式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

59 鉄と刀

製鉄事始め

天下五剣を生んだ背景には「鉄」の存在があります。

縄文時代の長崎小原下遺跡や、弥生時代中期の福岡県赤井手遺跡に鉄を作った形跡があるそうです。当時は朝鮮半島から鉄鉱石を輸入して鉄を作っていたそうです。

562年、任那(みまな)日本府が新羅に滅ぼされると鉄鉱石の入手が困難になり、新たな鉄の入手先を探す様になりました。そこで見つけたのが「砂鉄」という鉄でした。

豊富な砂鉄

砂鉄は、花崗岩が風化して出来た砂や土に含まれています。

花崗岩と言うのは、墓石などでよく見かける御影石と同じです。

花崗岩はマグマの奥深くでゆっくりと冷えて固まった火成岩なので、地球を構成している様々な元素を含んでいます。勿論鉄も含まれています。花崗岩は大変固い石ですが、石英や長石や黒雲母の集合体なので、それぞれの熱膨張率が違い、熱がかかると脆くなります。

日本列島は火山列島です。花崗岩は日本全体に分布しています。特に、阿武隈地方、関東北部、岐阜一帯の山脈、近畿地方、山陽・山陰地方、北九州とその範囲は広いです。

花崗岩は数千万年~数億年かけて風化して砂や土になります。こうして出来た黄土色の砂が真砂土(まさつち or まさど)です。これらの砂や土には鉄が含まれています。

京都の刀鍛冶が輩出した粟田口や三条と言う土地は、比叡山大文字山などの麓にあります。比叡山大文字山花崗岩で出来ています。花崗岩帯と川と森林に恵まれた土地に刀の生産地を重ね合わせると、見事に一致します。

大鍛冶と小鍛冶

能の「小鍛冶」で言う小鍛冶とは刀鍛冶の事です。小規模の鍛冶屋という意味ではありません。それに対する「大鍛冶」と言うのは、鉄の採掘業者や精錬業者の事を指します。
当時の砂鉄の採集の仕方は、山砂を渓流に流し、鉄の重さを利用して選別する比重選別法でした。そうやって集めた真砂砂鉄(磁鉄鉱)を、たたらで粗鋼を作り、それを砕いて更に鋼を作り、更に精錬して玉鋼(たまはがね)にします。赤目(あこめ)砂鉄(チタン鉄鉱)の場合は、少し方法が違うようです。

聞く所によると、砂鉄13t、炭13tを三昼夜燃やし続けて2.8tの鋼を作り、その2.8tを更に精錬して玉鋼を作るのだそうです。結果、出来上がる玉鋼は1tだそうです。

話によると、砂鉄のみで作る玉鋼では国内の刀の需要を賄いきれず、輸入物の鉄鉱石にもかなり依存していたのではないかと、言う人もいます。(室町時代後期には明へ36,000振りの刀を輸出していました。)

大鍛冶は、出来上がった玉鋼を小鍛冶に卸します。

小鍛冶はこれを鍛錬します。鍛錬して行く過程で、鉄の強さを引き出し、鉄の脆さを粘りに変えて、刀に仕上げていきます。

古刀と新刀

豊臣秀吉が南蛮鉄を輸入し始めると、刀鍛冶達も南蛮鉄を用いて刀を作り始めます。

この頃を境にして、南蛮鉄到来以前を古刀、それ以後を新刀と呼ぶようになります。天下五剣は皆古刀です。

世界各地には鉄にまつわる民間信仰があります。鉄を邪悪な神として忌避する習俗もあれば、鉄は魔物を斃す善の神として崇める地域もあります。日本では亡くなった方のご遺体に短刀を置き、悪霊に邪魔されないで恙なく極楽浄土へ旅立てる様に見送ります。

刀は人を殺傷する為だけのものではありません。むしろ、その美しい光を以って普く世を平らかにする祈りの神器で有って欲しいと、婆は願っています。

この辺りをもっていよいよ鎌倉時代に一区切りをつけ、南北朝から室町時代へと筆を進めて参りたいと思います。前途に立ち込めるのは血煙ばかりの様な気がして、何とも気が重いです。

 

 

余談  白砂青松

日本の海岸風景を造っている白砂青松は、花崗岩が風化して出来た真砂土由来のものです。真砂土は石英や長石や雲母などが混ざっていますが、山から川に運ばれ、海の波に洗われると、長石などは早くに細かくなって失われ、白い石英が残ります。これが白砂青松の基になっています。

 

余談  真砂土の危険性

真砂土は、石が細かくなったザラメの様なもので、粘性の無い土です。

ここに雨が降ると、持ち堪えられなくなって流れてしまいます。これが土砂崩れや地滑りや土石流を引き起こします。たとえそこに森林があり大きい岩があって大丈夫そうに見えても、自然災害は森も岩も削り取ってしまいます。災害は何処でも起きます。先ずは逃げるが勝ちです。