式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

162 利休と秀吉(3) 朝顔

利休の庭の朝顔の花が大変見事だと評判が立ちました。それを聞いた秀吉、是非とも見たいものだと思い、利休に朝顔を見たいと朝の茶事を所望します。家臣の話から、垣根一面に朝顔の花が咲いている様子を聞き、期待に胸を膨らまして訪ねましたが、残念ながら垣には一輪の花も咲いていませんでした。全ての花が摘み取られていたのです。

「?」これはどうした事か! 朝顔の花を見たいと申したのに、その花を全部刈り取るとは儂に逆らうつもりか! と秀吉は内心腹を立てた事でしょう。利休はそれに構わず秀吉を茶室へ誘(いざな)います。すると・・・

秀吉はあっと驚きました。床の間にたった一輪の花が活けてあったのです。

秀吉は「うむー、見事!」と利休の美意識の冴えに感心しました。

 

朝顔と言えば

ネットで検索してみると、上記のあさがおのエピソードからは利休の美意識への素晴らしさに感嘆の声が多く、これぞ侘び茶の花、美の極致と讃えられています。さすが利休、天才! 秀吉もシャッポを脱いだ、という訳です。中には、全く違った視点で捉えたものもあります。朝顔の垣に満開に咲く花の、花首すべてを取ったのは、秀吉が討ち取った兵達の首を暗示し、茶室の一輪は、討ち取った数多(あまた)の死者の上に生きているのがお前だ、と提示しているという意見です。これも一理あるかも知れません。けれど、婆は別の視方をしています。

それは「朝顔」を取り上げた有名な随筆「方丈記」に由来しています。

平家物語の冒頭の一節が、日本人の心に諸行無常を呼び覚まします。「沙羅双樹」と言えば「盛者必衰の理をあらわす」と直ぐ連想する様に、沙羅の花は無常の代名詞です。実は「朝顔の花」も、それと同じくらい無常の代名詞として使われています。

 

武将の読書

あの時代、結構武将達は本を読んでおり、或いは読まなくても素養として知識を持っていて、そういう話には通じています。

因みに、武将達が読んだ本と言うと、孫子呉子史記司馬法などの兵法書は勿論必読。治世に関わる本や身を正す為の論語中庸、大学などを含む四書五経貞観政要。温故知新を求めて日本の歴史書や軍記ものの吾妻鏡太平記平家物語などが有ります。更に加えて教養を積むための古典文学があります。意外と思われるかもしれませんが、彼等は公家や大名同士の付き合いの中で、連歌や和歌が詠めないと茶の湯と同様「仲間外れ」に成り兼ねませんでした。また戦場で死ぬにしても畳の上で亡くなるにしても、辞世の句を詠まねばならず、それらの素養が必要だったのです。いきなり討死した時は辞世を詠む暇はありませんが、大丈夫。彼等は出陣に望みそんな時に備えて、事前に辞世を詠んだりしておりました。そればかりか、死に様が見苦しくない様に、美々しく装い、兜に香を焚きしめたりして、死装束に意を凝らしたりしていたのです。行住坐臥(ぎょうじゅうざが)是死の武士の嗜(たしな)みです。

彼等が素養として読んだのが、源氏物語古今集が定番テキストです。伊勢物語徒然草方丈記、さらには経典なども、素養の脇を固める本だったでしょう。

源氏物語はその後の文学に多大な影響を与え、そこから色々な物語や和歌が派生しております。文学の首根っことも言うべき要(かなめ)の本です。そこを押さえず、古今集だけで和歌作りに励もうとしても、心を置き忘れて技術的な面に走ってしまいがちになります。

 

古今伝授

古今伝授を受け継ぐ細川幽斎(藤孝)には、こんなエピソードがあります。

関ケ原の合戦の前、東軍側の細川家の居城・丹後田辺城(現京都府舞鶴市)が1万5千の西軍に取り囲まれてしましました。その時、主力は嫡男・忠興徳川家康に従って会津征伐に向かっていましたので、留守役・細川幽斎の手持ちの兵はわずか500。圧倒的な兵力差を縮めようもなく落城寸前になりました。ところが、攻め手の武将の中にも細川幽斎の弟子がかなり居て、攻めの切っ先が鈍っており、又、八条の宮智仁(ともひと)親王後陽成天皇も幽斎が亡くなってしまえば古今伝授が途絶えてしまう、と言う危機感から「あの者を死なせてはならぬ。助けよ」との勅命が下り、勅使を遣わして講和させ、幽斎を救ったのでした。和歌の力にはもの凄いものがあります。これは、幽斎を師匠とする武将をはじめ、その裾野に広がる兵などの歌詠みの人口が多かったと言う証でもあります。

 

方丈記

豊臣秀吉の辞世の

「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢」

の辞世など最高傑作です。と思うと同時に、この辞世には「方丈記」の影響が色濃く読み取れます。

秀吉は貧民の出でしたが、深い教養を積んでいたと思われます。彼は細川幽歳から古典を学んでいた、と言われています。秀吉の事ですから、その他にも海内(かいだい)一の学者や文化人と交流していたのではないでしょうか。秀吉は「方丈記」を知っていた、と婆は思い込んでいます。方丈記に書かれている露と落ち、露と消える朝顔の露に、秀吉の辞世が見事に呼応しているのです。

婆は学校の先生から「古典文学の中でこれらの冒頭の出だしの段は必ず暗唱しなさい」と言われたものがあります。それは祇園精舎の鐘の声』『徒然なるままに』『春はあけぼの』『いずれのおん時にか』『ゆく河の流れは絶えずして』でした。試験に備えて必死に覚えましたが、齢80にもなるとほとんどうろ覚え。今、この項を書くに当たり、改めて昔の参考書を引っ張り出している所です。

 

方丈記

 一 序 

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶ うたかたは、かつ消え かつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし。世中(よのなか)にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。

たましきの都のうちに、棟(むね)を並べ、甍(いらか)を争へたる、高き、いやしき、人の住まひは、世世を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀(まれ)なり。或いは去年(こぞ)焼けて今年作れり。或いは大家(おおいえ)(ほろ)びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変わらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中にわづかにひとりふたりなり。明日に死に、夕べに生きるヽならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。

知らず、生まれ死ぬる人、何方(いずかた)より来(きた)りて、何方へか去る。また 知らず、仮の宿り、誰(た)が為にか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、主(あるじ)と栖(すみか)と、無常を争うさま、いはゞ あさがおの露に異ならず。或いは露落ちて花残れり。残るといえども朝日に枯れぬ。或いは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども 夕(ゆうべ)を待つ事なし。

(大意:流水とどまる事を知らず、常に変化しています。人の世も同じで、立派な都に御殿や庶民の家が何時もびっしり建っている様に見えても、中身を見ると、昔あった家が無くなったりしています。住む人も同じで、人がいっぱいいても、昔知っていた人が20人~30人も居たのに、今はその内のたったの一人か二人になってしまっています。

人が生まれ、人が死ぬ、何処から来て何処へ去っていくのか、私は知りません。この世は仮の宿。無常の世に何を思い煩い、何に喜びを見ようとするのか。言うなれば、朝顔の露と同じです。露が落ちて花が残ったとしても、朝、日が昇ると花は枯れてしまいます。或いは花がしぼんでしまっても露だけが残っています。とは言え、その露も夕方には消えてしまうのです。)

 

利休の朝顔

利休が凡庸の人で、朝顔が満開の垣根をそのまま残し、更に茶室に一輪を活けたなら、さほど秀吉にインパクトを与えなかったと思います。秀吉の心に何の引っ掛かりも無く、素直に「おヽ、見事じゃ」と叫んだでしょう。

けれども、利休は、一輪の朝顔に全ての視線を凝縮させてしまいました。そして、美しさへの感動以上の強烈な打撃を秀吉に与えてしまいました。余りにも一点に集中させてしまった為に、秀吉は床の間の花に利休の暗喩を見ました。

方丈記の「無常を争うさま、いはゞ あさがおの露に異ならず。」

「殿下の栄華は朝顔の露と同じでございます。やがて滅びましょう」

と。

利休ほどの人が「方丈記」を知らなかったとは言わせません。知った上での朝顔の花です。

「雪」と見て「御簾(みす)をかかげた」清少納言と同じ様に、「あさがお」と言えば、「方丈記」です。或いは、「源氏物語」の「朝顔」の巻でしょう。源氏物語の「朝顔」は、光源氏のナンパの話ですので、侘茶の茶室には不似合いです。となれば、茶室の朝顔が秀吉に示しているのは、方丈記朝顔です。

「ふむー、見事じゃ」の声は、無邪気な感動の声だったのか、それとも利休の美の冴えに兜を脱いぎ、「いや、参りました!」の意を込めて発した言葉だったのか、或いは、「おぬし、なかなかやるのう。儂に恐れげもなく滅びを予言するのか、その覚悟見事!」の「ふむー、見事じゃ!」なのか・・・
その時の秀吉の声の調子や顔の表情が読み取れないので、婆にはどう解釈して良いか迷いがあります。が、その後の利休と秀吉の関係性の変化を見ていると、腹に一物を含んだ毒気のある感嘆符がそこに付く様に思われて仕方ありません。人たらしの名優・秀吉は恐らく破顔一笑、満面笑みを湛えて、利休の侘びの美を理解した事をアピールするでしょう。そして、毒気を腹に収めて、後は沈黙・・・かな

 

 

余談  源氏物語朝顔

世界最古の長編恋愛小説「源氏物語」は全部で54帖あり、その内の20帖目に「朝顔」の巻があります。朝顔の姫君は桐壺帝の弟・桃園式部卿宮の姫です。つまり、光の君とは従妹(いとこ)に当たります。光源氏が若い頃から朝顔の姫君に心惹かれていましたが、姫君はプレイボーイの光の君を警戒し心を許しません。彼女は斎院を務めていたので、ずっと独身でした。

式部卿宮がお隠れになり、喪に服した朝顔の姫君は宿下がりをします。その時に、光源氏は萎(しお)れた朝顔の花を添えて、歌を贈ります。

  見しをりのつゆ忘られぬ朝顔の 花のさかりは過ぎやしぬらむ 

朝顔の姫君は

  秋はてて霧のまがきにむすぼほれ あるかなきかにうつる朝顔

と歌を返します。

(ずいよう超意訳:源氏「あなたと一緒になりたいとずっと待っていたのに、過ぎし年月は残酷です。あなたも年取ってしまったのでしょうか」 それに対して朝顔の姫君が「あなたの御推察の通り私は、秋も終わりの、霧の中の垣根に消え入りそうにして咲いている朝顔でございます。)

余計なお世話! 失礼しちゃうわと憤慨すべきところ、いとやんごとなき朝顔の姫君、幾歳月の流れに頷きながら、やんわりとお断りの歌を返します。私はずっと一人で生きて参ります。斎院の宮として・・・

光源氏は、ナンパすれば必ず成功したのに、唯一朝顔の姫君だけにはそれが通じませんでした。

 

 

余談  清少納言の「御簾をかかげてみる」

枕草子299段 又は280段 又は282段(参考にした本やネットで段の数え方が違うので、さて、どれが本当やら・・・でも、出だしの索引「雪のいと高う降りたるを」で探し出せます。)

『雪のいと高う降りたるを、例ならず御格子(みこうし)まゐりて、炭櫃(すみびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらふに、少納言よ、香炉峰の雪いかならむと仰せらるれば、御格子あげさせて、御簾を高くあげたれば、笑わせ給う。」

これは、中宮様が清少納言に「香炉峰の雪はどのようなものでしょう」とお尋ねになったので、清少納言が御簾をかかげて庭の雪景色をお見せになりました、という話です。これには話の下敷きがあり、白居易の詩『香炉峰下新卜山居 草堂初成題偶東壁』という題で詠んだ詩に基づいています。その内容を、清少納言が機転を利かせて具体的に見せたもので、それを見た中宮様はお笑いになった、周りに居た女房達も、「あ、それなら知っているけど、ここで使うとは思いもしなかったわ」と感心し、清少納言の頭の良さに感嘆した、というお話です。

白居易の詩『香炉峰下新卜山居 草堂初成題偶東壁』については「ブログ№8 栄西  第一次渡宋」2020(R2).05.05 upで全文を取り上げております。

詩の内容は、占いをして香炉峰の麓に家を建てた、草堂が出来たので寝ながら窓の外を見た。遺愛寺の鐘が鳴っているのを枕をしながら耳をそばだてて聞いている。香炉峰の雪を、御簾をかかげて視た。匡盧(きょうろ)の地は隠棲の場所に丁度良い。何も長安だけが故郷でもあるまい、というものです。

 (ブログ№8栄西 第一次渡宋20(R2).05.05 up)をお探しの場合は、この頁の右欄にある「月別アーカイブ」欄から、当該年の2020(75)をクリックすると、2020年にupした全項目が表示されますので、そこから8番目の項目を選んで下さい)

 

 

余談  沙羅双樹

平家物語に出て来る沙羅双樹は、サラノキが2本並んで立っている様子を言います。或いは、根元から幹が二手に分かれた樹とも言われています。従って植物名としてはサラノキです。

サラノキはフタバガキ科で、樹高20~30mにもなる大木に成長し、インドのヒマラヤ山脈の麓からインド中西部にかけて分布します。群生しますので、純林をつくります。気候などの条件により日本では栽培は無理です。日本で沙羅(双樹)といわれている樹は、ナツツバキと言って、全く別物です。

花は非常に小さく、五裂の花弁を持ち、淡黄色で、粟(アワ)が吹いたように枝が見えなくなるほど樹木全体を覆う様に咲き、芳香を放ちます。材質は堅牢です。

 

 

余談  朝顔物語

朝顔物語は、江戸時代の天保年間に成立したお芝居で、文楽や歌舞伎、講談などで庶民におなじみのお話です。文楽・歌舞伎では「生写朝顔(しょううつしあさがおばなし)」という題名になっています。すれ違い恋愛物語の極致ですが、最後はめでたし めでたしで終わります。物語が江戸時代ですので、利休の朝顔には関係ありません。念のため。

 

 

余談  加賀千代女

朝顔の俳句で有名なもの

あさがおや つるべ取られて もらい水   加賀千代女

この句には千代女の朝顔への優しい心遣いが感じられて婆の好きな俳句の一つです。

これも江戸時代の俳句なので、利休には縁がありません。残念

 

 

 

 

 

この記事を書くに当たり下記の様に色々な本やネット情報を参考にしました。

源氏物語 瀬戸内寂聴訳」 「源氏物語 秋山虔著」 「古典新訳シリーズ 枕草子 簗瀬一雄監修/榊原邦彦著」 「古典新訳シリーズ 方丈記(全)  簗瀬一雄監修/野崎典子著」  ネット上の情報で  「Wikipedia 朝顔(源氏物語)」        [源氏物語]朝顔の姫君は光源氏を拒んだ唯一の人 一万年堂ライフ 常田正代(ときだまさよ)」  「世界大百科事典 平凡社」 

「なぜ利休は、秀吉が心待ちにした「庭の朝顔」をすべて摘み取ったのか 末永幸歩」 「6月の法話集 ~利休と一輪の朝顔」龍昌寺」 「利休の死」野澤道生」 「花のお話その6 千利休豊臣秀吉一輪の朝顔」 「戦国武将の愛読書 宇宙歴史自然研究機構」 「コトバンク」 「地域の出している情報」 「観光案内パンフレッド」 「植物関係の情報」等々。

その他に沢山の資料を参考にさせて頂きました。有難うございます。