式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

127 絵で見る茶の湯(1) 厩図

何時の時代でも何々自慢と言う者はいるもので、武士であれば先ず自慢するのが「馬」。刀剣自慢も「馬」に劣らずおりますが、絵画に描かれているのは圧倒的に「馬」です。厩(うまや)図屏風は数多く描かれています。神社にある「絵馬」も馬ですし、加茂神社の流鏑馬(やぶさめ)神事も「馬」抜きには語れません。

 

厩図屏風(うまやず びょうぶ)

室町時代の頃、武士達は自慢の馬を厩(うまや)に連れて来て集い、馬の披露かたがた社交の場にしていました。今で言うなら、馬主クラブのクラブハウスの様なものでしょうか。

下図は、室町時代に描かれた『と言う六曲一双の左隻の、その一部分を婆が写し取ったものです。本物は東京国立博物館に収蔵されていて、重要文化財になっています。拙い絵で申し訳ないですが、話の都合上、載せました。

f:id:bukecyanoyu:20211211213108j:plain

馬とお茶。この絵の何処にその繋がりが有るかと申しますと、一番右端に居る前髪姿のお小姓に注目して下さい。

彼は、躓(つまず)きそうなほど袴の裾をずるずる引いて、畳廊下をしずしずと歩んでいます。肩衣を着て、美しく装った彼は、両手に天目茶碗台を捧げ持って、お客様にお茶を運ぼうとしています。茶碗台の上にはお茶碗が載っています。お茶碗の縁が二重線で描かれているので、この茶碗は覆輪を持つ天目茶碗だと分かります。

足元に、小姓の方に手を伸ばして寄って来る猿が居ます。これから小姓に抱き着こうとしているのか、悪戯しようとしているのか、赤いちゃんちゃんこを着た猿は無邪気に「土足」で廊下に上っています。えっ? 何でここに猿? 檻に入れておかなければいけないじゃないの。

いやいや、御心配なく。猿は日枝神社のお使い、馬の守り神です。それ故、猿は厩に無くてはならぬ動物で、武士の家では大切にされています。牧谿猿猴(えんこうず)をはじめ長谷川等伯狩野山雪、雪村周継、狩野興以(かのうこうい)などなど、名だたる絵師が猿を絵にしています。『猿猴捉月(えんこうそくげつ)』の戒めを込めての意も有りますが、もっと単純に、馬を大切にする→馬の守護神は猿→猿の絵を飾る→という流れで、猿の絵は武士の間で持て囃されておりました。上記の様な有名な絵師の作品ばかりでなく、無名の絵師達が世の需要に応えて数多くの猿絵を描いております。

それにしても、猿に跳びかかられたら、天目茶碗を落してしまうじゃないの。危ないねぇ。天目茶碗って舶来物で、高いのよ。なんで、こんな厩で天目茶碗でお茶を出すの。もっと安物でお茶を出したっていいのに。それとも、この館の主人は、割れても気にしない程の財力を持っている人物なのかしら。客人は天目茶碗に相応しい程の身分の高い人なのかしら。

 

茶室無しの茶の湯

第一、厩舎(きゅうしゃ)でお茶とは何事ですか! お茶は茶室で頂くものです。こんな、むさい所で・・・失礼、立派な厩で、しかも、馬房続きの廊下で、臭くありませんか? 馬糞や尿の臭いとか、藁の臭いとか・・・普通ならそこで飲み食いするなんて、耐えられない筈ですが・・・あれ、まぁ! 気が付きませんでした。この厩、見れば見る程立派ですね。まるで御殿みたいです。(全体像を見るには東京国立博物館所蔵の「厩図」を検索してみて下さい。)第一、屋根が檜皮葺(ひわだぶき)。馬房は厚い板敷き。分厚い板敷きの馬房は清潔そのもので、藁屑や馬糞一つも落ちていません。現代競馬場の厩舎は、コンクリート打ちの地面に直接藁を敷いて馬房としていますが、時代が違えば景色も変わるようで・・・

庭に石を組み、泉水を巡らし、右隻の厩には松を、左隻の厩には桜を配し、鶴亀が遊び、これは大本山寺院の庭か、将軍家の館かと思われるような造り。こういう場所に、自慢の馬を引いて来て、見せびらかして、日がな一日将棋や双六に打ち興じるなんて、中々優雅です。と考えると、この厩は馬の住居では無く、駐車場ならぬ来客用の駐馬場の様です。

 

お茶は陰で点てるもの?

ところで、この画面には茶室がありません。水屋らしきものも見当たりません。別棟でお茶を点てたものを、お小姓が庭伝いに歩いて廊下に上がって運んだ様子でもなさそうです。多分、廊下伝いに奥の部屋から運んできたのでしょう。お茶を点てた亭主は何処に居るのやら。

「お客人、ここで存分に寛(くつろ)いで楽しんでいかれよ。お茶でも進ぜよう」と、館の主は顔を出さず、訪ねて来た人達の気ままにさせているのでしょうか。それとも、「お茶を持て参れ」と小姓に命じ、自分は客人と一緒になって将棋や双六に興じているのか・・・

ただ、事情はどうであれ、お茶は陰点(かげだて)(=お客様の見えない所(別室など)でお茶を点てる事)されている事は確かです。

当時の茶の湯は、客人の前でお点前をお見せしながらお茶を振る舞うのではなく、別室でお茶を点てて出していたようです。多賀大社の『調馬図』も襖の陰で茶頭がお茶を点ておりますし、淋汗茶の湯の絵図を見てもお茶は別室で点てて客人に運んでいます。思うに、水屋は今でいう台所。お持て成しの楽屋裏は見せないのがスマートな遣り方だったのかも知れません。

 

茶の湯にも色々ありまして

楽屋裏を見せない茶の湯に対して、客人の目の前で茶を点てるやり方も有ったようです。

東山の銀閣寺境内に同仁斎という四畳半の書院があります。且つてそこに炉が切られており、そこで足利義政がお茶を嗜んでいた、と言われています。少人数の友と炉を囲みながらお茶を点てる・・・そんな光景が繰り広げられていた事でしょう。

火と水が部屋の中にあれば、台所で無くてもお茶は点てられます。その為に炉があります。火と水の設備が無かった場合、「風炉」という火鉢の様な道具を使って茶の湯を愉しみます。

鎌倉時代から武士の嗜(たしな)みとしてきた茶の湯。初期には禅宗寺院で行われていた清規(しんぎ)に沿っての作法が行われてきましたが、次第に様々に変化してきました。

『厩図』で描かれているのは茶室のお茶ではありません。書院のお茶でもありません。むろん闘茶でもありません。縁側のお茶です。気楽なお茶です。この絵を見ると、こういうお茶もあったのかと、知る事が出来ます。

当時、抹茶のお値段は高かっただろうと思われます。その高いお茶を使ってお持て成しを受けている侍達。きっといい気分になった事でしょう。極上のワインを振る舞われたみたいに。

 

厩図の人物像は

厩図に登場する人物達はどういう人達なのでしょう。右端に描かれている馬具掛けを見ると、馬の鐙(あぶみ)や、房の付いた胸飾り(胸繋(むながい))や尻飾り(鞦(しりがい))などから、かなり偉い侍の物の様に見受けます。鞍の前側(前輪(まえわ))に武田菱の紋が付いていますので、武田氏の物と分かります。武田信玄? いえ、信玄は上洛していませんから、信玄ではないでしょう。武田氏は、甲斐武田氏の外に京都武田氏、安芸武田氏、若狭武田氏と幾つも流に分かれており、いずれも清和源氏の流れを汲みます。ついでながら、茶の湯の大家・武野紹鴎(たけのじょうおう)も若狭武田氏の出身です。厩図の登場人物の中に武野紹鴎がいるかと言うと、彼は、父が武士を止めて商人になったのに従っているので、この場面に馬に乗って登場する事はありますまい。

将棋をしているお坊様は、後ろ襟を高々と三角に上げているので、大僧正様かしら? 。 彼等の着ている衣服、烏帽子の形等々から推察しますと、この厩の縁側に集う面々は、それ相当のエライ人達の様です。寵童や従者も侍(はべ)っています。

お茶を運ぶ小姓は、奥の水屋と厩を何度も往復して、この人達全員にお茶を運ぶのでしょうか。いやはや、大変ですね。ご苦労様です。

 

 

余談  猿猴捉月(えんこうそくげつ)

猿猴は猿の事です。捉月とは月を捉(とら)えると言う事です。猿猴が月を取る、と言う意味で、禅の教えの一つです。

人間界で暮らしていた猿が、或る月夜の時に井戸を覗いてみました。井戸にはお月様が映っていました。「大変だ、お月様が井戸に落っこちている!」と思い、500の猿を集めてお月様救出作戦を開始します。互いの手を握り合い、井戸の中のお月様に手を伸ばしますが・・・

木の枝が折れて、猿全員が井戸の中に落ちてしまい、死んでしまいました。

猿猴捉月』とは、人間の愚かさを戒め、実力不相応な望みや欲望を持つと身を亡ぼすという教えです。