式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

16 室礼(しつらい)の歴史(1) 寝殿造

お茶席には、風炉風炉先屏風や棚物などが配置され、床の間に掛物や花生け、或いは香合などが飾られています。これを室礼(しつらい)と言います。

室礼は茶の湯の歴史が始まるずっと前からありました。それは、寺院の荘厳の仕方で有り、寝殿造りの間仕切りの方法だったりしました。

源氏物語絵巻などを見ると、どの絵も天井が取り払われていて、部屋を斜め上から覗き見る様な目線で描かれています。あのような描き方は他の国では見られず、日本独特のものです。が、実は、あれは屋根があっても天井が張られて無い建物だったからです。

寝殿造りは、内側の柱、外側の柱で屋根を支え、雨風を凌ぐ遣戸(やりど)や蔀(しとみ)で外側を囲っているだけの体育館のような建物です。その中を御簾や屏風、几帳や調度品で間仕切りをして住んでおりました。部屋の壁はありませんでした。個室と呼べるものも、塗籠(ぬりごめ)と言う設備一つを除いて、他にはありませんし、居間とか書斎とかいう役割を持った部屋もありませんでした。トイレは「おまる」です。「おまる」を何処かの一区画か廊下の隅に置き、屏風などで目隠しして済ませました。源氏物語の桐壷の更衣が帝の下に通う時、渡殿に汚物が撒かれていた、とありますが、トイレ事情を考えると状況が理解できると思います。汲み取り式では「犯行」が難しいです。おまると言っても馬鹿にできません。漆塗りの螺鈿が施された物だったとか。おまるの始末は下人がしました。

上記の間仕切り具の外に、柱と柱の間に障子を嵌めたり、壁代(かべしろ)と言って幔幕状の布を掛けたりしました。儀式や宴会の時は、それらの間仕切り具を片付けて、大広間にして使っていました。調度類や間仕切り具を使ったこのような部屋の模様を、室礼と言いました。今の私達が、部屋のインテリアを和風にしつらえる、などと普通に使っている言葉と同じ意味です。

清少納言枕草子の『にくきもの』の段に『眠たくて横になって寝るのだけれど、かすかな声で鳴いて顔の周りを飛び回る蚊が憎らしい』とあります。

寝殿造りは開放的で、外気の遮断は完全ではありません。夏は虫が入り放題です。冬は隙間風が入り放題。手元の火鉢に手を翳して暖を取るしかありません。彼等は重ね着をして何とか寒さに耐えました。そういった中で、少しでも居心地が良くなる様に工夫していたのが、室礼です。

そして、室礼の善し悪しが、その家の主人の地位、財力、教養、美的センスの尺度にもなりました。野暮ったい室礼ですと、上司をお招きして詩歌管弦の遊びや歌合せなど、とても出来ませんでした。それは出世にも影響しました。