式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

56 鎌倉文化(12) 肖像画・宋画

肖像画

鎌倉時代肖像画で最も有名なのは、教科書にも載っている「伝源頼朝」像です。

これは「神護寺三像」と言って、神護寺で所有している三幅「伝源頼朝」「伝平重盛」「伝藤原光能(みつよし)」の肖像画の内の一幅です。三幅とも国宝です。

実は、これらの絵は「足利直義」や「足利尊氏」や「足利義詮」であろうと言う説が出ています。

いずれも使用されている絹布の由来、描かれた畳の縁の模様、冠や束帯の様子などから、科学的に、有職故実的に分析した結果だそうです。

神護寺にはこの三幅の他に重要文化財の「文覚(もんがく)上人」の肖像画もあります。

俗形(ぞくぎょう)

肖像画には、俗形像と僧形像の二つのタイプがあります。

俗形像と言うのは「伝源頼朝」の肖像画の様に衣冠束帯を着けた姿や、直衣に烏帽子を着用した公家姿で描かれた肖像画の事を言います。

水無瀬(みなせ)神宮所有の国宝・後鳥羽天皇(.藤原信実筆)がありますが、これも俗形像です。鎌倉期の天皇肖像画は殆ど俗形像で描かれています。

僧形(そうぎょう)

後白河院花園天皇は僧形で描かれています。

後醍醐天皇像は特殊な肖像画です。剃髪はしていませんが、袈裟を着ています。冠の上に冠を二重に重ねて被り、一見中国の皇帝風です。僧形像と言えるかどうか・・・

僧形姿で描かれている武士は、北条時頼北条時宗、金沢(北条)実時などがあります。

頂相(ちんそう or ちんぞう or ちょうそう)

写実性を最も表しているのが頂相と言う禅宗の高僧の肖像画です。

頂相は、後世の弟子が祖師の人品骨柄を拝して祖師の禅風を感得する為のものですから、出来る丈あるがままの姿を描きます。額の皺も垂れ眼もほうれい線も遠慮会釈なしに描き切るのは勿論ですが、それよりも、描かれた人物像が祖師そのものの全人格を醸し出す様にするのが第一の主眼になっています。

頂相は、まず初めに弟子が、師と向き合いながら紙に正確にデッサンをします。沢山描いたデッサンの中から、師が気に入ったものを選び、改めて絹布に本画を描きます。

国宝・無準師範(むじゅんしはん)

無準師範は臨済宗の僧で、南宋の人です。無準師範の弟子に兀庵普寧、無学祖元がおり、日本人の弟子では東福寺開山の圓爾(えんに(=聖一国師))が居ます。忘れてはならないのが、禅僧の画家・牧谿(もっけい)も無準師範の弟子です。牧谿は無準師範に絵を習いました。

圓爾は帰国する時、無準師範の頂相を持って帰りました。

蘭渓道隆、大燈国師、兀庵普寧、夢想国師明恵上人等々の頂相があります。

(47 鎌倉文化(3) 仏教・禅宗の項参照)

 

宋画

禅僧の入宋や渡来僧の交流が盛んになる中で、宋画の技術が日本に影響を与える様になりました。

大和絵は、日本の風俗や景色や物語を題材にして描かれた絵です。

唐絵(からえ)は、中国から伝来した絵画や、日本人画家が大陸の風俗や景色を真似て中国風に描いたものです。

宋画は、宋の人が描いた絵です。

宋画の代表作である徽宗の「桃鳩図(ももはとず or とうきゅうず)」と源氏物語絵巻を比べてみると、印象が大分違います。勿論、画題が動物と人物と言う具合に違うので、印象が違うのは当然です。

源氏物語絵巻」の描き方は線描きをして彩色しています。いわばぬり絵です。

「桃鳩図」は羽毛を感じさせる柔らかさと温みがあり、単なるぬり絵ではない事が分かります。写実なのです。

「桃鳩図」は対象物を正確に捉えて表現する技量と細密性、色の濃淡の連続した変化・ぼかしの技があり、その上で動物図鑑の写実とは違った気品を備えています。

このような宋画の在り方が、その後の日本の絵に多大な影響を与える様になりました。

 

 

余談  頂相語源 

 頂相の「頂」は頂上の「頂」です。この場合、頭の天辺と言う意味です。頭の天辺は自分自身も、又、相手からも見えません。二階から見下ろせば他人様の頭の天辺は見えますが、偉いお坊様を上から見下ろすなんて事はしません。そこで、頂相とは見えないものを描く、心の高み、禅僧の内面を描く、そういう意味があります。