式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

55 鎌倉文化(11) 仏画

絶え間ない戦乱、飢餓、疫病に加えて元寇と言う国難、それに追い打ちを掛ける経済の破綻の中で、人々の間に末法思想が更に強く深く広がって行きました。この時代は、多様な宗派が出現した時代です。信仰も様々な形が共存し始めます。

念仏宗と美術

極楽往生を念じる方法も、観仏往生に加えて、念仏往生が流行り始めました。

称名念仏は仏像や仏画を必要としないので、芸術の発展に余り寄与していません。

けれども、浄土宗や浄土真宗の寺では仏像を祀り、極楽もさぞやと思うほどに天蓋や金の瓔珞などで祭壇を美々しく荘厳(しょうごん)します。それは多分、信者の気持ちに沿う様に、私の信じている仏様の説く極楽はこの様なものだと、ビジュアルに見せる為のものでしょう。

村々のお寺での仏像の需要が大きくなり、快慶以後、仏像は工房による類型的な量産品に推移して行きます。絵も又、阿弥陀仏画像はもとより、来迎(らいごう)図や涅槃(ねはん)図も沢山描かれる様になります。(45鎌倉文化(1)運慶・快慶の項を参照)。これには粉本(ふんぽん)の存在が大いに貢献しています。粉本というのは下絵の事です。下絵が絵手本になって、同じ様な絵図を何枚も描くことが出来ます。

真言密教と忿怒(ふんぬ)尊像

真言密教では忿怒形(ふんぬぎょう)尊像が昔から描かれてきました。忿怒尊と言うのは物凄い形相で怒っている仏様の事です。国家護持の祈りや煩悩を打ち払う降魔の修法(ずほう)は、鎌倉時代になっても行われていました。いえ、むしろ、兵火を鎮める為に、益々描かれる様になりました。

不動明王が海の中の岩座に座り、紅蓮の炎を背負って睨みを利かす図は、元寇調伏の祈りと言われています。走り不動明王の図も、急いで九州の戦場に駆けつける明王の姿を描いたと言われています。西大寺愛染明王の持つ鏑矢が弘安の役の西に向かって飛び去ったと言う伝説もあります。

この外に毘沙門天、摩利支天等々、武を象徴する様な仏様が積極的に描かれています。

密教にも絵手本があります。名作を縮小転写して紙型を作ります。墨で線描きした白描図(はくびょうず)の紙型に色名をメモして書き入れてあったりするので、同じ作品を幾つも作るのに欠かせません。これを専門にする白描絵師もいました。金胎坊覚禅の「百巻抄」は白描画の出色の出来だと聞いております。

真言密教曼荼羅(まんだら)

聞く所によると、曼荼羅サンスクリット語パーリ語で「マンダ(本質)」と「ラ(所有する者)」の意味だそうです。

紀元前のインドの「マンダラ」とは、花を連ねた輪の意味だったとか。

それが紀元0年頃には、土で丸く築いた祭壇を指す様になり、更に4~5世紀頃になると、その祭壇に仏とヒンドゥーの神々を序列化して並べて祀る姿になったそうです。その丸い祭壇が次第に塔の様に高くなったそうです。チベットに入ると床に砂絵で描く様になります。仏教が中国に入ってくると、インドの三次元のマンダラが二次元に圧縮されて布に描かれる様になったそうです。

曼荼羅の意味は、婆には全く分かりません。多分、と想像するのですが、人間の精神の一つ一つの要素を擬仏化して、その作用とか、要素同士が影響を与え合う距離とかを図式化して、それを宇宙全体に広げた絵ではないかと・・・婆の推測、門外漢の素人が寝言を言っているとお笑い下さい。

曼荼羅真言密教の根本教義だそうです。様々な仏様が規則に則って厳格に描かれます。お手本となったのは空海が日本に持って帰って来た曼荼羅図です。空海はそれを厳密に模写させました。その模写を忠実に写したのが現在残っている最古の曼荼羅図です。各地にある真言宗のお寺の曼荼羅は、それらを基にして描いたものだそうです。

本地垂迹曼荼羅(ほんちすいじゃくまんだら)

 神道でも、本地垂迹曼荼羅の図が描かれる様になりました。

本地垂迹と言うのは、仏教の仏様と日本古来の神様を一体化する考え方です。

春日(かすが)本迹(ほんじゃく)曼荼羅(重文)では、如来や観音のそれぞれの仏様の脇に束帯姿の神人や僧形の神人が描かれています。例えば、不空羂索(けんさく)観音の脇に鹿島武雷神(かしまみかずちのかみ)が描かれる、と言う具合です。

禅宗仏画

武士は禅宗に帰依し、質実剛健の気風と禅宗の無一物の思想から、釈迦牟尼仏の仏像の外、禅寺堂内の荘厳はすっかり取り払われ、簡素化されてしまいました。

 禅宗では、阿弥陀仏も来迎図も、まして曼荼羅も飾られていません。仏画の代わりに、頂相(ちんぞう)が描かれる様になります。

頂相と言うのは、禅宗の高僧の肖像画の事です。そして、禅画が描かれる様になります。 

 

余談  掛け軸の鑑定

日本画の修行は、伝来の粉本や絵手本を寸分違わず写し取る事から始まります。転写、模写、臨画など、あらゆる手法で「そっくり画」を描く、それが修行です。弟子の技量が 高ければ、本物と作品を区別するのが難しくなります。よく、美術館で同じものを見たから、これは本物に違いないと、高額で掛け軸をお買いになる方がおりますが、とても危ない橋に見えます。或る鑑定家に伺いました。線の勢い、紙の質や顔料の質なども観察すると良いと。紙の経年劣化も誤魔化せるそうですので、用心、用心。