式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

142 茶の湯(4) 紹鴎の茶

みわたせば花ももみぢもなかりけり  浦のとまやの秋の夕暮れ   藤原定家

 

晩秋を詠んだこの歌を思い出す時、ふっと、もう一つの詩を思い浮かべる事があります。それは、フランスの詩人・ヴェルレーヌの詩の「落葉」です。上田敏の名訳で、ご存知の方が大勢いらっしゃると思いますが、敢えてご紹介します。

 

            落 葉

1   秋の日の         2 鐘の音に       3 げにわれは

 ヴィオロンの        胸ふたぎて        うらぶれて

 ためいきの         色かへて         ここかしこ

  ひたぶるに        涙ぐむ          さだめなく

  身にしみて           過ぎし日の        とび散らふ

 うら悲し。         おもひでや。       落葉かな。

 

この和歌と詩には、それぞれが醸し出す寂し気な気配があり、心打たれます。ただ、口に出してみて漂う音の語感からは、かなり印象が違っています。その違いが何処にあるかと申しますと、「言う」か「言わない」かの違いだと思います。

和歌では「ためいき」も「悲しい」も「胸ふさぐ」も「涙」も、そういう心情を直接的に表す言葉を一切使わずに、秋の静かな佇(たたず)まいを写生しています。写生していながら、それを読む者の胸深くに、静かなもの寂しさを呼び覚ましています。言わず語らず、静寂の余韻に全ての想いを籠めています。

 

言葉の余白

実は、武野紹鴎(たけの じょうおう)は、定家のこの「みわたせば・・・」の歌でお茶の真髄に触れ、悟りを開いたと伝えられています。

言葉を尽くして思いを表現する方法と、言外の余白に心情を吐露する技があります。その二つの内、どちらが読者の心を捉え感動させる事が出来るのかと問われれば、それを受け取る人の人生や文化の背景、その時の心の状態によって違うので、一概にこうだと決められません。けれども、お茶で言えば、微に入り細に入る説明的な装飾を一切こそげ落し、あるがままの自然を写して、そこから広がる宇宙を五感で味わう事こそお茶の極意だと、紹鴎は感じたのではないでしょうか。

それは言葉の世界だけではなく、絵画でも同じです。

 

絵画の余白

古典派の西洋絵画では、四角いカンバスの上下左右の隅から隅までの背景を、まるで空白恐怖症の様に細かく埋め尽くして描き切り、その場のシチュエーションや画中の人物の心の動き、時には小さな小道具に秘められた比喩(ひゆ)なども提示します。宗教画・神話画・人物画・静物画などなど皆そうです。それを破ったのが、ジャポニズムに触れた近世の画家・エドゥアール・モネが描いた「笛を吹く少年」です。この絵は、何百年も続いた西洋絵画に衝撃を与え、革命を起こしました。何故なら、少年の背景には何も描かれなかったからです。背景は無地でも良い、という認識が、この記念碑的作品によって西洋の画壇に生まれました。

長谷川等伯の松林図を見ると、冥界に誘い込むような鬼気迫る空白を墨で描いています。牧谿にしても雪舟にしても余計な加筆は無く、必要最低限の運筆で対象物を描き切っています。

   (参考:室町文化(8) 水墨画    2021(R3).01.30.  up)

 

茶席の余白

春」をテーマに茶会を開きたいと思い、古今集の春の歌の掛け物を飾り、梅の花を活け、鶯(うぐいす)を模(かたど)った香合(こうごう)を使い、「初花」写しの茶入れを用い、梅花のお菓子をお出しし、仁清風の梅模様の茶碗を用いたら、最高の「春」の演出になると思うのですが・・・一寸待って下さい。それではあまりにも「春」が満載し過ぎて煩わしくなります。余情を誘う余白、想像を遊ばせる余地が失われ、却って食傷気味になってしまいます。

テーマに沿って満艦飾(まんかんしょく)に飾りたい気持ちは分かりますが、その心を抑えて、何処かに別の雰囲気のものを入れた方がいい様な気がします。その方が「秘すれば花」の奥床しさが滲み出てきて影が現れ、奥行きのある茶席になります。これは、落ちこぼれ弟子の婆の主観です。もっともっと良い工夫があると思います。工夫せよ、稽古せよ、が紹鴎の教えです。

 

紹鴎の「侘しき」と「寂しき」

絵画を視る目で茶室などを見る時、二次元の余白は三次元の空間の間合いに置き換わります。露地の景色、中待合、蹲(つくばい)、遠景、茶室の佇まい、床の間、お道具の置き合いなど、余白の工夫の余地は、立体だけに無限に広がります。

又、意外な事に、紹鴎が使っていた「わび」「さび」の言葉の意味は、利休が説いた「わび」「さび」とは異なり、非常に具体的な物を指して言っている様です。

紹鴎の「わび」は、「侘しい」と言う形容詞の略では無く、「侘敷(わびしき)」の事だそうです。「侘敷」とは名詞で、どうやら畳の敷き具合を言っている様です。

「侘敷」は3畳半や二畳半の小さい間取りの部屋の事を言うそうです。同様に、

「寂敷(さびしき)」は4畳半以上の間取りを言うそうです。

今回、これを書くに当たり調べて行く内に、ウィキペディアでそれを発見しました。

「侘(わび)しい」には「心細い」「貧しい」というイメージがあります。「侘敷」を婆流に言い換えると、狭くて心細くて貧乏ったい部屋だ、と言う所でしょうか。

「寂(さび)しい」には、「心細い」「悲しい」「満たされない」と言うイメージがあり、貧乏のイメージはありません。宮殿に住んでいても寂しい気持ちは湧きます。人それぞれで、決め付ける事は出来ませんが、「寂敷」は、もうちょっと広い方がいいけど、ま、これでも良いか、と言う妥協点の広さの部屋ではないかと、婆は受け取りました。独身者用アパートの最低限の間取りは四畳半か六畳の一間が一般的。それを考えると、「寂敷」の広さは丁度いい塩梅(あんばい)の部屋かと思います。同仁斎の部屋も四畳半です。これが書院の原形です。

「寂敷」は四畳半以上の広さ、と言う事ですので、お客さんの人数をある程度呼べますし、空間をかなり自由に使えます。

紹鴎は「寂敷」の部屋で、唐物を使った書院の茶の湯を行っていた、と思われます。

 

利休の「わび」と「さび」

武野紹鴎の弟子の千利休は、この「侘敷」と「寂敷」を、「侘しい」「寂しい」に置き換えてしまいました。そこから、単なる部屋の広さだったものが、精神論に替わって行きました。そこに禅宗的な修行の道が持ち込まれ、「わび」「さび」の究極を求める道の「茶道」へと突き進んでいくようになります。そして、「わび」「さび」が審美の一つの基準になり、そこから日本独自の文化が生まれ、今日に至っています。

(式正織部流では「書院の茶」「公の茶」を旨としています。ですので、季節を取り入れたりはしますが、この「わび」「さび」を余り意識していません。)

 

三次元の余白

全ての余計な物を捨て去って精髄だけを残し、「冷え枯れた」極致の場に居住まいを正して座る時、なんだかぞくぞくっとする寒気に襲われる事があります。緊張します。婆の人間が不出来な為に、恐ろしくなってしまうのです。そして、要らんことを考えてしまいます。

例えば、床の間に「無」と言う禅語を掛けたとしましょう。「無」と書いた墨蹟を掛けるならば、極端な話、何も書かれていない白紙を表具して掲げても良いのではないか、いやいや、それなら掛物さえいらず、床の間に何も掛けず、花も置かず、究極、床の間さえ無くても良いのではないかと、ひねくれ婆は妄想します。

何もない茶室・・・となると、野原にゴザを敷いて点てる野点がそれに近いのかしら? とも思えてきます。季節は野の草花が教えてくれ、光と風が時の移ろいを教えてくれます。正に「日日是好日」です。生きていてよかった!と思える一瞬です。が、野点は、無駄を削ぎ落して突き詰めた世界では無く、ゴザ一枚の上に森羅万象が押し寄せてる雑多な世界です。蟻んこが足元を歩き回り、蚊が飛んできて刺し、1/fの気まぐれな風が時には埃や塵を運んでくる。有り余る空間には間の抜けた緩みがあり、その雑多な世界に温もりがある、安らぎがある・・・

茶室という「わび」「さび」に縛られた狭い空間に客人を招き入れ、同じ世界観を共有しようとするのは、亭主のエゴではないか、と落ちこぼれ弟子の婆は悩んでいます。