平安末期から鎌倉時代、更に南北朝時代から室町時代へと時代は推移して行きます。
鎌倉に武家政権が誕生しましたが、わずか3代で源氏の血筋は絶え、代わりに北条氏が執権になります。北条氏は執権政治で武家の頂点に立ちますが、苦難の連続でした。
それは、幕府が全国に守護・地頭を置いて勢力の拡大を図った結果、荘園領主の貴族達と「税」を巡って二重支配の構図になり、争いが頻発したためです。
朝廷側は経済基盤を守ろうと武家勢力の排除に動き、何度も討幕を試みます。
承久の乱(1221年)の後、蒙古軍に1274年と1281年の二度にわたり攻められました。辛勝したものの幕府は体力を奪われ、ついに元弘の乱(1331年)で執権の北条氏は滅亡します。
建武の新政で後醍醐天皇は返り咲きましたが、第一の功労者・足利尊氏によって追われ、吉野に逃れ南朝を開きます。尊氏は光明天皇を擁立し北朝を建てます。北朝と南朝が交代で天皇を出します(両統迭立(りょうとうてつりつ))が、1392年足利義満の代に、北朝に一本化されます。
足利尊氏は京都の室町に幕府を開きます。室町幕府の始まりです。
中国では宋が金に滅ぼされ、宋の亡命政権が南宋を樹立、更に、南宋は元に滅ぼされます。
大陸の動きに合わせる様に、南宋の僧侶や技術者などが日本にやって来る様になりました。大陸から入って来た新しい文化が、鎌倉を大いに活気づけました。鎌倉の建長寺などは、中国語が飛び交う程の賑わいだったそうです。
朝廷や武家の目まぐるしい交替と戦乱、政と武のシャッフル状態の落ち着かない世相。そこには悲惨な生活があったと思われるのに、不思議な事に、マグマの様なエネルギーがふつふつと湧き、そこから新しい文化が幾つも芽生え始めました。
建築 足利義政が銀閣寺を造営し、東求堂に書院造の結実を見ます。
彫刻 平安時代の柔和でふくよかな仏像から、運慶・快慶に見られる武家的な
力強い作風に変わります。祖師像に写実的な優れた像が現れてきます。
絵画 絵巻物が全盛になります。引目鉤鼻の顔が、次第に写実へと変化して行き
ます。肖像画に優れた作品が出て来ます。
やまと絵に対して水墨画が描かれるようになります。水墨画には風景画と道釈 画があります。道釈画は禅問答を絵にしたものです。十牛図等は道釈画です。
書 小野道風や藤原佐里の流れを汲む藤原行成(世尊寺派)の書が一世を風靡します
が、世尊寺派が絶え、南北朝の混乱の影響を多大に受けて、同派の流は衰退し
ます。一方、宋様の顔真卿等の書風、禅僧の書風などが盛り上がって来ます。
工芸品 漆芸や、武具などの細工が発達します。茶の流行と共に舶来品の唐物が珍重
される様になります。特に足利義政の唐物の収集品は東山御物(ひがしやまごも
つ)と言われ、国宝級の名品が多く含まれます。