが、その長い歴史の中にはマンネリ化などで衰退の気配などを見せたりして、結構山や坂がありました。伝統継承が得手の者は継承に力を注ぎ、飛躍を追求する者は受け継がれてきた伝統に革新をも…

108 桃山文化 2 障屏画(1)

日本史の教科書に必ずと言っていい程載っている大政奉還の場面、その時使われたあの部屋は、二条城の大書院です。大書院は、襖・長押(なげし)の上の壁、天井、床の間など全てに絵が描かれており、とても豪華な部屋です。あのような絵を障屏画(しょうへいが o…

107 桃山文化 1 城郭建築

桃山文化の謂(いわ)れ 安土桃山時代と言うのは、1573年(元亀4年)、織田信長が室町幕府を倒してから1603年(慶長8年)、徳川家康が豊臣氏を倒すまでを言います。その間、たったの30年です。 信長が築いた安土城、秀吉が築いた伏見城跡地を桃山と呼んだのに因ん…