式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

197 茶花総覧(2) 春(あ行~さ行)

春。草木は芽生え、鳥たちは恋をし、虫は活発に動き始めます。茶花(ちゃばな)の世界も多種多様に広がり、その数も爆発的に増えています。ここでは、伝統的な茶花ばかりでなく、茶花に向かないのではないか、と思われる異質の草木まで取り上げたいと思います。何しろ、どんどん園芸品種が増え、外国産の花も入ってきます。それらの植物が当たり前に見慣れたものになり、日常に融け込んでおり、「和」へ線引きが怪しくなってきています。南国産の葉を和の花に添えたりするのも有りだったりします。茶花の間口を少し開き、新しい時代への対応としたい、と思います。

 

前号に引き続き、茶花を下記の通り列挙して行きます。列挙の約束事は前号に準じます。

季節  花1月~3月  とあるのは開花時期が1月~3月の意味です。

    実5月~6月 とあるのは実をつける時期が5月~6月の意味です。

樹高  低木は   アジサイ、サツキ等々の樹高に近いもの

         中木は   ウメ、キンモクセイ   〃  〃  〃

    小高木は  中木と高木の間の樹高  〃  〃  〃

    高木は   イチョウ、ヒマラヤ杉  〃  〃  〃 

毒表示 有毒表示は注意喚起の意味で赤字にしております。

              有毒は、明確な有毒成分があり、中毒症状が出るもの。

       全有毒は、根・葉・茎・花・実・種子の全てに毒があるもの。

       根有毒は、根に有毒成分が有るもの。実有毒、花有毒も然り。

       強毒・猛毒とあるのは、その毒の強さを表す。

       ペット有毒とあるのは、犬猫家畜に有毒なもの。

有毒か無毒か確証が得られないものについては、毒表示をしておりません。アレは毒だと口伝えに言われているものについても、しっかりした論拠のないものについては、従って無表示になっております。そういう噂のある草花を扱う時は、ご自身の判断で慎重に扱って下さい。

よく「毒と薬は紙一重」と言われております。有毒とあるものでも薬になります。人体に何らかの作用を及ぼすから毒なのであり、それを利用して薬にもなるのです。

薬については赤字表示をしておりません。

グループ化

同じ科でも種類の多いものについては、全体のアイウエオ順では無く、グループ内のアイウエオ順として一纏めにしました。 [例] ウメやツバキ

① シーズン分けは、一応開花の時期に合わせています。(そうでないものも有ります)

② 茶花としての適期は必ずしも開花時期とは一致していません。枝ものや紅葉、新緑、蕾の時期など、用いる適期がそれぞれに違うからです。

なお、開花時期が分からない観葉植物については、夏の項に記載する予定です。(涼し気に夏を演出しそうですから。)

 

                         茶  花  総  覧  (2)

カタカナ植物名(漢字表記)(別名)  科  属

開花期 花色 樹相草相 実の時期 毒性有無 その他

 

アケビ(木通(もくつう←漢名))(山姫)(山女)   アケビ科  アケビ属    

花4月—5月。  淡紫色・紫・白。 芽生えと同時に花を咲かせる。花と見えるのは実は咢(がく)。雌雄同株。つる植物3~7m。巻は左巻き。五葉のアケビと三葉のアケビが有る。 果実期9-10月。  薬(サポニン(アケボシド)・利尿作用・眼・耳・鼻・口・肛門・尿道の不調に効く)。    花言葉・才能・唯一の恋。

アケボノスミレ ( 曙菫 )   スミレ科  スミレ属

花3月-5月。 淡紅紫色or 紅紫色。 草丈10-15㎝。葉はハート形。日本では北海道から九州までの太平洋側の山地に分布。濃い紫色のクロバナアケボノスミレと白い花を咲かせるシロバナアケボノスミレがある。 花言葉・小さな幸せ・救い・健勝。

アザレア(西洋ツツジ) → ツツジの条を参照。次回のブログ№198「茶花総覧(3)」の「ツツジ」の条で記載予定ですので、それまでお待ちください。

アズマギク(東菊)  キク科 ムカシヨモギ

花4月-5月。 淡ピンク。八重咲。花弁の様に見えるのは一つ一つが舌状花。舌状花が円周を三重に重なって咲いている。 多年草。草丈10-30cm。  中部以北の山地の草原に分布。日本固有種。   アズマギクをミヤコワスレと呼ぶ事も有るが、ミヤコワスレとは別の花である。ミヤコワスれはミヤマヨメナを品種改良して作出した園芸品種で、舌状花は円周一列。花色は紫、葉の付き方が東菊とは違う。  花言葉ミヤコワスレと同一か?

 アセビ(馬酔木)(アシビ)  ツツジ科 アセビ

花3月-5月。 白・ピンク。鈴蘭の様な壺状の小さな花を連ねた花茎が、何本も同じ場所から房のように垂らす。常緑広葉低木。果実9月-11月。 有毒(グラヤノトキシン・アセボプルプリン・アセボイン・血圧低下・腹痛・下痢・嘔吐・呼吸麻痺・神経麻痺)。 ペット有毒(グラヤトキシン・アセボプルプリン・アセボイン・アンドロメドトキシン・神経麻痺・呼吸困難・重篤な場合は致死)。  薬(葉を煎じて殺虫剤・自然農薬。森林保護の為の害獣対策用(鹿などが嫌う為))。 花言葉・危険・犠牲・献身・清純な心・あなたと二人で旅をしましょう。                 

 アネモネ(牡丹一華) キンポウゲ科 イチリンソウ

花3月-5月。 赤・ピンク・白・青・黄・紫。一重咲・半八重咲・八重咲。草丈20~50cm。 全有毒(プロトアネモニン・汁液で皮膚炎・水疱・化膿をおこす)。 ペット有毒。 色別花言葉・赤→君を愛す。ピンク→希望。白→真実・期待。紫→あなたを信じて待つ

アブラチャン(油瀝青)   クスノキ科  クロモジ属

花3月-4月 淡黄色。葉より先に花が咲く。雌雄異株。落葉広葉樹小高木。果実10月-11月。有用材(燃料・灯油・整髪剤など))

 アマドコロ(甘野老)(キツネノチョウチン) キジカクシ科 アマドコロ属

花4月―5月。 白・緑白。お祭りの時、電線を取り回して提灯を幾つもぶら下げる様に、一本の花茎の各葉の付け根から、細長い鈴蘭様の花を下垂させる。山菜として食用可 毒草のホウチャクソウと似ているので注意。誤食による事故例有り。  薬(滋養強壮・消炎薬)。 花言葉・元気を出して・心の痛みの分かる人・気品のある行い。

アマナ(甘菜)(老鴉姑)(麦慈姑(むぎくわい)) ユリ科 アマナ属(旧チューリップ属)

花3月-5月。 白。 やせ細ったチューリップの花弁の様な花びらが6枚。球根多年草。 草丈10-20㎝。 日向(ひなた)の草地で湿り気のある土を好む。あぜ道や河川の堤防などに繁殖していたが、環境の悪化でその数を減らしている。分布は関東から近畿・四国。絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。球根食用可。 花言葉・運が向いてくる・お天気屋。

 マリリス   ヒガンバナ科  ヒッペアストルム属

花4月-6月。秋咲品種は10月。 白・赤・ピンク・淡黄・複色。花は6弁。草丈40-80㎝。球根多年草。花茎は太い。花芽と葉が同時に育ち始め、花茎が真っ直ぐ伸びて柱頭に2~4個のユリの様な花をつける。葉は厚手で剣状。原産地・中南米西インド諸島。 全有毒(リコリン・嘔吐・下痢・血圧低下・肝障害)。 ペット全有毒(リコリン・嘔吐・かぶれ・中枢神経麻痺・重篤の場合は致死)。 花言葉・輝くほどの美しさ。

アリッサム  アブラナ科  アレチナズナ属(アリッサム属)

花3月-5月。 白・ピンク・黄・紫・茶。 ナズナ(ぺんぺん草)のような小さな花がまるく集合して咲く。草丈10-15㎝。花言葉・美しさに優る価値・優美・飛躍。

 

 

イガフウ(伊賀楓)(イガ楓樹)  フウ科 フウ属

花は春。落様高木。樹高およそ20m。カエデの葉は7つに裂けているが、フウの葉は3つに裂けている。秋に小さな栗のイガの様な実をつける。紅葉が美しい。

イカリソウ(錨草)(サンショクソウ)(カンザシグサ) メギ科 イカリソウ

花4月-5月。 淡紅紫色。草丈20花言葉~40cm。船の錨の様な形の花。多年草。食用可。薬(イカリイン・マグノフィリン・精力剤・利尿・鎮静)。  ペット有毒(イカリイン・マグノフィリン・異常興奮・睡眠障害)。  花言葉・あなたを離さない。     

イキシア(槍水仙)   アヤメ科 イキシア属

花4月-5月。 白・ピンク・オレンジ・赤・黄・紫・複色。花弁6枚。真っ直ぐ立った花茎に、数輪、又はそれ以上に花が付き、穂状花序となす。球根多年草。草丈30-80㎝。原産地・南アフリカ。 花言葉・誇り高い・ひめた恋・団結して当たろう。

(※ 花序とは花の付方・並び方を言う)。

(※ 穂状花序(すいじょうかじょ)とは、一本の茎に間隔をあけて途中から先端まで花が付いている並び方を言う。花は柄を持たず、直接茎に付いている)。

イチイ(一位)(笏の木)(アララギ)他別名多数  イチイ科  イチイ属

花3月-4月。 果実9月-10月。神官が持つ笏を作る材。仁徳天皇がこの材に正一位の位を授けたので、イチイと言う名前になったと言われている。実は赤くお椀型・中に種子がある。果肉は食用可。但しその他は全強毒(タキシン・痙攣・呼吸困難・致死)。 ペット全有毒(タキシン・果肉は食可ですが、中の種が特に有毒。痙攣・呼吸麻痺。)小型犬ならば種一粒でも危険。鳥は実を食べても、種を糞として出してしまうので影響はない。枝物としてイチイを花生けに活ける時はペットにご注意を。

イチリンソウ(一輪草)   キンポウゲ科  イチリンソウ

花4月—5月。 白。花茎の先端に一輪の花を咲かせる。花の径は約4cm。但し、白い花と見えるのは咢(がく)。葉茎の先に春菊の様な葉を三つ輪生させる。草丈20~30cm。多年草。落葉広葉樹林の林縁や林床に育つ。夏になると枯れて休眠する。全有毒(アルカロイドのプロトアネモニンやアネモニンを含む。胃や腸の炎症・嘔吐・下痢。汁液で皮膚水疱を来す)。  花言葉・追憶・真実・期待・希望・久遠(くおん)の美。

イヨミズキ(伊予水木)(日向水木) マンサク科 トサミズキ属

花3月-4月。淡黄色。総状花序。葉に先立って1~2個の花がまとまって垂れ下がる。落葉広葉樹。樹高約2m。季語・春。 花言葉・思いやり。

(※ 総状花序とは、藤やナズナ(ペンペングサ)の様に、花茎の途中から咲き始めた最初の花から茎の先端まで、円錐や円筒形になって順番に花が咲いていくタイプを言う。総状花序の花にはどれ花柄が付いている)。

 イワカガミ(岩鏡)   イワウメ科  イワカガミ属

花4月-7月。 淡紅色。 草丈10~20cm。北海道・本州・四国・九州の山地~亜高山地帯に分布。常緑多年草。葉に光沢有り。花は小さく、花弁の先端は細かく裂けている。種を採って栽培し、販売する店も有るが平地では育成が難しい。 乱獲防止に努めたい種である。 花言葉・美に忠実。

 イワナシ(岩梨) ツツジイワナシ属

花5月-6月。ピンク。花は筒状釣鐘型で、花の縁が5裂。花の長さは1-1.5cm。  総状花序。草丈は上に伸びず地を這う。常緑小低木。山地の岩場や小石などの広がる土地、林の縁などに分布。茎の長さ10~20cm。果実7月。食用可。花言葉・恋の噂・風聞。

イワヤツデ(岩八手)  タンチョウソウを参照  次回のブログ№198「茶花総覧(3)」の「タンチョウソウ」の条で記載予定ですので、それまでお待ちください。

 

ウグイスカグラ (鶯神楽)(ゴリョウゲ)(グミ) スイカズラ科 スイカズラ属          

花4月‐5月。桃色。ラッパ型の花で小さい。花の縁は5裂・葉が出始めると同時に開花する。株立ちの落広低木。果実6月。実は可食。 猛毒のヒョウタンボクに似ているので注意。誤食の例有り。 花言葉・未来を見つめる・明日への希望。

 

エビネ(海老根)(蝦根)(山宇波良)(鈴振り草)(唐欄)   ラン科 エビネ

花4月-5月。咢片と側花弁は赤褐色・褐色・黄褐色・緑褐色。唇弁は白又は薄紫紅色。常緑多年草。草丈約20㎝。エビネ、キエビネ、キリシマエビネ、オオキリシマエビネ、サルメンエビネ、ナツエビネ、ツルラン、オナガエビネ、ヒロハノカラン、トクサラン、レンギョウエビネ、タガネラン、キソエビネ、キンセイランの、これらのエビネ属の全てが絶滅危惧種に指定されている。かつてエビネブームがあり乱獲された。数が少なくなりますます高騰、投機的に売買された時機があった。エビネは山奥の風情を湛え、侘びの世界そのものの様な花だが、やはり野に置けエビネソウ、である。 春の季語。 花言葉・気取らぬ魅力・謙虚な恋・

 エンレイソウ(延齢草) シュロソウ科 エンレイソウ

花4月-6月。白・茶・ピンク。花は3弁、葉も3葉。多年草。草丈20~30cm。落葉する。低山から中程度の山の落葉樹林に生育。栽培が困難なので山採りのものが多く、自家栽培ならとも角、乱獲を防ぐ意味でも茶花に使用しない方が望ましい。全有毒(タキシン・トリリン・サポニン。嘔吐・下痢・血便・酩酊)。薬草(悪いものを食べた時の吐瀉(としゃ)促進剤)。北海道大学の校章のデザインの元。

 

オウバイ(黄梅)(迎春花)(金梅)   モクセイ科  ソケイ属

花2月-4月。 黄。 落葉低木。 葉が出る前に、1-2mの細長い枝に黄色い6弁の花を沢山咲かせて枝垂(しだ)れる。原産地・中国。 漢方薬(花は乾燥させて煎じ解熱・利尿。葉は内服又は外用で腫毒悪瘡・打撲傷・出血の治療薬)。 花言葉・控えめな美。

オガタマノキ(小賀玉の木)   モクレン科  オガタマノキ

花3月-4月。 白・花の基部が淡紅紫色。花の直径は2-5㎝。花弁6枚・咢6枚。花の形はモクレンに似る。葉は長楕円形でクチクラが発達して厚く、長さは8-14㎝くらいになる。   常緑広葉樹高木。関東より南部の温かい海辺からフィリピンまでが分布域。日本の神社はこの木を神聖視している。天岩戸の前でこの木の枝を持って踊ったら、天照大神が岩戸から出て来た、という神話がある。  花言葉・甘い誘惑。

(※ クチクラは、表面を守る為に発達した膜で、植物の場合は蠟を主成分としている。その為、葉の表面がつやつやしている。例:ツバキの葉)。

オキナグサ(翁草) キンポウゲ科 オキナグサ

花4月-5月。花弁にみえるのは実はガク(咢)で、色は暗い赤紫でユリの花状。大きさはお猪口ぐらい。草丈30~40cm。うつむいて咲き始め、やがて上を向く。果実は成熟すると白くて長い毛が生え密生する。全有毒(プロトアネモニン・ラナンクリン・汁液で皮膚炎・腹痛・嘔吐・血便・痙攣・重篤の場合致死)。薬草(下痢・閉経)。絶滅危惧Ⅱ類。

オドリコソウ(踊子草)   シソ科  オドリコソウ属

花3月-6月。 白・ピンク。 合弁花。花の長さは3㎝。花の形は上の方が裂けて唇弁となり、傘をかぶったように上に翳(かざ)されている。花は葉が出る節毎に茎をぐるっと取り囲んで咲く(輪生)。茎は四稜あって角ばっている(角柱の形)。葉はシソの葉(大葉)に似ている。葉は対生。多年草。草丈30-50cm。 北海道から九州、朝鮮半島から中国まで分布。 食用可。 薬草(乾燥したものを入浴剤にする。腰痛)。 花言葉・陽気・愛嬌・快活・春の幸せ。

 

ガーベラ(花車)  キク科 ガーベラ属

花4月-9月。真夏は花の期間を中断する事も有る。暖かい地方ならば11月頃まで咲き続ける。 赤・オレンジ・黄色・ピンク・白・等々多彩。 アフリカ原産。熱帯アジア・温暖な地域に分布。野生種で40種類。園芸品種で2.000種以上有る。一重咲・半八重咲・八重咲・カール咲・スパイダー咲(花弁が細い)。花の直径で超ミニサイズ(3cm)・ミニサイズ(4cm)・大輪サイズ(12cm)などがある。草丈30~80cm。宿根多年草。 色別花言葉・赤は燃える神秘の愛、オレンジは神秘、黄色は究極美・友情、ピンクは前進、白は穢れなき心。

 カタクリ(片栗)(カタカゴ)(春の妖精)等々別名多数 ユリ科 カタクリ属   

花3月-6月 花は薄紫・淡桃色・白。花茎の先端に下向きに、花弁を強く反り返して咲く。草丈10~15cm。宿根多年草。日本原産。果実5~6月。種子落下後地上部は枯れる。地上で姿が見られるのは4~5週間と言われている。後は地下生活をしている。その為、光合成をして地下の根に栄養を蓄える時間が少なく、一人前に栄養を充実して発芽し、花を付ける迄に8‐9年かかる。種は蟻(あり)によって運ばれる。食材の片栗粉は本種の根から採取(但し、現代はジャガイモやサツマイモから作る)。薬用(滋養・腹痛止め)。ジャガイモやサツマイモ由来の片栗粉には、その効果が無い。各地に天然記念物の群落がある。又、15都道府県で、絶滅危惧種重要保護生物絶滅危惧種などに指定されている。 野の花のカタクリは採らずに野に置きましょう。  花言葉・初恋・寂しさに耐える。

カラシナ(芥子菜)  アブラナ科 アブラナ属 

春4月。黄色。草丈1~1.5m。河川敷や土手に群生して黄色い菜の花畑を作る事がある。緑黄色野菜。栄養豊富。中央アジア原産。中国を経て日本には平安時代以前に伝来。食用には20~30cmくらいの背丈の時が食べ頃。辛み成分シニグリンを含む。種子は辛し(和からし)の原料。高菜漬けに使われる高菜はカラシナの変種で、カラシナよりも葉が広くて大きい。  花言葉・平静・無関心・冷淡・小さな幸せ。  

 カランコエ(子宝弁慶草)  ベンケイソウ科  リュウキュウベンケイソウ属(カランコエ属)

花1月-5月。 赤・黄・白・ピンク・オレンジ。一重咲き・八重咲。枝の先に小花が集まってまとまって咲く。常緑多年草多肉植物。草丈10-50㎝。ペット有毒全草(特に犬)(強心配糖体ブフォジェノラリド・嘔吐・下痢・震え・流涎・心拍異常・重篤の場合致死)。子牛体重1㎏当たり花7gが致死量と言われている。 花言葉・あなたを守る・沢山の小さな思い出・大らかな心。

 カリン(花梨)(唐梨(カラナシ))  バラ科 カリン属

花3月-5月。白・淡紅色。落様広葉樹小高木~中高木。原産地・中国東部。果実10~11月に熟す。形は洋梨に似る。果実食用可。但し堅いので果実酒や砂糖漬等。材質は堅くて緻密。職人泣かせである。座卓や床柱・彫刻などに利用。   薬用(疲労回復・咳止め)。  花言葉・努力・唯一の恋・努力。

 

キイチゴ(木苺)  バラ科  キイチゴ

花3月-4月。 白。 キイチゴと言っても種類が沢山ある。モミジイチゴナワシロイチゴ、カジイチゴ、クサイチゴ等々。ヘビイチゴバラ科でキジムシロ属。ヘビイチゴは別名ドクイチゴと呼ばれているが毒性は無い。

 キブシ(木五倍子)(キフシ)(コメフジ)   キブシ科  キブシ属 

花3月-4月。雄花淡黄色。雌花浅緑色。雌雄異株。落葉広葉樹低木。日本固有種。山地や明るい林などに生育。花は鈴蘭の様な形で、離弁花である。花弁4枚・咢4枚の5~8㎜の小さな花の総状花序。キブシの花は葉に先駆けて開花。円筒形の花序で、4~10cm位の花の房を下垂する。果実6~7月。  花言葉・待ち合わせ・出会い。

(※ 離弁花とは花弁が一枚一枚離れている花の事を言う。←対語→ 合弁花。合弁花は朝顔の様に、蕊(しべ)を取り囲むように花弁が切れ目なく繋がっている花を言う)。

 

クサソテツ(こごみ)   コウヤワラビ科  クサソテツ属 

シダ植物。クサソテツの新芽はその先端が渦を巻いている。これを「こごみ」と言って、この丸まっている部分を山菜として食用にする。柔らかく美味しい。山の中の半日陰の湿った場所や、草原、渓流沿いに生育。又、農家などで栽培もされている。原産地・アジア東部・北米・ヨーロッパ。 花言葉・健常。

 クマガイソウ(熊谷草)  ラン科  アツモリソウ属 

花4月-5月。 黄緑色に紫の斑点。花は一見5枚の花弁で成り立っている様に見える。が、花弁と呼べるのは3枚である。真下にあって袋状のものが唇弁、その両脇に左右に手を広げる様にあるのが側花弁。これが花弁に相当する。真上に在って傘をさしかけている様なのが咢で背咢片、背咢片の反対側にあって唇弁を後ろから守る様にあるのが合咢片である。合咢片は2枚の額がくっ付いて1枚になってしまったもの。目いっぱい開いた扇状の葉が2枚、向き合って花茎に付いている。扇子の骨と同じ様に放射状に葉脈が広がっている。草丈20-40㎝。唇弁が母衣(ほろ)武者の母衣の様な形をしている。名前は平家物語に出て来る熊谷次郎直実に由来する。山地の樹林・特に杉林や竹林の下に生育。乱獲でその数を激減させている。栽培が極めて難しく、保護団体が丁寧に育てても育たず全滅、団体は解散したというエピソードが有る。絶滅危惧種Ⅱ類。 侘びた茶室に似合う花だが、ゆめゆめ床には飾らないように。武士の情けじゃ、切らずに野に置け。切れば直実が泣く。 花言葉・みかけだおし・気まぐれな美人・闘志。

 参考までに。源氏の武者・熊谷次郎直実に敗れた平家の若武者・平敦盛(たいらのあつもり)の花も有る。クマガイソウと同じく母衣(ほろ)武者の様な姿をしており、ラン科の植物、名前はアツモリソウ。1997年に特定国内希少野生動植物種に指定され、例外を除き、アツモリソウを採取すると1年以下の懲役又は百万円以下の罰金に処せられる。例外とは、環境大臣農林水産大臣に許可を得て、研究栽培繁殖に関わる者である。繁殖は非常に難しいらしい。無菌状態で栽培しても温度管理が難しく、数々の壁が立ちはだかっているとか・・・

クロモジ(黒文字) クスノキ科クロモジ属

花3月‐4月。 淡黄緑色 葉が出ると同時に花が咲き始める。落葉広葉樹低木。明るい林の斜面や雑木林に生育。雌雄異株。樹全体に芳香がある。若枝は緑色だが、次第に黒い斑紋が出で来る。黄葉する。爪楊枝・箸・クロモジ油などに利用。薬用(抗ウィルス作用・保温・健胃剤・入浴剤(肩こり・腰痛・関節痛に効果))等々。 花言葉・誠実で控えめ

 クリンソウ(九輪草)  サクラソウ科  サクラソウ

花4月—6月。 紅紫色・ピンク・白。 花の形はサクラソウと同じである。真っ直ぐ立つ花茎を中心に、五重塔の天辺に付いている九輪の様に、段々になって花をつける。サクラソウより草丈が大きく(30-90㎝)華やかなので、植木鉢などでよく栽培されている。 北海道・本州・四国・台湾に分布。有毒(プリミン・アレルギーを引き起こす)。 ペット有毒(アセトアルデヒト・アセトン・エチルアルコール・クロロゲン酸・メチルアルコール。嘔吐・下痢・腹痛・発熱・呼吸困難・重篤の場合は致死)。生薬(サポニン・フラポン・鎮咳・去痰・腫物)。 花言葉・物思い・幸福を重ねる・物覚えのよさ・少年時代の希望。

クンシラン(君子蘭)  ヒガンバナ科 クンシラン属(クリビア属) 

花3月-5月。 オレンジ・黄・緑。 多年草。6弁の花弁をラッパ型に咲かせ、基部は癒着。花の先は丸味を帯びている。散形花序。草丈30~50cm。 葉は堅めの剣形。原産地・南アフリカ。 有毒(リコリン・大量に経口摂取すると催吐・重篤の場合は致死・昔、矢毒に用いた)。 ペット有毒(リコリン・嘔吐・下痢・ヨダレ・中枢神経麻痺・重篤の場合は致死)。 薬(生薬名・石蒜(せきさん)・リコリン・ガランタミン・鎮咳・降圧・催吐)。 花言葉・情け深い・誠実。

(※ 散形花序とは、ネギ坊主の様に花茎の先端に幾つもの花を纏めてつけるスタイルの花のこと)

 

ケシ(芥子)   ケシ科  ケシ属 

花4月 — 6月。 栽培・採取不可。活け花厳禁。非常に危険です。

敗戦後、焼け野原の東京にボツボツとバラック建ての家が建ち始めた頃、空き地の草原に美しい花が咲いていました。子供の婆はそれを摘み取って花瓶に挿しました。花瓶の傍に金魚鉢が置いてあり、その花びらが金魚鉢の中に一枚落ちました。たちまち金魚は死んでしまいました。訳が分からず大泣きした事を覚えています。後で、お巡りさん達と白い上っ張りを着たおじさん達が来て、その花々を根こそぎ取って、何処かへ持って行ってしまいました。母に聞いたら、あれが「ケシ」と言う花だと教えてくれました。トラウマと共に牡丹の様に美しかったケシ花の姿を今でも思い出します。

ケマンソウ(華鬘草)(鯛釣草(たいつりそう))(藤牡丹)等々  ケシ科 ケマンソウ

花4月‐5月。 ピンク・白。草丈40-80cm。花は鈴蘭の様に花茎から並んで垂れ下がっている。花の形が独特。鯛 or ハートがぶら下がっている様な花の形である。山野草。落葉する。葉は牡丹に似る。山奥の谷川の湿った地に自生している。全毒草(コブチシン・体温低下・嘔吐・縮瞳・徐脈・呼吸麻痺・心臓麻痺・重篤の場合致死)。 ペット毒草(プロトピン・中枢神経阻害・ふらつき・呼吸不全・心臓麻痺)。 花言葉・恋心・あなたに従う。

 

コゴミ  クサソテツを参照

コデマリ(小手毬) バラ科 シモツケ

花4月—5月。白。白い小さな花が毬の様にまとまって咲く。落葉広葉樹低木。樹高およそ1.5m位。ユキヤナギの様に枝は細く、枝垂れる。 花言葉・友情・努力・優雅・品位。

 コブシ(辛夷)(別名多数)  モクレン科  モクレン

花3月-4月。 白・花の根元がピンク。 葉に先立って花が咲く。花弁は6-9枚。花弁の1枚の長さは4-5㎝・花の直径は6-10㎝。北海道のコブシの花は本州のよりも一回り程大きい。落葉広葉樹高木。樹高5―20m。 枝や葉に芳香がある。果実は集合体となってゴツゴツした形になる。生薬(コクラウリン(アルカロイド)・鎮静・鎮痛・抗炎症作用・頭痛薬・鼻炎薬)。有用材(精油)。 花言葉・友情・友愛・歓迎。

 

ザイフリボク(采振木)(四手桜)  バラ科 ザイフリボク属

花4月-5月。 白。花弁5枚。果実9-10月。落葉広葉樹小高木5~10m。細長い花弁が枝先にまとまって咲く。その様子が、武将が持つ采配に似ている事から、采振りの名前が付いた。又、神事で使う玉串や注連縄(しめなわ)に垂らして使う紙垂(しで)(四手)に似ているから、とも言われている。アメリカザイフリボクの花期も4—月5月だが、果実期が6月で実はジューンベリーと言われてジャムなどになる。  花言葉・穏やかな笑顔・穏やかな表情。

 

サクラのグループ     バラ科 サクラ属

「サクラ」というのは何々ザクラと言うサクラのグループの総称である。

公益法人日本花の会がインターネットで出している桜図鑑には、400種類の桜がアップされている。この図鑑に載っているのは自生種、自然交雑種、園芸品種などを合わせた総数である。別の公益法人日本さくらの会では、これらの基となった野生種のサクラ10種を基本樹として選んでいる。

桜切るバカ梅切らぬバカと言われている。茶花に桜を推すのは不適当かも知れないが、切り花用に栽培されている桜もある。文学に、雅の暮らしに、武士の生き様に、桜は古来より日本人に深く馴染みのある花なので、昔の人が見たであろう日本さくらの会の推す自生種10種のサクラをここに記す。そして、切り花用として農業生産されているサクラを、それに続けて挙げる。

サクラ基本樹① エドヒガン(江戸彼岸・彼岸桜)  バラ科  サクラ属

花3月-4月。 薄紅色から白。 一重咲。花弁5枚。葉より花が先に咲く。咢の付け根が丸く膨らんでいる。落葉広葉樹高木。長寿の樹が多い。神代桜淡墨桜醍醐桜石割桜三春滝桜等々みなエドヒガンである。

 サクラ基本樹② オオシマザクラ(大島桜) バラ科 サクラ属

花3月-4月上旬。 白。一重咲の大輪。花弁5枚。芳香有り。伊豆諸島・関東南部・静岡が生育圏。突然変異をし易い。多くの交配の親樹となっている。伊豆大島の山の北東部にある大島桜は天然記念物に指定されている。葉は桜餅に利用される。落葉広葉樹高木。

 サクラ基本樹③ オオヤマザクラ(大山桜)(紅山桜)(蝦夷山桜) バラ科 サクラ属

花4月—5月。淡紅色。一重咲。花弁5枚で中輪から大輪まである。花柄が短い。葉より花の開花が先。若葉は赤い。落葉広葉樹高木。冷温帯を好む。北海道・本州・四国の日本海側。

サクラ基本樹④ カスミザクラ(霞桜)   バラ科 サクラ属

花4月下旬。 ほんのりピンクor白。 一重咲き・中輪。 花と葉は同時に展開。若葉は緑色。 冷温帯を好む。 北海道から九州・中国・朝鮮半島に分布。 標高のやや高い山などに生育。山野の緑が茂り始めてからの開花なので目立たず、それで「霞」という命名らしい。

サクラ基本樹⑤ カンヒザクラ(寒緋桜)(元日桜)(緋寒桜)(台湾桜) バラ科 サクラ属

花1月-2月。 濃紫紅色。 一重咲き・中輪。 花は釣り鐘状で下向きに付き花柄ごと落下。落葉広葉樹中木。河津桜の片親。

サクラ基本樹⑥ タカネザクラ(高嶺桜)(峰桜) バラ科 サクラ属

花5月-7月。 淡いピンク~白。花弁5枚。落葉低木-小高木(2~8m)。 千島列島・北海道・東北・中部山岳地帯に分布。ナナカマドやダケカンバと共に亜寒帯に生育。風の強い所では背が低くなる。奈良県絶滅寸前種(絶滅危惧Ⅰ類に相当)、埼玉県の絶滅危惧Ⅱ類に指定されている。

サクラ基本樹⑦ チョウジザクラ(丁子桜)  バラ科 サクラ属

花3月-4月。 白・ほんのりピンク。一重咲・小輪。花弁5枚。まばらに咲き花は小さく咢筒が長いので、遠目にはあまり目立たない。落葉広葉樹中木(7m前後)。 株立ち。東北南部から南の太平洋側・九州の熊本山地に自生。

サクラ基本樹⑧ マメザクラ(豆桜)(フジザクラ)(ハコネザクラ) バラ科 サクラ属

花3月-5月。 白・ほんのりピンク。一重咲き・花弁5枚。花は小さい。開花が先で若葉は後かまたは同時。広葉落葉樹中木(2m-10m)。 富士山や箱根・山梨県を中心に標高千メートル以下の山に自生。

サクラ基本樹⑨ ヤマザクラ(深山桜)(白桜)  バラ科 サクラ属

花5月―6月。 白。一重咲・花弁5枚。拓葉から花茎が伸び、花茎から総状花序で4~8本の花柄が出て、花柄の先に花をつける。他の桜とは違った構造をしている。(ソメイヨシノは一か所から3~5本の花柄を出して花をつける散形花序だが、ミヤマザクラは拓葉の先がルピナス様の総状花序の花の付き方で咲く)。花は葉の後に開花。落葉広葉樹高木。北海道・本州・四国・九州の山・亜高山帯に分布。中国東北部朝鮮半島・ロシア極東部にも生育している。

サクラ基本樹⑩ ヤマザクラ(山桜)  バラ科  サクラ属

花3月-4月。 白・ほんのりピンク。一重咲き・花弁5枚・中輪。 若葉の色は赤・赤紫・褐色・黄緑・緑など個体によって変化に富む。開花と共に葉も出て来る。落葉広葉樹高木。古来から親しまれていた。肥沃な土地で日向が好き。生薬(桜皮(おうひ))(サクラニン・サクラネチン・ナリンゲニン・解毒・解熱・鎮咳・蕁麻疹・腫物などの皮膚病)。葉は桜餅の材料。有用材(家具・細工物・版木など)

以下は花材などの為に生産されているサクラの品種

サクラ①  カンザン(orセキヤマ)(関山)   バラ科 サクラ属

花4月-5月。 ピンク。 八重咲・大輪で場合によっては花の大きさが5㎝を越える。 病害虫に強い。葉は赤茶色。落葉広葉樹小高木。ソメイヨシノの散った後に咲き始める。公園や街路樹に良く植えられている。切り花用や、花を桜の塩漬け用にも使う。

サクラ②  ケイオウザクラ(啓翁桜)  バラ科 サクラ属  

花12月-3月。 花は薄紅色から気温の上昇に従って白へと変化して行く。樹は株立ちで、根元から何本も枝が生える。主な生産地山形県では地域の気候の特性を生かし、桜が落葉して、休眠に入ってから気温8℃の寒さに500時間晒した後、温室に入れ、温度管理をしながら需要に合わせて出荷する。

サクラ③  トウカイザクラ(東海桜)  バラ科 サクラ属

花3月中旬。 薄いピンク。 一重咲き・小輪・花弁は5枚。開花後に葉が出る。落葉広葉樹小高木。樹形はほうき状。ケイオウザクラの実生から選抜された品種で、当初は敬翁桜の名で販売された。 挿し木と接ぎ木で殖やす。花の様子はケイオウザクラに似ている。庭木・公園などに利用。切り花用の栽培も盛ん。

サクラ④  ヒガンザクラ(彼岸桜)(小彼岸)(小彼岸桜)   バラ科 サクラ属

花3月-4月。 薄いピンク。一重咲き・小輪・花弁5枚。 春の彼岸の頃に咲く。本州・四国・九州に分布。落葉広葉樹高木。樹形は傘状。 切り花用に促成栽培がおこなわれている。

 サクラ⑤  ヨウコウザクラ(陽光桜)(紅吉野)   バラ科 サクラ属

花4月上旬。 紅紫色。一重咲き・大輪。 アマギヨシノとカンヒザクラとの交配で生まれた。1981年(昭和56年)に品種登録される。落葉広葉樹高木。花付も能く見ごたえのある品種なので、人気が有り、公園などに良く植えられるようになった。切り花用にも栽培される。

余談  学校の先生だった高岡正明は、戦死した教え子達の為に各地に桜を贈ろうと一念発起、25年の歳月を掛けて気候や病気に強い品種の「陽光桜」の作出に成功した。陽光は祈りの桜である。

 サクラ⑥  ヨシノザクラ(吉野桜)  バラ科 サクラ属

花 白。 直線的な枝のケイオウザクラに比べて、ヨシノザクラの枝には曲がりがあり、力強い趣がある。山形県福島県・茨木県が、桜栽培が盛んな県である。

 

サクラソウ(桜草)  サクラソウ科 サクラソウ

花4月—5月。淡紅色。江戸時代から明治にかけて園芸品種が盛んに作られ、白・紫・ピンク絞りなどが有る。 多年草。草丈15‐20㎝。茎や葉に白い毛が生えている。花が終わって種を作った後、梅雨の頃に枯れて休眠する。原野や林間の湿った所に生育し、群落を作る事も有る。園芸品種では西洋サクラソウプリムラマラコイデス、 プリムラ・オブコニカ、 トキワザクラなどが有る。日本サクラソウが群生している数少ない但馬ヶ原サクラソウ自生地(埼玉県さいたま市桜区)は国の特別天然記念物に指定されている。絶滅危惧種である。 トキワサクラソウ(=プリムラ・オブコニカ)は全有毒(プリミン(サポニン・フラボン)・急性期には接触性皮膚炎・灼熱感・疼痛・紅斑・浮腫・水疱、慢性では表皮の肥厚・苔癬化)。薬草(サポニン・利尿・去痰・鎮咳(サポニンには溶血作用が有るので注意)(フラボン・消炎・創傷・浮腫に効用)。 ペット有毒(プリミン・シクラミン・かぶれ・皮膚炎・口内炎・嘔吐・麻痺)。 花言葉・少年時代の希望・初恋・純潔・早熟と悲哀・運命を開く。                       

サンシュユ(山茱萸)(春黄金花)(秋サンゴ) ミズキ科 ミズキ属

花3月-4月。鮮黄色。葉に先立って花が咲く。小さな枝先に散形花序で咲く。果実10月-11月。広葉落葉樹小高木。秋にグミの様な赤い実をいっぱいつける。生薬(リンゴ酸・カリウム・タンニン・酒石酸等々・強壮剤・止血・頻尿・収斂・冷え性低血糖不眠症)。食用可・果実酒・ジャム。原産地・中国・朝鮮半島。 花言葉・耐久・持続。

(※ 散形花序とは、ネギ坊主やヒガンバナの様に、枝や花茎の先端から放射状に花がつく形を言う)。

 

シジミバナ(蜆花)(コゴメバナ)   バラ科 シモツケ

花4月-5月。 白。八重咲。落葉広葉樹低木。樹高1-3m。同科同属のユキヤナギとよく似ている。枝に沢山花を着けて枝垂れる。雪柳は一重で蜆(しじみ)花より先に咲き、蜆花は八重でそれより遅れて咲く。 花言葉・控えめだが可愛らしい。

シデコブシ(四手辛夷)(ヒメコブシ)   モクレン科  モクレン

花3月-4月。 白・淡紅色。花弁はおよそ10~20枚くらいで、1枚の花弁の長さは5~10cm・1枚の花の形はトンボの羽根の様。花は葉より先に咲く。落葉広葉樹小高木。愛知県・岐阜県三重県渥美半島に分布。日本固有種。絶滅危惧種Ⅱ類から2006-2007年のレッドリスト見直しの結果、準絶滅危惧に指定された。

シデザクラ(四手桜)ザイフリボク参照

モクレン(紫木蓮)  モクレン科 モクレン

花3月-4月。 花弁外側は紅紫、内側は薄紫か紅紫。広葉落葉樹低木~小高木。花が咲き始めると芽吹きはじめる。実8月-9月。花言葉・自然への愛・持続性。

シャガ(射干) アヤメ科 アヤメ属

花4月—5月。白。3枚の咢片と3枚の花弁。外花被片には紫色とオレンジ色の斑点が付いている。総状花序。草丈30-60cm。常緑。木陰ややや湿った所に自生。総状花序。中国原産。 「シャガ」を「射干」と漢字書をするが、中国の「射干」は「ヒオウギアヤメ」を指す。日本の山野に自生しているので、和花の様に見えるが、元々は外来種である。有毒(イリシン・嘔吐・下痢・腹痛・胃腸炎)。ペット有毒(イリシン・嘔吐・下痢・腹痛)。 花言葉・反抗・友人が多い。 

シャクナゲ(石楠花)(西洋シャクナゲ)  ツツジ科  ツツジ属 

花4月—5月。 ピンク・白・赤・オレンジ・黄・紫。 花一つを見るとツツジの形をしているが、それが枝先に幾つも纏まって咲き、花手毬の様になっている。葉は厚くて硬く、輪生。北半球の寒帯、亜熱帯の高山などに生育している。全有毒(グラヤノトキシン(ロドトキシン)・嘔吐・下痢・血圧低下(ショック症状に注意)・目眩・痙攣)。石楠花茶・花をサラダにして生食・外国産石楠花の蜂蜜などで中毒を起こした例がある。中国には薬用の石花茶があるが、漢字が一字違うので石楠花と石花と混同し、飲用できると思って誤飲してしまうケースが良くある。ペット有毒(ロドトキシン・嘔吐・下痢・酩酊・痙攣・呼吸停止・重篤の場合は致死)。 花言葉・警戒・荘厳・威厳。

ショウブ(菖蒲) ショウプ科(サトイモ科) ショウブ属。

花5月-7月。薄黄緑。花茎の先に肉穂花序(にくすいかじょ)をつける。端午の節句時の菖蒲湯に使う「菖蒲」は、「菖蒲」の字が付いていてもアヤメ科アヤメ属の花菖蒲とは全く別の種である。ユーラシア大陸北米大陸に広く分布。水辺を好み、芳香があり、香りが邪鬼を払うと言われている。生薬(菖蒲根)(健胃・去痰・止瀉薬として用いられ、皮膚真菌・腹痛・下痢・神経痛・リウマチ・てんかん不眠症の薬として効果があると言われている)。 花言葉・適合・勇気。

 (※ 肉穂花序と言うのは、ソーセージの様な形の多肉質の軸に、小さい花が一杯ついている花の付き方を言う。例:水芭蕉の真ん中に棒のように出ている部分。カラーやアンスリウムの中心にある角の様な突起)。

(※旧来は菖蒲をサトイモ科に分類してきたが、最近分類方法が変わり、ショウブ科に改められました。旧来の分類方法は、形態の違いを主にして分類。最近は、DNA鑑定によって分類をする様になる。新分類方法をAPG分類体系と言う。これによって、一つの植物に二つの「科」や「属」があるケースが出て来た。)

シラー(ワイルドヒヤシンス)  キジカクシ科  ツルボ属(シラー属)

花3月-6月。 白・ピンク・青・紫・複色。花弁6枚の星型。総状花序。一見ヒヤシンスの様にも見える。葉はニラかスイセンに似ている。球根多年草。草丈5―80㎝。ユーラシア大陸アフリカ大陸に分布。 ペット有毒(口内炎症・嘔吐・腹痛・下痢)花言葉・寂しさ・哀れ。

シラン(紫欄) ラン科 シラン属

花4月-5月。紫(白色も有り)。宿根草。草丈30~50cm。草地に自生しているが、自生地が減少。絶滅危惧種栽培は盛んにおこなわれている。漢方薬(止血・痛み止め・慢性胃炎)。 花言葉あなたを忘れない・変わらぬ愛・お互い忘れないように。薄れゆく愛。

シロモジ(白文字)   クスノキ科  クロモジ属

花4月頃。 黄。花は葉と共に出て来る。葉の付け根毎に小さい花が散形花序で毬のように纏まって咲く。若葉は赤味を帯びる。葉はモミジの様な形で3裂か5裂。精油を絞り、行燈(あんどん)等の油に利用。黄葉が美しい。落葉広葉樹低木。九州四国に分布。 花言葉・勇気・希望。

ジンチョウゲ(沈丁花) ジンチョウゲ科 ジンチョウゲ属。

花2月-4月。 内側白・外側赤紫。芳香有り。花弁に見えるものは咢で十字に向き合っている。花は10-20個くらいが枝先に集まって咲き、手毬の様に見える。常緑広葉樹低木。全強毒(ダフネトキシン・メゼレイン・口唇や舌の腫れ・喉の渇き・嚥下困難・悪心・嘔吐・下痢・血便・内出血・衰弱・昏睡・重篤の場合は致死)。 ペット有毒(ダフネトキシン・メゼレイン・皮膚のかゆみ・水膨れ・口腔内の水疱と浮腫・下痢・流涎・嘔吐・腹痛・腎不全・心臓障害・重篤の場合致死)。 春の季語。 花言葉・栄光・不死・不滅。

 

             

スイトピー (じゃ香連理草) (じゃ香豌豆) (香り豌豆) マメ科 レンリソウ属

花4月—6月。白・赤・ピンク・紫・オレンジ・複色。花は蝶の様な形。つる性・一年草または宿根草。草丈15-300㎝。原産地・イタリアのシチリア島有毒(特に豆とサヤ)(βアミノプロビオニトリル・神経毒・脊髄神経損傷・下半身麻痺)。ペット有毒(毒性アミノ酸・神経麻痺・歩行困難・呼吸不全・重篤の場合致死)。 花言葉・門出・別離・優しい思い出・永遠の喜び。

ストロベリーキャンドル   マメ科 シャジクソウ属(トリフォリウム属)

花4月-6月。 赤・白。 花全体は、シロツメクサ(クローバー)の花を赤く染めて、苺の形にまとめた様な姿をしている。マメ科の植物らしく、根に根粒バクテリアを持ち、地味を豊かにする。一年草・草丈15‐40㎝。原産地・ヨーロッパ。  花言葉・約束・素朴なかわいらしさ・きらめく愛・善良。

スノーフレーク(鈴蘭水仙)(オオマツユキソウ) ヒガンバナ科 スノーフレーク

花3月-4月。白。釣り鐘形。葉は水仙に似る。球根植物。草丈30-40㎝。花はスズランに似る。全有毒(アルカロイド(リコリン・ガランタミン・タゼチン)・吐き気・嘔吐・頭痛)。ニラと間違えて誤食の例が多い。ペット有毒(リコリン・嘔吐・かぶれ・中枢神経麻痺・重篤の場合致死)。 花言葉・純粋・純潔・汚れなき心・純真な心・美。

スミレ(菫)  スミレ科 スミレ属

花4月5月。紫・ピンク・白。花弁は5枚。上向きに2枚、左右に2枚、下向きに1枚の花弁を付け、やや横向きかややうつ向き加減になる。花の柄は根元から立ち、花の柄の先に一つの花をつける。花弁の後ろに密を貯める蜜壺の距(きょ)と言う出っ張りが横に張り出している。山野草多年草。草丈約10㎝。原産地・日本・中国東北部から東部・朝鮮半島。スミレは食用可。但し、パンジー・ニオイスミレは食用不可・種と根有毒(ビオリン・サポニンビオラルチン・グリコサイド・嘔吐・神経麻痺・重篤の場合心臓麻痺)。 ペット有毒(嘔吐・神経麻痺・重篤の場合心臓麻痺)  花言葉・小さな幸せ・つつましい幸福。

スモモ(李)   バラ科  スモモ属

花4月。白。 一重咲き・花弁は5枚。 葉の付け根に1-3個の白い花をつける。果実6月-9月。落葉広葉樹小高木。原産国・中国。農業栽培。食用。薬(カリウム・リンゴ酸・クエン酸・利尿作用・高血圧予防・肝機能強化・栄養)。  花言葉・忠実・貞節・独立・疑惑・甘い生活・誤解・困難。

 

セツブンソウ(節分草)  キンポウゲ科  セツブンソウ属

花2月-4月。 白。花弁に見えるのが白い咢片5枚。 花弁は蕊(しべ)と間違えるくらい小さく、一枚が二つに割れて、その先端が球状になっている。丁度カタツムリの角の様である。花は黄色。そう言う花弁が5~10本(枚)が中心部に円陣を組んで雄蕊と雌蕊を取り囲んでいる。咢片を含めて花全体の大きさは2-2.5cm。球根多年草。開花時の草丈5cm。成長して10-30cm。葉は葉脈迄深く切れ込む。冬は休眠して枯れる。関東以西の林で、石灰岩質の土などの半日陰に生息。日本固有種。可憐で風情があるので人気の山野草であり、乱獲によりその数を減らしている。絶滅危惧Ⅱ類。各地で保護されている。有毒(アコニチン(アコニチンはトリカブトと同じ毒性分)接触・摂取による症状不明)。 花言葉・人間嫌い。

 

ゼラニウム(ペラルゴニウム)(天竺葵)  フウロソウ科  テンジクアオイ属(ペラルゴニウム属)

花3月-12月。 赤・ピンク・オレンジ・白・紫・複色。一重咲き・八重咲。葉は掌状のものや切れ込みの強いもの・鋸歯など多種多様の形がある。一年草多年草。草丈20-100㎝。原産地・南アフリカ。 ペット有毒(ゲラニオール・リナロール・嘔吐・下痢・食欲不振・倦怠感・うつ・皮膚炎)。  花言葉・真の友情・尊敬・信頼・(花色によって色々)。

センダイハギ(仙台萩)(黄花仙台萩) マメ科 センダイハギ属

花4月-6月。黄色。多年草。草丈40‐80cm。秋に咲く萩は枝を長く伸ばし弧を描いて枝垂れるが、センダイハギは上に立ち昇ってルピナスの様に黄色い蝶々の様な花を咲かせる。本州中部から北海道にかけて分布。海岸などによく群落を作る。

歌舞伎・浄瑠璃の演目「伽羅仙台萩(めいぼくせんだいはぎ)」に因んで花の名前が付けられた。余談ながら、伽羅仙台萩の舞台で行われるお茶「六曲屏風点て」の装置、これは暗殺防止を目的としたもので、このお点前を式正織部流は伝承している。 花言葉・誠実・柔らかい心・純粋。

ゼンマイ(薇)  ゼンマイ科 ゼンマイ属 

シダ植物。多年草。東南アジア全域に分布。湿った土地を好み、渓流・土手・湿原・草原などに得ている。3-4月頃に丸まった胞子葉・ゼンマイを出す。ゼンマイは毛深い。ゼンマイをあく抜きすれば食用になる。灰汁(あく)抜きが必須。 ペット有毒。

(ゼンマイに似たシダ植物・ワラビ(コバノイシカグマ科・ワラビ属)には毒性があるので注意。ワラビの毒(ブタキロサイド)は血液凝固作用があり、血尿・血便・出血作用がある)。

 

 

この記事を書くに当たり、下記の様な本やネット情報を参考に致しました。(順不同)

ウィキペディア

みんなの趣味の園芸 育て方が分かる植物図鑑

井上動物病院 ペットに危険な植物・毒草図鑑(犬に危険な植物・猫に危険な植物)

厚生労働省 自然毒のリスクプロファイル:高等植物:

環境省 ペットが出会う危険な植物

東京都健康安全研究センター

公益法人日本薬学会・生薬の花

熊本大学薬学部薬用植物園 植物データベース

學校法人 東邦大学薬学部付属薬用植物園

キダチタバコ中毒の1例 名古屋第二赤十字病院救急部

武田薬品工業株式会社 京都薬用植物園

医薬品情報21 サクラソウの毒性

薬用植物園の花たち キンギンボク、シキミ他

[獣医師監修]春の散歩で注意したい10種類の花・植物

東京農業大学 カラシは辛しシニグリンとアオムシ 中西載慶

身近な園芸植物の毒性~その美しさの誘惑 千葉大学名誉教授「薬学博士」池上文雄

アイネコ 有毒植物ロベリア・煙草のような興奮作用と呼吸障害を引き起こす毒草

猫にとって毒・危険な花と植物! 食べてはいけない植物リスト 岩田麻美子

猫が食べると危険な花って? 猫にとって毒になる花・安全な花まとめ

猫に危険な植物・毒! 食べさせないで! (2) | ねこと暮らす

HiroKen花さんぽ 野山に自然に咲く花のページ クマガイソウ

itb.co.ip 犬がハナミズキの花や葉を食べてしまいました

小さな家族の為に知っておきたい植物の毒性/花卉薬草

射干を植えてはいけない3つの理由 根に毒が有って危険

シャガ[庭の草木や花々]-気まぐれ花畑

ハナラボノート 切り花で買える桜(サクラ)にはどんな品種がある? 種類・出回り

ひだまりフォト575

木のメモ帳 続・樹の散歩道 バイモの蜜を貯める部位はなんと呼ばれているのか

LOVEGREEN

コトバンク

ジャパンナレッジ

原色植物百科図鑑 集英社

学生版 原色牧野日本植物図鑑 北隆館

GKZ 植物事典

庭木図鑑 植木ペディア

花と緑の図鑑

ガーデニングの図鑑

趣味の花図鑑

さくら図鑑

公益法人日本花の会 サクラの植栽・管理

茶湯手帳 株式会社 宮帯出版社

このほかにも書き切れないほどの沢山の情報を利用させて頂きました。

まことにありがとうございました。

 

 

196 茶花総覧(1) 晩冬~早春

いま、都会に空き地が少なくなりました。なかなか山野草なるものを手に入れるのは難しくなりました。ベランダでのプランター栽培にしても場所が限られ、幾種類に分けて季節ごとに栽培するのには限界があります。茶花(ちゃばな)を専門とする花屋でさえ、田舎に出向いて集めたり、契約農家と契約して栽培をして貰ったりしています。中には自前のバックヤードを持っていてわざわざ栽培している例もあります。その様に正当に山野草を栽培している業者なら問題ありませんが、栽培と称して山野に分け入り乱獲を繰り返す輩も中にはあると、耳にした事も有ります。

 

花にはどの花にもそれぞれ物語が有ります。

桜に惹かれて桜の下で死にたいと詠った西行法師の物語、中将姫の蓮の花の物語、美しい話も悲しい話も沢山ありますが、婆がここで言おうとしている物語はそういう話では無く、ごく普通の花の、ぺんぺん草やつゆ草などが秘めている植物の物話です。

土の中に種として落ち、水や温度の時を得て発芽し、並み居るライバルたちに負けじと成長していく草花達、石を避けてぐんぐんと根を張り、成長点に覆い被さって来る他種の葉をすり抜けて、光を求めて頭角を現す、ダイナミックな生命の物語を、どの植物も持っています。そして、花を開き、実を結び、やがて役目を果たして枯れて行きます。

山野草であれ、花卉(かき)生産の花であれ、その花の物語は千差万別です。茶室の花は、その花の生涯を有るがままに活けて、自然の佇まいの美しさを引き出すことにあります。

虫食いは虫食いなりに、枯れ萎(しお)れたものは枯れ萎れたままに、命の残照の紅葉のままに、また、燃え盛る生命の輝きのままに、そこに存在する、それこそ山川草木悉皆有仏性(さんせんそうもく ことごとく みなぶっしょうあり)の心だと思います。

 

       用 語 等 備 考

 

上記を踏まえて、ここに茶花(ちゃばな)の花々を列挙して行きたいと思います。

一応季節に従って1月から12月までを順に追って挙げますが、事はそう簡単ではありません。

1月の茶花と言われているツバキは、品種によって11月頃~4月頃と、開花時期がバラけております。

また、小海老草(ベロペロネ)はメキシコ原産で開花期は5月~10月ですが、管理が良ければほぼ一年中咲いています。
マユミの花は淡緑色で地味です。開花時期は5月~6月です。秋になると果皮が割けて赤い種子が出来ます。発芽前の堅い芽の時も地味な花色の時も、秋の真っ赤な実の時、更には紅葉の時も茶花になります。このように茶花の適期が幾つにも分かれるものも有ります。それ故、一概にこの花は何月の茶花であると、決め付けられないのです。そこで、植物の様相の変化に従ってその都度記載するのではなく、開花という一点に絞って季節を揃え、開花月によって順序だてた上で、その範囲内で大まかにアイウエオ順にしました。

季節  花1月~3月  とあるのは開花時期が1月~3月の意味です。

    実5月~6月 とあるのは実をつける時期が5月~6月の意味です。

    落広 は落葉広葉樹と言う意味です。紅葉・黄葉が期待されます。

茶花として用いるのは、必ずしも開花の季節とは限りません。冬枯れて枝だけの姿を愛でて花生けに挿す時も有れば、蕾(つぼみ)を鑑賞する事もあります。新芽のみずみずしさを茶室の床に飾る趣向も有ります。この様な訳で、茶花の季節は花の時期と一致しない場合が多々有りますので、その辺、お含み置き下されば、幸いです。

樹高 都市によって、公園などに植栽する樹木の低木・高木などの樹高基準が違うのでメートル表示はせず、類似の樹種を示して、その代わりとしました。

    低木 アジサイユキヤナギ、サツキ等々の樹高に近いもの

         中木 ウメ、トサミズキ、キンモクセイ 〃  〃  〃

    高木 イチョウ、サクラ、ヒマラヤ杉 〃  〃

避花

茶花に相応しくない花として、匂いの強いもの(ユリやドクダミ)、棘のあるもの(バラやボケ)、名前が下品なもの(ヘクソカズラや女郎花(オミナエシ))、有毒なものなどがあります。出来るだけそういう花を避けるのが茶花の決まりですが、例えば水仙やスズランなどは有毒植物です。これなどは結構良く茶花に用いられています。そう言うものも取り上げました。

高山植物、入手困難な地域限定の植物、絶滅危惧種などのものについては、他で茶花として紹介されていても、乱獲防止の観点から本項では簡単な記述に留め、理由を提示しております。

 グループ化

同じ科でも種類の多いものについては、全体のアイウエオ順では無く、グループ内のアイウエオ順として一纏めにしました。 [例] ウメやツバキ

毒性 

( )内に有毒とあるのは扱いに注意を要する花を示しています。食中毒症状(下痢・嘔吐・胃腸障害・痺れ)を引き起こすものもあれば、樹液に触れて炎症を起こす物も有ります。花瓶に挿した水を誤飲して事故を起こす事も有ります。 幼児や犬猫などのペットが葉や花を口に入れて、取り返しのつかない悲劇になってしまう場合も有ります。

有毒植物は意外と身近に多く有ります。日頃の生け花で慣れ切ってしまっていないか、もう一度振り返って頂き、取り扱いが疎(おろそ)かにならない様、改めて注意喚起したいと思います。

(実有毒)とあるのは果実・種に毒が有る事を示しています。

(全有毒)とあるのは、根・茎・葉・花・実すべてに毒が有る事を示しています。

夾竹桃(キョウチクトウ)は美しい花に似ず(全猛毒)で、燃やした煙にも灰にも毒が有ります。青酸カリより毒性が強く、僅かな量で致死量に達します。

クリスマスローズは(有毒)です。下痢を発症します。昔、クリスマスローズを水源に流し、生物兵器に使いました。

 

     茶 花 総 覧 (晩冬~早春)

カタカナ植物名(漢字表記)(別名) 科と属

開花期 花色 樹相 実の時期 毒性有無 その他

 

アオモジ(青文字)(山胡椒)(山蒼樹)(ショウガノキ)   クスノキ科 ハマビワ属

花3月‐4月。 淡黄白色 落広小高木 開花は春ですが、豆粒の様な緑色の蕾が枝にびっしり付きます。それを愛でて、12月ごろから茶花に使います。精油、楊枝。花言葉・友人が多い

アカギ(赤木) コミカンソウ科アカギ属

花2月-3月。 黄緑色。樹皮は全体的に赤褐色。常緑広葉樹。樹高15m~25m。南方系の木で、台湾・南西諸島・小笠原諸島などに分布。日本侵略的外来種ワースト100に指定されている。街路樹、庭木、家具などに利用。果実は食用。

梅の字の付くグループ

ウメ(梅)  バラ科 サクラ属とスモモ属

花1月-3月。 種類によって白・桃色・赤・紅白咲分け等あり。落広小高木。実6-7。実有毒(種に青酸配合体有) 果実食用(梅干・梅酒等) 漢方薬(烏梅)(下痢や腹痛等の薬) 花言葉・気品・高潔・忍耐・忠実・美・長寿・約束を守る。

なお、②のオウバイ(黄梅)(迎春花)(金梅)、 ④のソシンロウバイ(素心蝋梅)、 ⑤のダンコウバイ(壇香梅)(鬱金花)、 ⑦のロウバイ(蝋梅)は漢字に「梅」の字が付くが、ウメの仲間では無い。

 梅①  ウンリュウバイ(雲龍梅)  バラ科 スモモ属

花2月-3月。 白or桃色 枝がくねくねと曲がる 実5-7。落広小高木 花言葉・上品・高潔・忍耐・忠実。

 梅②  オウバイ(黄梅)(迎春花)(金梅)  モクセイ科 ソケイ属

花1月-3月  黄色 広落低木 一重と八重 花言葉・控えめな美・期待・恩恵

 梅③  カンコウバイ(寒紅梅)  バラ科 サクラ属

花1月-2月。 紅・濃紅。一重咲と八重咲・中輪。落広小高木。花言葉・高潔・忠実・忍耐。

 梅④  ソシンロウバイ(素心蝋梅)  クスノキ目 ロウバイ科 ロウバイ

花1月-2月 黄色 落広低木 全有毒(特に種子・アルカロイド・神経毒・硬直性痙攣・致死)。 花言葉・ゆかしさ・慈しみ

 梅⑤  ダンコウバイ(壇香梅)(鬱金花)  クスノキ科 クロモジ属

花3月-4月 黄色 広落低木 雌雄異株 黄葉 香気有 実9月-10月 花言葉・永遠にあなたのもの

梅⑥  リキュウバイ(利休梅)(ウメザキシモツケ)(リキュウウツギ)  バラ科 ヤナギザクラ屬

花4月—6月。 白 広落低木 株立ち枝垂れ 花言葉・控えめな美しさ・気品

梅⑦  ロウバイ(蝋梅)  クスノキ目 ロウバイ科 ロウバイ

花1月-2月 花弁白、花芯は赤 広落低木。全有毒 (特に種子・アルカロイド・神経毒・硬直性痙攣・致死)。 漢方薬(強壮剤・殺鼠剤 )。花言葉・ゆかしさ・慈しみ・先導・先見

 

オモト(万年青)  キジカクシ科 オモト屬

花5月-6月  淡黄色 観葉植物 結実期7月。実は晩秋に赤くなる。有毒(サポニン。溶血作用。呼吸器障害・循環器障害・嘔吐・頭痛・不整脈・致死)。薬草(強心剤・疥癬)。花言葉・長寿・長命・母性の愛・崇高な精神・相続

カラタチバナ(唐橘)(百両)  サクラソウ科 ヤブコウジ

花7月頃。 果実11月-4月。花は白又は黄。 実は赤。常緑小低木20~100cm。センリョウ、マンリョウヤブコウジ等と同じ様に、正月飾りなどに使う。因みに、マンリョウ(万両)、センリョウ(千両)、カラタチバナ(百両)、ヤブコウジ(十両)

(ガクアジサイ(開花期5月-7月)を「晩冬~早春」の項目に入れておりましたが、夏の項目に引っ越しました。2024(R6).02.0)

 カランコエ ベンケイソウ科 リュウキュウベンケイソウ属(カランコエ属)

花1月-5月。 赤・黄・白・ピンク・オレンジ。多年草ペット有毒(ブファジエノリド・心臓麻痺)  色別花言葉・赤は幸福を告げる。ピンクは長く続く愛。オレンジは人気・人望。白は沢山の小さな思い出。

カレンデュラ(キンセンカ)(冬知らず)  キク科 カレンデュラ

花12月-5月。 黄・オレンジ色・褐色。 草丈10cm~60cm 原産地地中海沿岸。ハーブ・薬草・漢方(抗酸化作用・殺菌力・消炎・アトピー性皮膚炎など)。葉・花共に食用可。食品着色料。一般的に仏花として馴染みがある。一重咲・八重咲・小輪・スプレー咲と多品種。

 カンギク(寒菊)  キク科 キク属

花12月-1月。白・黄・赤。耐寒性の小菊の園芸品種。宿根草花言葉・高潔・清浄

 カンザクラ(寒桜)(元日桜)  バラ科 サクラ属

花1月-2月。 淡いピンク 一重 落広中木 大島桜と寒緋桜、又は山桜と寒緋桜の雑種 大寒桜や修善寺桜の近種 花言葉・気まぐれ・あなたに微笑む

 カンボケ(寒木瓜)  バラ科 ボケ属

花11月から咲く。赤・白・ピンク・オレンジ。 落広低。 有棘。 ボケは200種以上の品種が有り、たまたまここでは寒木瓜を早春の区分けに入れましたが、四季咲き・寒咲・早咲き・中咲・晩咲とあります。花の少ない時期に、早春のはしりで茶花に使う例が多い為か、2月の茶花に挙げられてもいる。俳句の季語は晩冬。実でジャムや果樹酒が出来る。花言葉・平凡・退屈・早熟・熱情 

クリスマスローズ  キンポウゲ科 クリスマスローズ

花1月-3月。 花色多彩(白・ピンク・緑・紫・茶等々)。多年草。常緑(落葉種も有り)。草丈10cm~50cm。全有毒(樹液は皮膚炎を起こす。摂取は吐き気・腹痛・下痢。犬に対して特に危険)学名ヘレボルスは「殺す食べ物」の意味。 園芸品種多数 花言葉・追憶・慰め・中傷・私を忘れないで・私の不安を取り除いて下さい。

 クロッカス(春サフラン)(花サフラン)  アヤメ科 サフラン属(クロッカス属)

花2月-4月。 紫・薄紫・紅紫・白・黄色。 草丈5cm~10cm。球根。犬・猫に対して有毒。見た目が似ているイヌサフラン(コルチカム)(秋サフラン)はユリ科アルカロイドのコルヒチンを含み全強毒(下痢・嘔吐・知覚麻痺・呼吸困難・致死)。薬用(痛風薬)。 花言葉・切望・青春の喜び

 シキミ  マツブサ科 シキミ属 

花3月-5月。 薄黄色 実9-10。全有毒(特に果実・種。毒物及び劇物取締法により劇物に指定されている。神経毒。アニサチン・ネオアニサチン。嘔吐・腹痛・下痢・意識障害・昏睡・致死)。同じシキミ属でもトウシキミ八角ウイキョウとも呼ばれ香辛料に使われる。有毒のシキミの実と八角の実と非常に良く似ているので誤食の例がある。

  シュンラン(春蘭)  

育苗から開花まで5年~10年の年月を要し、商業的コストパフェ―マンスに合わない。よって、野生採取が主流。人工交配や輸入物もあるが・・・実態は不明。 乱獲防止に努めたい種である。花言葉・気品・飾らない心・控えめな美。

シンビジウム  ラン科 シュンラン属

花12月-4月。白・黄・オレンジ・ピンク・茶・褐色・緑。30cm~80cm。多年草花言葉・素朴・飾らない心・高貴な美人・華やかな恋・誠実な愛情。

 スイセン(水仙)  ヒガンバナ科 スイセン

日本水仙の花期は12月‐2月。西洋水仙・ラッパ水仙の花期は3月-4月。花色は白・黄色 全有毒(アルカロイド・リコリン・ガランタミン・タゼチン・シュウ酸カルシュウム含有。嘔吐・下痢・発汗・頭痛・昏睡・低体温)。水仙を、ニラや玉ネギやノビルなどと間違えて調理して摂取し、食中毒を起こす事例が毎年のようにある。外国では死亡例有。 花言葉・うぬぼれ・自己愛

セツブンソウ(節分草)  キンポウゲ科 セツブンソウ属

花2月-4月。白。絶滅危惧種Ⅱ類。同じキンポウゲ科トリカブトと同じ成分 (アルカロイド・アコニチン)を持つ。 根有毒 (嘔吐・頭痛)。 乱獲防止に努めたい種である。花言葉・気品・高貴

 

 ツバキ屬全般の共通項  ツツジ目 ツバキ科 ツバキ屬。

日本原産。照葉樹常緑小高木。自然状態では15mを越える高木になるが、現在そういう木は殆ど伐採されていて見当たらない。園芸品種は250種以上。木質は堅い。有用材(細工物・精油食用油)。以下に記す15種は茶花の代表的品種・他にも沢山ある。 花言葉・控えめな美しさ・控えめな素晴らしさ・誇り

 ツバキ①  アケボノツバキ(曙椿)

花11月‐4月。 淡桃色 猪口咲から椀咲へ。一重咲 中~大輪 実9月-11月

 ツバキ②  イチコワビスケ(一子侘助)

花11月‐3月。  濃い紅色 極小輪

 ツバキ③  カンツバキ(寒椿) 

花11月‐2月。 椿と山茶花の交雑種。花は花弁一枚ごとに落ちる

 ツバキ④  コシミノツバキ(腰蓑椿)

花11月-4月。花色は白と赤。一重唐子咲(唐子咲は蕊が花弁に変化して八重咲に見えるもの)

 ツバキ⑤  コチョウワビスケ(胡蝶侘助)

花3月‐4月。 桃色に白の斑入り 猪口咲 一重咲 小輪

ツバキ⑥    シロワビスケ(白侘助)

花11月-3月。 白 猪口咲。一重咲。 小輪。雄蕊の葯(やく)が退化していて種が出来ない。利休7選花の一つ。 

 ツバキ⑦  スキヤワビスケ(数寄屋侘助)

花12月‐2月。 薄桃色に白のぼかし。 猪口咲 一重咲 小輪

 ツバキ⑧  セイオウボ(西王母)

花9月-4月。 淡桃色 金沢市産出 筒咲 一重咲き

 ツバキ⑨  ダイカグラ(太神楽)

花10月-3月 赤地に白の斑入り。ボタン咲・獅子咲。中高木。

 ツバキ⑩  タマノウラ(玉の浦)

花1月‐4月。 紅色に白の覆輪)。中輪。長崎県玉之浦町で発見。原木枯死。世界的名花。各交配種の親になっている。

ツバキ⑪  タロウアン(太郎庵) (セキドタロウアン)

花11月-4月。 淡桃色。一重咲。抱え筒咲。中輪

 ツバキ⑫  タロウカジャ(太郎冠者)(有楽(うらく))(ウスワビスケ)

花12月‐4月。 桃色 筒咲~ラッパ咲 中輪。織田有楽お好みの椿。京都等持院に400年樹齢のタロウカジャ椿がある。

 ツバキ⑬  ハツアラシ(初嵐)(初嵐嵯峨)

花11月-3月。咲き始めは淡い桃色だが次第に白に変化。一重筒咲からラッパ咲。中輪

 ツバキ⑭  ミョウレンジツバキ(妙蓮寺椿) 

花11月-4月。 白・淡桃色・紅色。椀咲。中輪。蕾は丸くふくよか。

 ツバキ⑮  ヤブツバキ(藪椿)

花2月‐4月。 (11月頃から咲くものもある。) 高木 日本固有。多くの椿交配種の親になっている。花は首から落ちる。花は食用可。食用油。整髪料・染料)

 

 ナノハナ(菜の花)  アブラナ科 アブラナ属の総称

花2月-5月。 黄色 草丈30cm~70cm 食用野菜 菜種油 一面の菜の花畑は壮観。菜の花は俳句では晩春の季語。菜種梅雨は3月半ば~4月初旬までの長雨。菜種月は霞んだ月。 花言葉・小さな幸せ・明るさ・活発・快活な愛・競争・豊かさ・財産等。

ハシバミ(榛)  カバノキ科 ハシバミ属

花3月-4月。雄花は黄褐色。尾状花序で垂れ下がる。落広低木1~5m。セイヨウハシバミは果実食用(ヘーゼルナッツ)。榛色(はしばみいろ)はヘーゼルナッツの皮の色からきている。やや暗めの黄土色に近い。  花言葉・仲直り・調和

 ハンノキ(榛の木)  カバノキ科 ハンノキ属

花2月-3月。雌雄同株。葉に先立って花が出る。雄花穂は黒褐色で円筒形になって垂れ下がります。雌花穂は紅紫。落広高木4~20m。葉の寿命は短く6月ごろから緑色の内に落葉し始める。耐水性が有り湿地を好む。有用材。崩落危険の法面への植林や治山ダムなどの材・落葉の堆肥・家具・染料・漢方薬(抗菌薬・消臭効果・造血作用)。 花言葉・忍耐・豪勇

漢字「榛」は、「ハシバミ」にも「ハンノキ」にも使われているので、ややこしいから注意。

もともと榛は「はり」と読み、「はりのき」が訛(なま)って「はんのき」となったらしい。

 フキノトウ(蕗の薹)  キク科 フキ属

花3月-5月。  黄白色 雌雄異株 草丈30cm~80cm。雌の花茎は40cm~70cmで綿毛を付ける。自生種と栽培種があるが、自生種は年々減少している。灰汁(あく)がある。食用。 花言葉・待望・愛嬌・真実は一つ・仲間

 フクジュソウ(福寿草)(元日草)(朔日草(ついたちそう))  キンポウゲ科 フクジュソウ

花2月-4月。 黄色 花が先行して咲き、後から葉が出て来る。草丈10cm~30cm。根強毒(アドニン・シマリン・アドニトキシン・嘔吐・心臓麻痺・呼吸困難・致死)。生薬(浸剤・強心・利尿作用・チンキ剤(民間療法は大変危険)。 

ペット有毒(致死)。   花言葉・幸せを招く・永遠の幸福・悲しい思い出・回想・死の危険・豊穣

 ベニフキ(紅蕗)(赤蕗)  キク科 フキ属

花は白・花の周りのガクやそれを取り囲む葉は赤紫。茎も赤。葉は食用フキと同じ形をしていて、緑。山野草。蕗と同じだが、食味は蕗よりずっと落ちる。堅くて中々煮えず、えぐい。 花言葉・待望・愛嬌・真実は一つ

 

ボタン(牡丹)(富貴草)(百花王)(花神)  ボタン科 ボタン属

ボタンには2種類のボタンがある。寒牡丹と春牡丹である。冬牡丹は人工的に管理して春牡丹を冬に咲かせたもの。大輪咲。根は生薬として用いる(ベオノール。消炎・解熱・止血・鎮痛・浄血・月経痛・子宮内膜症)。 花言葉・王者の風格・高貴・壮麗・誠実・恥じらい。 

牡丹①  カンボタン(寒牡丹)

寒牡丹は遺伝的に春と秋の二期咲。赤・赤紫・紫・黄・白。一重咲・八重咲・千重咲。春と秋の二期に分けて咲く牡丹ですが、春の花芽を摘み取って、秋の花芽のみを咲かせ、冬の鑑賞用にしたもの。その為、冬に咲いている時は葉が殆どない。

 牡丹② ハルボタン(春牡丹)

春牡丹の花は4月-5月に開花する。花色や咲き方、樹高などその他の項目は寒牡丹と同じ。

牡丹③  フユボタン冬牡丹 

花12月‐1月 春牡丹の事。温度管理などで人工的に促成栽培をして冬に開花させたものを冬牡丹と言う。なので、冬牡丹には葉がいっぱい有り、茎が若い。但し、樹勢に無理がかかるので、短命である。それに対して遺伝的に二期咲の寒牡丹は寿命が長く、30年は持つ。

 牡丹④ ハボタン(葉牡丹) アブラナ科アブラナ

花3月-5月。色は黄・紫・薄紫・薄緑・白等々。但し、鑑賞するのは葉の色である。花は、薹(とう)が立つ3月ぐらいから菜の花と同じ形の黄色い花を咲かせ始め、いわゆる花の王者と言われる牡丹とは全く違う。葉牡丹の葉の鑑賞期間は1月-3月。二年草・多年草。草丈5cm~100cm。 花言葉・祝福・慈愛・愛を包む・利益・物事に動じない。キャベツの仲間だが、食用は不向き。

 

 マツ(松)  マツ科 マツ属

花5月。雌雄同株。花弁無。雌蕊と雄蕊のみ。黄色・褐色・赤。常緑高木針葉樹。樹高10m~50m。有用材(建築材・土木材・防風林・松脂・松の実(食用)等々)。赤松は野原・山地に生え、黒松は海岸近くに生える。松茸は赤松の根本に生え、黒松の根元には出来ない。「松は千年の翠」と言い、常緑を吉祥の標として愛で、正月飾りに多く使われる。 花言葉・哀れみ・同情・不老長寿・勇敢・永遠の若さ

マツ①  アカマツ(赤松)(女松(めまつ))  マツ科 マツ属。

常緑針葉樹。高木。松の代表格。葉は2本づつ束ねて生える(2束生)。樹皮が赤い。樹形が黒松より優しい。移植と剪定に弱い。

 マツ②  キタゴヨウマツ(北五葉松)  マツ科 マツ属

花5月-6月。常緑常緑針葉樹。高木。日本固有種。樹高30mに達する。葉の長さ3-8cm。葉は5本ずつ束ねて生える(5束生)。寒冷地を好む。北海道・本州中部日本海

 マツ③  クロマツ(黒松)(男松)  マツ科 マツ属

花4月-5月。常緑針葉樹。高木。松の代表格。生育地・本州~沖縄・朝鮮南部。葉は2本ずつ生える。葉の長さ10~15cm。樹皮が黒っぽい。

 マツ④  ゴヨウマツ(五葉松)  マツ科 マツ属

常緑針葉樹。樹高30mに達する。松ぼっくりは5~8cm。葉は5本束生。

マツ⑤  ダイオウショウ・ダイオウマツ(大王松)  マツ科 マツ属

常緑針葉樹。高木。樹高40mに達する。葉の長さ20~50cm。葉は3本ずつ束生。松ぽっくりの大きさは15~25cm。成長は遅いが、森林火災などで熱に遭うと成長を開始する。

 マツ⑥  タギョウショウ(多行松)  マツ科 マツ属

花4月-5月。中心になる幹が無く、根元から何本も枝が出て来る。葉は2本束生。日本の園芸品種。低木。樹高約5m以内
マツ⑦  ハイマツ  マツ科 マツ属

寒冷高地に生育。高山植物。葉は5束生。茶室よりもアルプスが似合う樹。雷鳥の為に採らずにそっとしておきましょう。

 マツ⑧  リュウキュウマツ(オキナワマツ)  マツ科 マツ属

花3月-4月。雄花淡黄色・雌花赤紫。常緑針葉樹。樹高15mに達する。葉は2本束生。長さ3~6cm。葉が細長く優しい印象を受ける。

 

マツユキソウ(松雪草)(待雪草)(スノードロップ)  ヒガンバナ科 ガランサス属

花2月-3月。 花は白。釣鐘型。葉は水仙に似る。草丈7cm~15cm。 多年草。球根が有毒(ガランタミン。リコリン。眩暈・嘔吐・下痢)。季語・春。 花言葉・希望・慰め。

 マンサク(万作)  マンサク科 マンサク属

花2月-4月 花は黄色。花弁は錦糸卵の様な形で房状になる。落広小木。実9月-10月。枝は柔軟強靭で樹皮を「輪かんじき」や木材の結束に使われる。黄葉・紅葉も美しい。 花言葉・私から愛したい・呪文・霊感・おまじない。

 ミスミソウ(三角草)(ユキワリソウ(雪割草))  キンポウゲ科 ミスミソウ

花3月‐4月  花に見えるのはガク。白・ピンク・赤・紫・褐色・黄色。一重咲きも八重咲も有り。草丈10cm~20cm。常緑性。 薬草(ニキビ・気管支炎・痛風)。 原産地・北陸地方・東北地方の日本海側。 花言葉・自信・信頼・忍耐

サクラソウサクラソウ属のユキワリソウとは別種。

ムシカリ (虫狩)(大亀の木)  ガマズミ科 ガマズミ属

花4月-6月。 花色は白。落広低木。実9月-10月。実の色は赤や黒。紅葉・果実・冬芽(花芽・葉芽)・枝ぶりなどなど鑑賞に堪える風情を持ち、開花期間に限らず、茶花としてよく用いられる。虫がこの木の葉を好み、葉に虫食い穴が沢山ある。 利休7選花の一つ。 花言葉・以心伝心

ムシカリの分類上の科と属が分類方法によって以下の様に分かれているので、それを記す。

スイカズラムシカリ属 or ガマズミ科ガマズミ属  or レンプクソウ科。

分類の違いの理由。牧野富太郎博士の時代の分類は形態の違いによって分類していたが、今は生物進化の系統樹と遺伝子レベルの解析(APG 分類体系)によって分類を行う方向に移行しつつある。

ヤシャブシ(夜叉五倍子)  カバノキ科 ハンノキ属

花3月-4月。雌雄異花。雄花尾状花序で垂れ下がる。雌花は雄花の下の葉の脇からでる。雄花の色は淡黄緑色。果実緑色球形で小さな突起がいっぱい有ってごつごつしている。有用材(根の根粒菌により土壌改良。落葉により堆肥効果有り。荒廃地緑化。タンニンを多く含むので、黒色の染料になる)。花粉症誘発。 花言葉・永遠

 

 ヤナギ ヤナギ科 ヤナギ属

ヤナギはヤナギ属の総称。春には繭玉の様な白銀色の花穂を出す種もあれば、尾状花序と言って、円筒形の穂の様なものを垂らす種も有る。日本では水辺に近い所に生育している種が多いが、山地に分布するものもある。落葉性。低木から高木まで様々。樹形も枝垂(しだ)れるものから地を這うもの迄ある。漢字表記を厳密に書けば、枝垂れる品種のものを「柳」と書き、上を向いて立ち上がるものを「楊」と書く。実際にはネコヤナギを猫柳と書いて猫楊とは書かないので、日本ではその辺の区別は余りしていない。日本にヤナギ類は30種類以上ある。

初釜(正月に初めて開く茶会の事)の床に、結び柳を飾る習慣が有る。床柱に青竹の花入れを釘に掛けて、上から輪に結んだ柳を下に届くほど長く垂らして活けるのだが、その謂(いわ)れは諸説ある。いずれも中国の故事に倣っている。①魔除け ②柳を竜の音に託して立身出世を願う ③別離の時に互いに柳の枝を結び、旅の平安と再会を約する風習による。輪は無事に回って再び元に戻る事を表す。

柳全般の花言葉・従順・自由。

ヤナギ①  アズキヤナギ(小豆柳)

ふわふわした花芽。 新芽2月-3月  芽吹く前の小さい堅芽が赤紫で小豆の様である。しなやかで成形がし易い。 花言葉・努力が報われる。

ヤナギ②  ウンリュウヤナギ(雲竜柳)(ドラゴンヤナギ)

花の色は黄色。 幹・枝・葉の全てが捩(よじ)れて独特の樹形になる。葉裏は白い。高木10m~20m。花言葉・素早い対応。

 ヤナギ③  クロヤナギ(黒柳)

花2月-4月 黒っぽい花序。若枝は赤い。野生のクロヤナギは無く、栽培種のみである。猫柳の突然変異と見られる。

 ヤナギ④  コリヤナギ(杞柳)(カワヤナギ)

花3月-4月 白茶色。尾状花序だが、穂は英字のCの形をして下向きに着く。しなやかで丈夫。この枝で行李を作った(ヤナギの枝で編んだかぶせ蓋付の箱。衣類などを入れる)。 花言葉・しなやかな心

 ヤナギ⑤  シダレヤナギ (枝垂(しだれ)柳) 

花3月-4月 淡黄白色。尾状花序で穂状、下向きに着く。落葉高木。有用材(河川護岸・爪楊枝等・花材)・薬用(鎮痛)) 花言葉・自由・従順

ヤナギ⑥  ネコヤナギ (猫柳) (カワヤナギ)

花3月‐4月 花穂は猫の毛並みの様にふわふわ。白い綿毛の時期は初夏。 花言葉・自由・思いのまま・努力が報われる。親切

 ヤナギ⑦ ハコヤナギ(箱柳)(セイヨウハコヤナギ)(ポプラ)  ヤナギ科 ヤマナラシ属

花3月-4月。落広高木。果期5月-6月。北海道大学のポプラ並木が有名。 花言葉・敏感・勇気・度胸

 ヤナギ⑧  フリソデヤナギ(振袖柳)(赤目柳)

花2月-3月。尾状花序。花芽は赤い皮を被っているが、早春に赤みを帯びた白いふわふわの毛の部分が出て来る。

 

 ユキワリソウ(雪割草)→ミスミソウ参照

ヤブコウジ(藪柑子)(十両)  サクラソウ科 ヤブコウジ

花7月-8月。 実10月-11月。 花は白または淡桃色。 常緑小低木。樹高10‐30cm。一見草の様に見える。果実は下向きに着く。全生薬(漢方薬・回虫やぎょう虫の駆除薬・喉の腫瘍・鎮咳・去痰)

 

 

この記事を書くに当たり、下記の様な本やネット情報を参考に致しました。

原色植物百科図鑑 集英社

学生版 原色牧野日本植物図鑑 北隆館

山の花HILLS  ヒルズ 北隆館

山の花MOUNTS マウンツ 北隆館

ブティック社 花と観葉植物・ハーブの育て方がよくわかる 園芸百科

厚生労働省 自然毒のリスクプロファイル:高等植物:

公益社団法人 日本薬学会

公益社団法人 東京生薬協会

一般社団法人 日本中毒学会

庭木図鑑 植木ペディア 毒のある草木

かぎけん花図鑑 有毒植物(毒草)

毒性植物リスト-FIT森の草木染教室-Jimdo

APG 分類体系と植物の進化 横浜国立大学教育学部 倉田薫子

草木図譜 ツバキ-草木図鑑

ツバキの園芸品種図鑑

石光寺 ホンモノの寒牡丹 冬の石光寺と二上山の借景「時期:11月」

季節の花300

植物図鑑・Q&A EVERGREEN

heral tree shop nae-ya

みんなの趣味の園芸

lovegreen.net

続・楽しい植物 観察入門 大日本図書

Green Snap

この外に「ウィキペディア」、「コトバンク」などなど多くの情報を参考にさせていただきました。有難うございました。

 

 

 

195 茶席のイロハ

明けましておめでとうございます。

いつもご愛読下さいましてありがとうございます。

これからもどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 

昨年の最終稿は古田織部百ヶ条」でした。その余韻を引いて、婆なりの茶席のイロハを綴り、年の初めの書初めにしたいと思います。

これから述べる事は、初心者向けのアドバイスです。主に茶会に出席する時の心得について述べます。

 

1 香りつつしむ

茶道では、お稽古の時でも、お茶会の時でも、香り・匂い・臭いは厳禁です。

香水、オーデコロン、匂い袋、頭髪剤、化粧の匂い、着物の防虫剤、洗剤の芳香剤、口臭、体臭などなど、香りや臭いを放つものを、茶席に持ち込まないようにしましょう。

上記の香り成分は抹茶の香りを打ち消してしまいます。また、亭主はその日の趣向に合わせて茶席に香を焚いたりしていますので、それも台無しにしてしまいます。

 

2 金物や硬い石は身につけず

茶席に呼ばれてそれなりに身嗜(みだしな)みを整えても、アクセサリーは極力着けずに行きましょう。

時計、ブレスレッド、指輪、ネックレス、イヤリング、帯留め、髪飾りなどなど、金属製のものや堅い石・陶器類は茶席では外します。メタリックな衣装なら最初から着て行きません。

茶碗、茶入、棗、その他の茶道具などを傷つけない為です。それ等には由緒ある物も多く、傷をつけたら大変です。また、由緒など無い新しいものであっても、物を大切にするのが茶道の心得です。新しい物はこれから歴史をその上に積み重ねて行く物ですので、そのスタートラインに立った物達への慈しみを以って、丁寧に接して行きましょう。

 

3 髪型について

頭髪は髪の毛やフケが散らからないようにします。長い髪の毛は纏めます。短い時はきちんと手入れをして清潔にし、毛やフケが落ちないようにしておきましょう。

アフロヘア―、ドレッドヘアーも清潔を保ち、毛やフケの心配が無いように手入れをしていれば大丈夫です。但し、いくらこれが自己表現の手段だと主張しても、ボサボサの蓬髪(ほうはつ)は不潔で見苦しくて頂けません。

 

4 ネイルアート

近頃ネイルアートと言って、爪に色を塗り装飾を施すのが流行っております。特に若い女性に人気があり、「かわいい」が合言葉になってネイルサロンが繁盛している様です。が、茶席では「かわいい」は美の基準にはなりません。「わび」と「さび」です。

赤や緑や紫や、花柄や星柄などに彩られた十個の爪が、茶碗を持つ手の先にチラチラと動くなど、折角の茶碗の景色が損なわれ茶碗が泣きます。場の雰囲気をぶち壊します。

もし、どうしても爪を美しく見せたいのなら、何の色味も装飾も無い透明な塗りにしなさい。

 

5 着る物について

まず、式正織部流の茶会の時の、亭主やスタッフについてお話しをします。

式正織部流は武家茶です。武家の装いが目安になります。男性ならば城勤めの装いに準じて紋付・袴です。着流しはありません。女性ならば武家の妻や娘のように、地味な着物が薦められています。制服的な着物はありませんが、色無地や小紋などが定番です。江戸小紋などは江戸城に登城する時の裃の柄から来ていると言われていますので、それを愛用する人もおります。着物が目立ちますと、お点前から目が逸(そ)れて、そちらにばかり視線が行くようになってしまいます。着物を競う場にもなりかねません。質実剛健を旨とする武士の風を肝に命じ、茶会に臨みます。お稽古の時は、普段着の洋服を着ていても全く問題ありません。これが、当流の和のドレスコードです。

一方、茶会にいらっしゃるお客様について申し上げますと、着る物についての制約が全くありません。清潔で整い、他者に不快な思いをさせない格好であれば、着物でも洋服でも、民族衣装でもとやかく申す者は当流にはいません。地味でも豪華でもお客様のお好み次第です。上記の香りや金属・石などの制約・身嗜(みだしな)みを守っていれば、大丈夫です。

当流の大寄せ茶会などにいらっしゃるお客様の御召し物は、着物と洋服の割合が半々ぐらいでしょうか。若干着物の方が多いかな、という程度の印象です。

参加する時は、懐紙と菓子切り(くろもじ(木製)や金属製等々)が必要です。洋装の方は茶室では白いソックスを履きます。

当流では扇子を特に必要としません。

 

6 扇子について

他流では扇子は必帯です。式正織部流では扇子を脇に差しますが、扇子の出番はありません。

他流ではご挨拶の時、扇子を膝前に置いて挨拶をします。躙(にじ)り口に入る時も床拝見の時も、扇子を膝前に置きます。ところが、式正織部流ではいずれの時も握りこぶしを作り、両膝脇の畳に拳を突いて上体を腰から曲げ、礼をします。扇子を膝前に置いての礼はありません。

他流で扇子を膝前に置いて礼をするのは、扇子が結界を表し、結界の先に居る人、或いは床などの空間に対し、敬う姿勢を表す為です。

式正織部流は扇子を刀と見立てています。刀を腰から抜いて相手との間に置くのは、これより手前に入ってはならぬ、当方もそちら側へは入らぬという意味での結界で、相互不可侵の線引きの印と、今は亡き大先輩・松本瑞勝から聞いております。

また、扇子を刀と見立てている事から、刀を腰から抜くのは戦う事を意味します。更に、刀(扇子)を膝前に置いて頭を下げれば、刀を前に差し出す図に似ていて、降伏の姿勢や或いは切腹の場面に似ていると、その松本から教えられました。当流の者は扇子を挨拶に使いませんので、婆もそれに倣(なら)っております。

このように、いろいろな意味合いに於いて扇子を挨拶に使わないのが当流のやり方です。そこで、時には困る事も有ります。扇子を膝前に置いて挨拶をするのが広く普及し、常識化していますので、違うやり方で挨拶をすると「失礼な人だわ」と思われるのか、幽(かす)かに顔を曇らせる方もいらっしゃいます。ま、そういう事情ですので、武士の作法と思って温かく受け入れて下さると、大変有難いです。こういうやり方もあるのだと、多くの方に知っていただけると嬉しいです。

結論は、式正織部流では扇子は帯の間や袴の腰に差したままです。実際には使わないです。

 

7 留め石(とどめいし)は進入不可の標(しるし)

茶室への道に従って進んで行った時、もし、留め石を途中で見つけたならば、留め石を跨(また)いだり、その脇を通ったりして、その先に行かない様にして下さい。ましてや邪魔だからと言って、手で退(ど)けてはいけません。

留め石と言うのは、これより先に進んではならないと言う石です。今で言うロードコーン(カラーコーン)の様な役目をしている石で、大きさは漬物石ぐらいです。棕櫚縄(しゅろなわ)で十文字に縛られた漬物石風の石が留石で、大抵は飛び石などの上に乘っています。

茶亭へ続く道が一本道ならば、留石にお目にかかる事はまずありません。途中で道が二股に分かれる様な場所のどちらか一方に、往々にして置かれています。

留石は、主催者側が、これから先に進むと困るという意思表示でして、例えば、水屋の裏口へ通ずる道や、お寺の庫裏(くり)へ行く道、茶室の持ち主の住居へ至る道などなどです。留石は関係者以外立ち入り禁止の暗黙の約束事なのです。

(留め石の別名は「止め石」「関守石」「関守」「踏止石」「極め石」などなど)

 

8 お茶会デビュー

お茶会の券を貰って、生まれて初めてお茶会に出席する様な事があった時、色々な事に悩むと思います。「何を着て行ったらいいのだろう。どう振る舞えばいいのだろう。何にも分からないから怖い」と・・・でも、全く怖がることはありません。清潔で整った衣服を着て、今まで述べた様な約束事を守っていれば、大丈夫です。もし、お茶券を頂いた方と御一緒でしたら、その方の真似(まね)をしなさい。もし、その方もまるで初心者だったならば、お菓子もお茶も上座から下座へ順次運ばれてきますので、自分より上座に座っている方々のやり方を真似れば大丈夫です。

もし、不安ならば、お菓子やお茶を運んで来た主催者側のスタッフに尋ねる方法も有ります。折角ですから、その時主催している流派のやり方を学ぶチャンスと心得て、積極的に聞きましょう。知らない事は恥ずかしい事ではありません。知らない事を放置する方が恥ずかしい事です。まして、知ったかぶりをして自己流を通せば、自分の成長の芽を自ら潰す行為になってしまい、あとで悲しい思いをしなければなりません。

式正織部流の場合、他流と違う箇所が幾つもあります。各服点てだったり、茶碗台が付いていたりして、戸惑われるかと思いますので、その時はどうぞ遠慮なくスタッフに聞いて下さい。また、既にどこかの流派に入門しているのでしたら、そのお流儀に従って振る舞えば良いと思います。拳の挨拶と扇子の挨拶、違う挨拶が向き合うのも、また善き哉です。

 

9 お菓子の頂き方

お茶席ではお茶が供される前に、必ずお菓子が出されます。薄茶の時は干菓子、濃茶の時は主菓子(おもがし)と大体決まっています。

① お菓子は菓子器に盛られて上座のお正客様から順番に回ってきます。そろそろ自分の前に来ると思われるタイミングで、懐(ふところ)から懐紙(かいし)を取り出します。そして、何枚も重ねられた懐紙を束のまま出して、折ってある「わ」の方を手前に、合わせ口を向こう側にして膝前に置きます。それから、一番下になっている紙(直に畳に接している面)を一枚、下から上にめくり上げて向こう側に折り、中表にして懐紙の一番上に置きます。

 

② 菓子器が目の前に来ますと、右隣り(上座)のお客様に「有難うございます」の意を込めて、無言のまま軽く会釈のご挨拶を行います。そして、左隣り(下座)のお客様に「お先に」の意で軽く無言の会釈をします。この時、隣のお客様との間にお菓子器を移動させることはしません。自分の前に置いたままお菓子を取ります。これが式正織部流のやり方です。

式正織部流では、自分の所に出されたお菓子はそのまま素直に受け取って頂きます。他者へ回す仕草(しぐさ)はしません。当流は数寄屋御成の書院などで行う正式の茶の湯です。頂く物を他者へ回すと言う行為は、それが単なる仕草であっても、お菓子を出す側に対して失礼に当たります。

他流では違っています。上座のお客様は下座のお客様に「お先にどうぞ」とお菓子を譲り、菓子器を左に移動させます。左のお客様が「いえ、そちらこそどうぞお先に」と遠慮なさいます。すると、上座のお客様はそれを自分の方へ戻します。この様に互いを思いやり、菓子器が左へ右へと移動します。

 

③ お箸でお菓子を取り終えた後、懐紙の隅をちょこっと折って箸の先端を拭き清め、箸を器に戻して次の人に菓子器を回します。

 

④ さて、お菓子を直ぐ召し上がってはいけません。お正客(しょうきゃく)がお菓子を頂きましょうと促すまで待ちます。そして、お正客がお菓子を召しあがるのを見てから、お菓子を頂きます。お正客は居並ぶ客一同のリーダー役です。客は何事もお正客に従います。

お菓子を載せた懐紙を手に取り、黒文字などの菓子切で、お菓子を頂くごとに一口ずつ端から切り分けて頂きます。練切りや羊羹等は切分けますが、饅頭(まんじゅう)落雁(らくがん)等は手で割って頂きます。

 

或る時、外国人のグループが和の体験とかで、先生の茶室を訪ねて来た事がありました。その時、お手伝いに上がり、お運びさんをしたのですが、お菓子は「くろもじ」という小さな木のナイフで切り分けて食べると説明をしましたら、想定外の切り方をした方が何人かおられました。主菓子を最初に全部スライスしてしまった方、賽(さい)の目に切った方、切らずに黒文字で突き刺して召し上がった方もおりました。

賽の目に切った方は、練り切りの御菓子が見るも無残に崩れてしまって黒文字で食べる事が出来なくなり、散薬を口に入れる様にして召し上がっておりました。菓子を黒文字で突き刺した方は一口で頬張り、リスの様にほっぺを膨らませて、もぐもぐさせていました。

御菓子を切るという説明でも、直ぐには通じない文化の違いが有るのだと、つくづく思いました。

 

10 お茶の頂き方

お菓子の後は、いよいよお茶が出て来ます。茶道では、お茶を頂くのを「飲む」と言わずに「服す」と言います。お茶が平安・鎌倉時代では薬として扱われていた名残りです。

 

他流では、濃茶と薄茶の服し方に違いが有ります。

濃茶は、抹茶を練ったものです。とろっとした粘性があり、そのお茶が入った一碗を、数人で回し飲みをします。薄茶は一人一人別々の茶碗に点てて、それを頂きます。

頂く時、左右に座る人にご挨拶をした後、左手の上に茶碗を載せ、右手で時計回りに茶碗を2回まわして正面を避け、それから服します。服し終わったら、また右手で茶碗を反時計回りに2回まわし、茶碗を元の正面の状態に戻します。婆は他流の事を余り知らないので、これ以上の細かい事は差し控えさせていただきます

 

式正織部流のお茶は、お客様同士の間で回し飲みを絶対しません。各服点(かくふくだて)といって、一人に対して一つの茶碗でお茶を点てます。

他流との違いは、濃茶は練らずに点てます。薄茶も点てます。その為、濃茶も薄茶も全く同じ外見をしております。違うのは、濃茶用と薄茶用では抹茶の種類が違う点と、それぞれの分量が違います。中身が違うだけですので、外から見ただけでは区別がつきません。外見では、濃茶も薄茶も、細かい泡がカプチーノのように表面を覆っています。泡が表面を覆っていますので香りが逃げず、また、味もまろやかです。

濃茶・薄茶のいずれの場合でも、お茶碗は茶碗台という大振りの茶托の上に載せられて供されます。茶碗台と言うのは、茶托に足台が付いたような形をしております。

 

さて、こうした形状になっているお茶が供され、それを頂くのですが、薄茶の場合、あまり難しい事はありません。

 

① 亭主が点てたお茶は、半東(はんとう)がお正客やお次客に運びます。その下座に居並ぶお客様達には、お運びさんが水屋からお茶を茶碗台に載せて、お客様の目の前に運んできます。

それを畳の上に置いてから、畳縁の境目まで少し前に進め、「どうぞお召し上がりください」の意を込めて、無言でご挨拶をします。

 

② お客様の方は、茶碗台を持って自分の前の畳縁の内側に取り込み、「頂戴いたします」の意味のご挨拶を、これもまた無言で返します。

 

③ お客様は左右のお客様に軽く会釈のご挨拶を無言で行います。茶碗を左に移動させるようなことはありません。お菓子の時と同じです。

 

④ 茶碗台の上から茶碗だけを右手で取り上げ、左手の上に載せます。茶碗台は畳の上に置いたままです。

それから、手の上の茶碗を1回だけ時計回りでまわして、正面を避けます。

(他流では2回と決められている様ですが、式正織部流の場合は、要は正面を避ければよろしい訳で、ちょっと位置をずらすだけです。勿論、2回まわしても別に間違いではありません。そこは思し召しのままに随意で結構です。)

 

⑤ 1回服して、亭主にご挨拶をします。

お正客様の場合はそこで「結構な服加減で・・」とか「お茶の銘は? 」とか、亭主との会話の遣り取りが有るかも知れません。が、居並ぶお客様の場合は、何人ものご挨拶に亭主は答えきれませんので、声を出してご挨拶を返す様な事はしません。従って、居並ぶ方達は、お茶を捧げて無言の会釈でご挨拶をして、それから2口目、3口目と飲み進めます。

 

⑥ 服し終えたら、茶碗を反時計回りで1回まわして、もとの正面の位置に戻し、茶碗台の上に置きます。すると、お運びさんがその茶碗を下げに参ります。

 

上記⑥を次のように訂正いたします。(訂正年月日・2024(R6).02.02)

婆も耄碌しまして、間違えて覚えておりました。お詫びして訂正いたします。正しくは下記の様になります。少々文章が長くなりますがご辛抱下さいませ。

⑥ お茶を服し終えたら茶碗を茶碗台に置きます。次に、茶碗の飲み口を拭き清めます。まず懐紙1枚を四つ折りにし、茶碗を茶碗台に据えたまま、茶碗の飲み口の内側に懐紙を茶碗面に添う様に当てて右から左へ清めます。次に懐紙を上に引き上げて外に出し、そのまま懐紙を持ち替えずに、茶碗面の外側に添うように当てて左から右へと清めます。こうすると拭き始めた出発点に戻ります。そして懐紙を上に引き上げ、懐紙を水平にして飲み口の上縁部を右から左へ清めます。これで、飲み口の拭き清めが終わりました。汚れた懐紙は汚れ面を内側に折りたたんで、着物の袖か懐紙入れなどに仕舞います。

茶碗を右手で茶碗台から取り上げます。取り上げる前の状態は、時計に譬えれば飲み口が6時の位置、茶碗正面が7時から9時ぐらいの位置になっています。その状態の時、飲み口の向こう正面12時の位置に右手親指を掛けて茶碗を持ち、左手の上に載せます。しっかり載せたら、右手で持っている位置を掴んだまま、時計回りに約1/3周回して、茶碗本来の正面を12時の位置に移動させます。こうすると、お運びさんが茶碗を運ぶ時には、茶碗の正面がお運びさんに向いている事になります。そうなった所で茶碗を茶碗台に降ろします。

茶碗の飲み口を浄め、正面をお運びさん側に向け、茶碗を茶碗台に置いたならば、その茶碗台の羽根を両手で持って、自分の前の畳の縁の外に出します。これが薄茶の時の服し方です。

 

式正織部流の濃茶の場合はお茶碗の下に必ず古帛紗が敷かれています。それなので、薄茶の時とは服し方が少し違います。

濃茶を頂く時は、古帛紗ごと茶碗を取り上げ、古帛紗を手に載せたまま茶碗を時計回りに1回まわして、そのままお茶を服すのが正式な飲み方です。古帛紗をご自身の持つ古帛紗に替える様な事はしません。亭主から出された古帛紗をそのまま使います。

古帛紗と言うのは、縦16.5cm・横15cmの四角い布で、材質は絹、その多くは名物裂(めいぶつぎれ)や、或いはそれを模した柄などが多く、貴重なものです。

古帛紗に茶碗を載せて濃茶を頂くと、飲み口に触れて古帛紗を汚したり、慣れない事をして手が滑ってしまったらどうしよう、とか、色々と心配が出て来ると思います。この時の古帛紗の持ち方にコツが有り、汚れない様な持ち方が有ります。ただ、「ああやって、こうやって・・」と説明するのは難しいです。実地で手を取って説明するのが一番ですが、ブログ上ではそれも出来ませんし、また、実際の茶会であっても、お客様には正式の持ち方を強要しない事になっております。

 

これはお茶会などで何時も皆様に申し上げているのですが、どうぞ正式の服し方に拘(こだわ)らず、思し召しのままに御随意にお飲み下さい、と。古帛紗を茶碗台に置いたまま茶碗だけをお取り上げになり薄茶の時の様に召し上がっても、大いに結構です。粗相を恐れて萎縮するよりも、ご機嫌よく愉しんでいただく方が、なによりも茶の湯の本意に叶っております。

なお、天目茶碗で濃茶を服し終わって畳の縁の外に出す時は、天目茶碗台の羽根では無く、天目茶碗台の一番丸い所・蕪の様に膨らんでいる所(ホウズキと申します)を両手で持って外に出します。

 

 

11 正客の座

茶席のイロハ」のこの項では、初めてお茶を習い始めた方へのアドバイスを主にしております。ただ、正客の話になると、もう少し上の中級・上級の人達へも話が広がります。

正客の座は茶席の一番上座に有ります。亭主と相対する位置です。

大寄せ茶会以外の茶会では、亭主は、この人はと思う様な意中の人物を正客にお招きして、茶会を開きます。そう言う訳で、その場合、正客の座に納まる人は最初から決まっております。

ところが大寄せ茶会となると、そういう訳にもいかず、その場に集まった人達の中から正客を勤めて頂く方を探さなければなりません。正客の大変さをご存知の方は皆ご遠慮なさり、なかなか引き受けて下さいません。色々な茶会でお会いする常連さんの顔を見つけて、この方なら場数を踏んでいらっしゃるだろうからと、その方に正客をお願いするのですが、押し問答をしている内に、全く存じ上げない方が何時の間にか正客の席に座ってしまうアクシデントが起きたりします。

人が遠慮してなかなか正客の座が埋まらない状況を見て、きっと「遠慮する事なんか無いじゃない。空いているんだったら私が座っちゃおう。ラッキー! 」とばかりそこに座ってしまうのでしょう。茶の座席は電車の座席とは違います。席取り合戦は馴染みません。

御菓子の所で申しました様に、正客は居並ぶ客のリーダー的役割を担っております。リーダーの経験値が豊富であれば有る程、その茶席は一期一会の素晴らしい空気に満たされ、茶の湯の楽しみが倍加します。ご亭主とお正客様のお話を拝聴していると、風雅の世界に導かれ、趣向の素晴らしさに目が洗われるような気がします。お道具に対する見識・歴史に対する造詣、禅語への深い洞察力、古文書の読み方などなど伺うにつれ、本当に心からその方を尊敬してしまいます。婆は20年お稽古をしてきましたが、まだまだそこまで手が届かない未熟者です。正客の座にすわるのは怖くて勇気が出ません。

その様な訳ですから、初心者の方は、ゆめゆめ正客の座に座らないようにしましょう。なるべく真ん中らへんに座るのが良いです。正客の座に座るのは10年以上修行してから座りなさい。また、俗世の地位が高い人は上座に座りたがるのですが、一歩譲って、三客目か四客目以下に座りましょう。その方が無難です。

 

12 私語を慎(つつし)みましょう。

「正客の座」で、「ご亭主とお正客様のお話を拝聴していると云々」と申し上げましたが、実は、茶席で亭主と会話が交わせるのは正客だけと、決まっています。他の方は話せません。せいぜい次客までです。その他居並ぶ客は沈黙を守るのが掟です。もし、亭主に質問をしたければ、直接質問するのではなく、正客に質問したいことを申し上げ、正客がその質問を取り次ぐ形で亭主に伺います。亭主は質問した本人には答えず、質問を取り次いだ正客に答え、正客が質問した本人に向かって、或いは客全体に向かって「こういうことですよ」と答えを返します。

時代劇などで、よく殿様と家老と平家臣との遣り取りが出て来ることがあります。そういう時、平家臣が殿様に直接申し上げる事はなく、家老に向かって言上(ごんじょう)申し上げ、それを家老が殿様に取り次ぐと言うシーンをご覧になった事があると思います。まさしくそれと同じ事が行われます。これは、式正織部流が武家茶だからそうしている訳ではありません。一般に行われている侘茶であっても同じ事です。

そうなると、中には亭主と正客の話について行けず、退屈して私語に走る方もいらっしゃいます。下座に座っているからお喋りしても気付かれないだろうと夢中になっている内に、次第に声が大きくなり、ペチャクチャ 々 々 止まらなくなってしまうケースも有ります。囁(ささや)き声でも、意外と遠くにとどくものです。周りのお客様は甚だ迷惑ですので、私語は慎みましょう。

元々、濃茶の時は終始無言で進行します。亭主も正客も喋ってはいけません。静寂を愉しみます。亭主と正客の会話が解禁されるのは、およその点前が終わり、ご両器拝見の頃合いになってからです。ご両器というのは、棗(なつめ)茶杓の二つ、又は、茶入と茶杓の二つを指します。これをご両器と呼びます。

薄茶の時は、静寂への強い縛りはそれほど強くありません。気分も寛いでいます。ご両器拝見の頃になったら、静かに、穏やかにお客様同士で会話を楽しむのも良いかと思います。

但し、濃茶の時も薄茶の時も、いずれもお点前中は無言ですよ。誰だって自分のプレゼンテーション中に私語が盛んにおこなわれていたら、嫌な気分になるでしょ? それと同じです。

厳然たる静寂の時と和みの中の穏やかな会話、緩急自在の妙です。

 

13 お詰めの座

お詰めの座と言うのは正客の正反対で、一番末席の座を言います。末席だからといって侮(あなど)るなかれ。お詰めはアンカーなのです。

御菓子器がお客様を回って来て、最後はお詰めの前にやって参ります。茶席によっては、会記やら、茶碗やら、流派によっては出し服紗やら色々な物が皆様の所を回って、最終的にお詰めの前にやってきます。それをどうにかするのがお詰めの役目です。

尤も、亭主を助ける半東(はんとう)と言う役目の人がいて、その人が状況を見ながらお運びさんを指揮して円滑に進行させて行きますので、心配する程大変ではありません。が、場合によっては半東の目が届かない事も有ります。そんな時、お詰めの人が気を利かせてお運びさんに声を掛けたりして、座の進行を助けます。

 

余談  半東(はんとう)とお運びさん

この項で度々出て来る「半東」という役割の人ですが、半東は亭主の片腕となって、亭主を助ける人の事を言います。大概は亭主の後ろに控えて座っており、主に正客や次客に対応してお菓子やお菓子やお茶を運んだりします。半東はそれなりの熟達者が当たり、茶席の全体の進行を把握します。

お運びさんは、水屋で陰点てしたお茶を、居並ぶお客様に運ぶ人です。

 

 

194 古田織部茶書(3) 織部百ヶ条

織部百ヶ条と言うものがあります。古田織部大野修理大夫治長に宛てた巻物と言われております。原本は、あて先が誰だか分らないように削られているそうですが、墨筆なのでその痕跡が残っており、それで大野修理宛と分かったそうです。

(うわさ)によれば、織部百ヶ条と言うのは幾つも有るそうです。織部は利休から教えられた茶法をそこに記し、彼自身のやり方も交えて認(したた)めた様ですが、それからそれへと書き継がれて流布して行く内に、少しずつ変化している様です。

変化と言っても内容に大きな違いは無いようです。

① 条の順番が必ずしも同じではない。

② 所により漢字が平仮名になっている部分がある。

③ 解説文が付いているものもある。

④ 中にはキーワードの単語だけになっているものもある。

⑤ 同じ内容でも、表現が違っているものがある。

違い、と言えばそのような所でしょうか。

内容的には、掛け軸の事、床の事、茶入の事、水指の事、道具の置合の事、花の事、客の事、などなど前号、前前号で扱った『宗甫公古織江御尋書』と似通っております。今回は、『織部百ヶ条』と言われるものが幾つも有るようですので、その内のどれを取り上げて話を進めて良いのか分かりませんので、今回は各条について取り上げない事にしました。『織部百ヶ条』の概要だけにしたいと思います。

 

織部百ヶ条』は織部自身が付けた表題では無く、後世の人が付けた名前です。

市野千鶴子氏の「古田織部茶書」で「織部百ヶ条」として収載されているのは

1、東京国立博物館所蔵本 (略称 東博本)

2、市野氏本

3、興聖寺

4、粟田氏本

の4つです。その外に

5、弘前市立図書館本

6、小堀政峯本(ネットオークション出品)

等々があります。

 

           織部百ヶ条は幾つ有る?

 

東博本について

東京国立博物館のレファレンス協同データベースの事例詳細に、次の様に書かれていました。以下抜粋

『・・・東博本の「古田織部正殿聞書」は外題に「古織伝」と記す」)と合綴されている。この東博本「織部百ヶ条」の内題は、「古田織部正殿百ヶ条」。

世に流布されている形のものであるが、本来の姿であるべき巻子本ではない。

美濃判十枚。一一二条。江戸中期の書写であり、その時点で「茶道百首」により朱書の補訂が付されている。』

※合綴(がってつ)→別々に作られた本などをとじ合わせて、冊子としたもの。

 又、市田千鶴子氏の『古田織部茶書』に依れば、東博本の『古織伝』は間違えているそうです。

 

「古織伝」は、江戸時代の慶長年間に岡村百々之介(おかむらどどのすけ)と言う織部の弟子が、この本を出版したものです。百々之介を未熟者で浅知短才となじる者がいました。ただ、正客を大野治房とした織部の茶会に、次客として百々之介が招かれており、三客以下に針屋宗春などが居る所を見ると、百々之介はそれなりの人物と見る事が出来ます。彼の書いた「古織伝」は後に古田織部作とされ、ベストセラーとなったそうです。彼は大坂方で戦い、大坂冬の陣で討死しました。

「古織伝」を画像検索しましたところ、東博アーカイブスの「古織伝」には巻頭の頁と、奥書の頁、表紙のみの冊子と合わせて5冊分が載っており、その末尾に寛文六年九月十二日 桜山一有と書かれていました。

 

市野氏本について

市野氏の著書古田織部茶書』には、東博本、興聖寺本、粟田氏本の外に、もう一つの 織部百ヶ条』 が収載されております。これは、収載の順番としては二番目に位置しています。

この市野氏本の二番目に載っている 『織部百ヶ条』 の巻末の日付が寛文六年九月十二日となっており、末尾の名前が桜山一有と一致してます。日付が百々之介の『古織伝』と一致している事から、これは百々之介の本から吟味抜粋したものではないかと思っております。抜粋と考える根拠は、巻末日付と名前が一致していながら、出だしの文言が市野氏本と東博アーカイブとは違っている事に依ります。

 

興聖寺本について

興聖寺本をネットで検索してみましたが、現物の写真が見つけられませんでしたので、市野氏本に記載されているものを頼りました。

興聖寺本の特徴的な事は、一つ書きのメモ調で、極めて簡素です。キーワードの単語だけが書かれています。述語の部分が欠けている条が多いのが目立ちます。

 

弘前市立図書館本について 

インターネットで探してしましたら、『古田織部百ケ条-国書データベース-国文学研究資料館』に行き当たり、弘前市立図書館が『織部百ヶ条』を所蔵している事を発見しました。

 

小堀政峯本(ネットオークション)

オークションに出品されていた『織部百ヶ条』をネットで発見しました。

それには『小堀政峯 織部百ヶ条巻物 小堀宗友書付 真筆(和書)』と説明がありました。

これがもし本当ならば、『織部百ヶ条』と名乗るものが小堀政峯本として存在している、と言う事になります。

 

それぞれの織部百ヶ条の比較

                   

                  条 数

 東博       112条 (市野氏本に収載されているのはその内の69条) 

市野氏本      50条 (市野氏本の二番目に収載されている条数) 

興聖寺本     107条   

粟田氏本     124条 

弘前市立図書館  126条

小堀政峯本    115条

 

最初の書き出し

 

東博本   一 掛物掛申儀先第一直ニ仕候事

市野氏本  一 床ニ硯置申事、何れの床ニても、右たるべし。

興聖寺本  一 茶入のふた。

粟田氏本     一 客座敷へ入候時、刀かけへ二腰共ニ上候、

弘前本   一 掛物懸申義第一直ニ

 

奥 書

 

東博   奥書

『右者織部殿数寄道不残越前之大野道賀江御伝授也百ヶ条聞書道賀越前宰相殿茶道河野宗休江傳ル宗休松平出羽守直政之茶道河野清庵江傳ル清庵是御傳候也

寛文六年九月十二日   桜山一有在判

※ 越前宰相=結城秀康(家康次男・越前北荘藩初代藩主) 

※ 松平出羽守直政(結城秀康三男・出雲松江藩初代藩主)

(ずいよう意訳)

右は織部殿が数寄の道(茶の湯)を残らず越前の大野道賀へ伝えたものです。百ヶ条並びに聞き書きを道賀より越前宰相殿の茶道・河野宗休へ伝へました。宗休より松平出羽守直政の茶道・河野清庵へ伝えました。清庵は是を伝えています。

寛文六年九月十二日 (1666年10月10日)   桜山一有在判

 

市野氏本 奥書

この一巻は、あなたが御執心なので、私としては迷惑であるけれども、お稽古の為に、利休の仰ったことを認(したた)めました。一笑々々、と言う奥書を、4月12日付けで、古織部在判で書かれています。

なお、その後(うしろ)にこれが越前の大野道賀に伝わり、百ヶ条並びに聞き書きを道賀より越前宰相の茶道・河野宗休に伝わりました。宗休より松平出羽守直政の茶道・河野清庵に伝わりました。清庵がこれを伝えました、と伝来の経緯が書かれています。日付は寛文六年九月十二日(1666年10月10日)、署名は桜山一有になっています。

東博本の奥書には「迷惑」の文言はありませんが、日付と署名は、東博本と一致しています。

 

興聖寺本 奥書

右の一巻は、利休相伝の通りのものです。あなたの御執心から逃げる事が出来ず、それを慮(おもんばか)って書きましたけれど、と述べた上で、これを書いて後々の世の嘲弄を受けるのを恐れる文面が続きます。日付は  三月二日で、大野修理(大野治長)宛で古織部と花押があります。

 

粟田氏本 奥書

(ずいよう意訳)

右の一書、124条です。貴殿の御執心浅からず、書を持ってお知らせします。我等は年寄ですので、前後失念が多い状態です。全ての茶の湯の道、習い是なく、寸法を定め、道具全般の事、これも無いのですから、初心者や熟達した人には、この様に申し渡しています。元々無一物の道理より全ての法が生まれております。一期の御心中を以って臨めば、万事が済みます。なお、お尋ねの事については、心底残っているものはございません。(全てお伝えいたしました。) 神様にその様に申し上げました。以って、これを他に見せてはいけません。後世を恐れて。(実際に書かれていのは『可恐後世々候』。これは「恐惶謹言」や「敬具」と同じ結び言葉か)と記しています。日付は慶長17年9月21日(1612年10月15日)。(花押) 宛先は跡部助左衛門殿

 

弘前市立図書館本 奥書

奥書の所に禁無断転載と有りますので、そっくりそのまま載せる事は避けたいと思います。奥書には、大館の浄應寺から授かったと言う様な事が書かれています。

 

小堀政峯本(ネットオークション)

ネットオークションに小堀政峯の『織部百ヶ条』が出ていましたので、取り上げてみました。真偽のほどは分かりません。

小堀政峰(1689-1761)は近江国小室藩5代藩主で遠州流茶道5世家元。号は宗香。奥書は、『古織申す百ヶ条政峯書掛人之需 應政方書之 方宗友』と書かれています。

 

織部百ヶ条雑感

織部百ヶ条? ン? なに、それ。そんなものが有るの?

知らないと言うのは恐ろしいもので、お茶を習うのに「〇〇ヶ条」などといって規則を書いたものなど必要ないと、婆は上から目線で無視し続け、長い間関心を持たずに参りました。それは、お茶を習い始めた若い頃、と言っても、お茶を習い始めたのが60代ですから、結構な歳になってからの話です。傲岸不遜(ごうがんふそん)、無知蒙昧(むちもうまい)、誠に恥ずかしい限りです。

 

織部が書いたという『織部百ヶ条』は色々あります。

恐らく、織部先生のお言葉をお稽古の指針にしようとして、わざわざ書いて貰ったものが伝わるうちに、写本が作られ、写本が更に写本され、今あるように何冊もの伝来になったと思われます。

それにしても、それぞれの奥書を見ると、織部自身が自分の書いたものに対する肯定感が、とても低いのに驚かされます。

奥書については前の方でそれぞれ訳文で紹介していますが、その訳文の元となった文章を見ますと、

市野氏本の奥書は『・・乍迷惑・・愚意筆染候 一笑々々』と言う言葉で結ばれています。

また、興聖寺本の奥書に『・・折而雖斟酌候 依難遁御執心・・』という文言が見えます。そう言って更に言葉を『・・不顧後哲之嘲弄 穢楮面畢・・』と重ねています。(楮面←楮(こうぞ)は紙の事。穢楮面で紙面を穢す又は穢れた紙面)

粟田氏本の奥書には『元来無一物』と言い切り、全てはそこから発しているのだから、心の則一つで全てが済むと言っているのです。

まるで織部が、自分の書いた百ヶ条を鬼っ子でもあるかのように苦々(にがにが)しい思いで見ているように、見受けられます。

織部は、書面に記してまで自分の茶法を後世に伝えるなんてしたくは無かった、と思っていたのではないかと、婆は疑っています。

 

茶の湯は茶の一服をもって人を持て成すのが第一義です。そして、茶の湯の場に居心地の良い最善の美を演出して、客を持て成すのです。そこに、「どうだ! 凄いだろう! 」的な驕(おご)りがあってはなりません。

茶の湯をする時は、(亭主・客・構成)、(季節・時分)、状況 (茶会の名目・立場・世相・時流)などの違いで、その都度、場の空気が千変万化するもの。臨機応変の対応力が必要ですし、その中から最善の方法を選び採(と)らねばなりません。条文に捉われて、「織部がこう言ったから、こうします」では茶の奥義への到達は難しいのです。

 

師・利休は、『人と違う事をせよ』と教えました。利休の衣鉢を継ぐ織部が茶書を残せば、それはこれに則(のっと)って同じことをしていれば、取り敢えず間違いが無いと、指針を示すことになります。そうなれば、吾も吾もと同じことをし始め、とどのつまり人皆同じ状態になってしまいます。そこに茶書を書くことへの矛盾は無いのでしょうか? 織部よ、その辺の思案や如何に、と、後の世の人が問うでしょう。

だから、『穢楮面畢』の覚悟をもって、嘲弄を顧みず書くしかない、儂にとっては甚だ迷惑な事だ・・・

そう答えている織部の姿が浮かんで来るようです。

 

織部の心情を推し計るのはさて置いて、そうは言っても、基本をきっちり身に着けずに変化させたらぐずぐずに崩れてしまいます。それは鉄筋や鉄骨を入れないでコンクリートのビルを建てるのと同じ事。如何に巨大なビルを建てても地震があれば忽ち崩れてしまいます。自明の理です。見るも無残な有様になって、目も当てられません。

何事も基本の基の字が大切です。ピアノでもヴァイオリンでも、書道でもスポーツでも、どの道であれ全てが基本の基の上に築かれており、そこが出発点です。それには先達の通った道を習うのが一番の早道です。

『人と違う事をせよ』との教えを、婆は言い直したいと思います。

人と同じことをしながらも、常に自分なりの工夫をせよ、と。

努力過程の途中では、外からの見掛けは同じに見えますが、長い修行の後には結果が大いに違ってきます。

 

余談  お詫びして訂正

前号の [ ブログ№193古田織部茶書(2) 下巻の抜粋解読 ] の中で、風炉乃数寄に茶立候時ハ畳の真中に居て立候がよき由』の[参考]に、式正織部流でお客様の方に向かって45度ズレて座るのは「炉の太閤点」のみだ、と申し上げましたが、もう一つありました。「炉の平点前」も45度ズレて座ります。ズレて座るのは、従って二つあります。後は全て正面を向いてお点前をします。婆の失念でした。お詫びして訂正いたします。この件につきましては、既に本文を訂正しております。

 

 

何時もご愛読くださいまして、ありがとうございました。

来年も宜しくお願い申し上げます。

どうぞ良いお年をお迎え下さいますように。皆さまのご健勝をお祈り申し上げております。

 

この記事を書くに当たり、下記の様な本やネット情報を参考に致しました。

東京国立博物館 研究情報アーカイブス C0067327古織伝-東京国立博物館 画像検索

古田織部百ケ条-国書データベース-国文学研究資料館 弘前市立図書館 画像

オークファン [探知]小堀政峯 織部百ヶ条巻物 小堀宗友書付 真筆(和書) 画像

角川 書道字典

角川 漢和中辞典

和暦西暦変換(年月日)-高精度計算サイト-Keisan

この外にウィキペディア」、「コトバンクなどなど多くの情報を参考にさせていただきました。有難うございました。

 

 

 

 

 

193 古田織部茶書(2) 下巻の抜粋解読 

ここでは、国立国会図書館所蔵の「宗甫公古織江御尋」の1冊目と2冊目を取り上げております。前号ブログ№192 古田織部茶書(1)で、市野千鶴子氏校訂古田織部茶書」に通し番号を振り、国会図書館本の原書「宗甫公古織江御尋書」と対比しながら、思いつくまま抜粋して解読して参りました。今回も同様にそうしようと思って、取り掛かってみましたが、早くも壁にぶつかってしまいました。

理由は、国会図書館所蔵の原書と市野氏本との内容の並びが必ずしも同じでは無く、入り組んでいる為です。作業している内に混乱してしまいました。そうなると、通し番号の意味をなさなくなってしまいます。

そこで、軸足を国会図書館に所蔵されている原書に完全に移し、「宗甫公古織江御尋書」をピックアップして参りたいと思います。

 

        慶長尋書下巻

 

国会図書館原書2冊目の1頁目、コマ番号にして3/22の最初の1条は、市野千鶴子氏校訂の17頁・通し番号129に出ている条です。

原書

一 風炉前の足小板間壱寸分半有後乃足より小板乃間貮寸分半有分前へ風炉よ流なり

市野氏本

一 風炉の前の足、小板ノ間一寸有、後ノ足より小板之間二寸分・分半前へフロヨルナリ。(※赤字は原書と違う寸法の箇所)

[原書の訳] 一 風炉の前の足、小板との間一寸八分は有り、後ろ足より小板の間二寸六分は有ります。八分前へ風炉が寄っています。

[解] 最後の語「風炉よ流なり」の「流」を変体仮名の「る」と変換し、「風炉よるなり」→風炉寄るなりと解釈しました。

「一寸八分半」の「半」を変態仮名の「は」と変換し、「一寸八分は」と読みました。尺貫法で「分」の半分はミリ単位になり、設置位置の精度をそこまで要求するのは非現実的と思ったからです。なお、原書と市野本とでは、寸法に違いがあります。

風炉と言うのは、火鉢のように持ち運びができる熱源設備です。これに対して「炉」と言うのは、囲炉裏のように部屋の中に炉を切って作る固定的な熱源設備で、移動が出来ません。

風炉の足」と言うのは、風炉を直に畳に置かないように付けた足の事です。大抵の風炉には3本の足が付いております(鼎(かなえ)の形)。この条ではその足について言及しております。

風炉を直に畳に置かず、四角い小板を敷いてその上に設置します。前にある1本の足と小板の前際(きわ)との間を約5.5cm、後ろ足と小板の後ろの際の間が約8cm、全体的には風炉は小板の中心より2.4cm位前へ寄っている、と言う事です。

[雑]   原書では     1寸8分=5.5cm   2寸6分=7.9cm

   市野本では  1寸7分=5.2cm   2寸4分=7.3cm

因みに尺貫法の換算は 1尺=30.3cm 1寸=3.03cm 1分=0.3cm=3㎜

 

原書下巻 コマ番号9/22。 市野氏本221 33頁出。

文中の「上客之時」の「客」の字が読めず、空欄のまま読み飛ばしていました。が、原書のコマ番号13/22にある「慶長十六年十一月十三日・・・」の小見出しの末尾に同じ文字を見つけました。それが「客」という字でした。近くに同じ字が三ケ所も出て来て、いずれも「客」と読んでも前後に矛盾無く繋がりましたので、この読めなかった字に「客」の字を当てました。

市野氏本では、同じ字を「洛」と読み解いています。「洛」の崩し字にしてはサンズイに当たる部分の筆運びがありません。市野氏の様に「上洛の時」と読んだ方が分かり易いですが、「上客」と読んでも意味が通じます。つまり「上客」は「正客」と同じと判断しました。

慶長14正月上客之時我等直ニも使ニ而も織部へ尋候覚

一 露地山またハ以川連乃景を見候事 木乃間り少し見ゆるか能候哉 山など多く見へ候は能候哉と尋申候へハ 山其外景ハ木乃間より少し見へ多る候面白く候 山なと多く見へ候偏者景しきならさる由候てニ付引事に三井寺にて宗長乃句ニ

夕月夜海寿こしある木乃間か那

[読]  慶長14年正月、上客の時、我等直(じか)にも使いにても織部へ尋ね候覚え

一 露地より山またはいづれの景を見候事、木の間より少し見ゆるが能(よ)き候や、山など多く見え候は能(よ)し候やと尋ね申し候(そうら)へば、山そのほか景は木の間より少し見えたる候面白く候、山など見え候は、景(け)しきならざるよし候てに付き引き事に三井寺にて宗長の句に 「夕月夜 海すこしある木の間かな」

[解]  慶長14年正月お正客になって織部の茶会に行った時、私達は直接にも使いにても織部に尋ねた件についての覚えです。

露地からの借景について尋ねました。山やそのほかの景色は木の間から少し見える方が良いのでしょうか、山などが多く見える方が良いのでしょうかと尋ねたところ、織部は次のように答えました。山やそのほかの景色は、木の間から少し見える方が、興趣が有って面白い。山などが多く見えてしまうと、趣のある景色では無くなってしまうので、それについて、次の様な三井寺で宗長が句を引用しました。

「夕月夜 海少しある木の間かな」

ここでは露地の庭づくりに際し、近景と遠景の取り入れ方を述べています。庭に奥行きを持たせる為、近景を大きく、遠景を小さくと言う事で、遠くの山はチラ見の方が良いとの事。秘すれば花の通り、宗長の句も、月の光に照り映える海が全面的に見えるよりも、木の間から海が見える情景を詠っています。

 

原書下巻コマ番号10/22          市野氏本225 、33頁出

一 数寄屋の小袖若キ者ハ赤裏阿しく候半由但し袖ふく里んをとり寿楚ゟ見へ候へハ不苦由

[] 数寄屋の小袖、若き者は赤裏あし(悪)く候は由。但し袖ふくりん(覆輪)をとり、すそより見へ候へば苦しからず由

[] 数寄屋で着る小袖は、若い者が小袖の裏地に赤い裏地を付けるのは良くない事だ。但し、袖口に赤い袖口布を当ててチラッと覆輪の様に見せたり、裾より赤く見えるのは構わない。

裾より赤く見えるのは構わない、というのは、「裾ふき」の事を言っているのだと思います。

裾ふきと言うのは、表地の裾に裏地を2㎜位持ちだして外から見える様にし、裾を縁取りする縫い方です。

 

原書下巻コマ番号10/22  市野氏本226、33頁出

一 数寄候ても数寄屋へ革足袋阿しく候

[] 数寄候ても数寄屋へ革足袋(かわたび)(あ)しく候。

[] 好きだと言っても茶室へ革の足袋を履いて行くのは良くない。

[] 原書の「数寄候ても・・・」の条、市野本では次のようになっています。

市野本 あたらしく候ても、すきやへかわたひあしく候

[談] 革足袋と言うのは、鹿皮や猿等の皮をなめして作った足袋です。大変丈夫で、野原で石を踏んだり棘を刺したりして怪我しないように、作られた物です。武士にとって革足袋は無くてはならない物で、戦場では必須アイテムでした。また、山仕事の樵(きこり)なども重用しておりました。信長などは、革を小紋に染色加工して、お洒落に履いていた様です。

今でも、武道をなさる方々の中には、床での足運びが容易であると言う理由で、足袋底に革を張った物や、全面的に革使用の物などを愛用なさっている方もいる様です。

 

原書下巻  コマ番号13/22   市野氏本265、41頁出

一 織部咄しに如可なる因果に数寄を仕ならひ此寒きに大坂堺にて方々へ数寄に参る故煩も発候又は江戸へ切ヽ伺公申し事数寄故に此引哥に

誰由へに佐乃ミ身をつくすらん  船つなけ雪夕へのわたし守

[意訳] 一 これは織部が咄(はなし)た事です。

どういう因果か茶の湯を習ってしまったので、この寒さの中でも大坂や堺へ行き、方々へ茶会に参るので病気になってしまい、又、江戸へキリキリとハードな日程で伺候する事、これも茶の湯故。これを歌から引用して、

誰由へにさのミ身をつくすらん  船つなけ雪夕へのわたし守

と嘆いておいでてした。

誰の為にこのように一所懸命身を尽くして働かなければならないのだろうか 雪の夕べに舟を岸辺に繋ぐ船頭独り。と口にする織部。寒々とした孤独感が漂って来るようです。

 

原書下巻コマ番号14/22。 市野氏本269、41頁出

慶長17 4月4日古織相尋申覚

一 濃茶乃後茶わん茶付を客人湯を入て候所望候ハヽ同しくハすすき候て別に薄く立て候能由

 [] 慶長17年4月4日 古織に相尋ねた時の覚え。

一 濃茶の後、茶碗の内側に付着している茶に湯を足して、もう一杯頂きたいと客人が所望したならば(そのようにして薄めた茶では無く)、同じ様に濯(すす)いで綺麗にして、別に薄く茶を点てて差し上げるのが能(よ)いとの事。

 

原書下巻コマ番号14/22。  市野氏本270、42頁出

一 風炉乃数寄に茶立候時ハ畳の真中に居て立候かよき由

[] 風炉でお茶を点てる時は、畳の真ん中で点てるのが良い、との事です。

[] 「畳の真ん中」と言う事は、部屋の真ん中と言う意味なのか、それとも、点前座の畳、つまり亭主がお点前をする時に座る畳の、その真ん中に座ってお点前をしなさい、と言う事なのか、この文章だと判然としませんが、ここは常識的に言って、点前座の畳の真ん中を指して言っていると考えて、間違いないと思います。

[参考] 点前畳の「真ん中」と言っても座り位置が二種類あります。

一つは、正面から45度ズレてお客様の方に向かって座り、お点前をするやり方です。

一つは、正面を向いたまま、風炉やお道具に正対してお点前をするやり方です。

殆どの流派は、一番目のやり方でお点前をします。

ところが式正織部流は二番目のやり方でお点前をします。正面に向かったままお茶を点てます。亭主とお客様の関係は90度の位置関係になります。

式正織部流には凡(およ)そ45通り以上の点前のやり方があります。

平点前、四方棚(よほうだな)・二重棚・三重棚・高麗卓(こうらいじょく)等々にはそれぞれ風炉と炉、濃茶と薄茶の点て方の別があります。又、炉点ての袋棚、風炉点ての長板・立礼・竹台子・真台子にも濃茶・薄茶の点て方の違いがあります。それだけあるお点前の中で、お客様に対して45度に座り位置をずらして向き合うのは「炉の平点前」と「炉の太閤点て」だけです。その外の全ては、亭主は客の方へ向かず、正面を向いてお茶を点てます。

太閤点てというのは、太閤秀吉が好んだ茶の点て方で、華やかで動きの多い点前です。袱紗を捌いて蓮の花に見立てたり、花弁がさっと散る様に袱紗を落し、袱紗が畳に落ちる前に掬い取って鮮やかに右手に収めるなど、見せ場の多いお点前です。その為でしょうか、「見せる」為に、お客の方へ体を45度向けるのは。如何にも太閤の好みそうなものですが、運動神経が鈍い婆は失敗も多く・・・

 

原書下巻コマ番号16/22   市野氏本286、43頁出

慶長17上洛之時7月29日朝道巴数寄屋にて口切候時織部殿覚

一 数寄屋へ薄帷子悪し候へハ見へ寿きて悪敷二ツ重て着候か吉同薄き布ハ者可満に阿しく候由□□□とやらん布ハあつくて能由

[読] 一 数寄屋へ薄帷子(うすかたびら)(あ)し候へば見えすぎて悪敷(あしく)、二つ重ねて着候がよし。同薄き布は袴(者可満)に阿(あ)しく候由(よし)□□□とやらん布はあつくて能(よ)い由(よし)

[意訳] 慶長17年上洛の時、7月29日の朝、道巴(=服部道巴)の数寄屋に於いて口切をした時に織部殿が言った事の覚え

一 数寄屋へ薄物の単衣(ひとえ)の着物を着て行くのは良くない。見え過ぎて悪い。二つ重ねて着るのがよろしい。同じ様に薄物の袴も悪いとの事だ。□□□と言う布は厚地なので良いとの事です。

なお、□□□と言う布について、原書に書かれている文字が読めなくて申し訳ございません。

この条は7月の頃の話。セミの羽根の様に透けて見える紗(しゃ)のような布は、紗袷(しゃあわせ)にするか、2枚重ねで着た方が良い、ということでしょう。

市野氏の本では、口切をしたのは「道也」の数寄屋となっており(括弧書で「巴」も並記されている)、又、婆が□□□と読み飛ばした箇所を「十九とや候はんの布・・」とあります。

[] 道巴は古田織部の高弟で服部道巴(はっとりどうは)と言い、加藤清正に200石で召し抱えられた人物です。彼は熊本藩の家臣達の茶の指導に当たっていました。

口切(くちきり)というのは、茶壷に入れて保管していた新茶を、茶壷から取り出して使い始める儀式の事です。新茶を茶壷に入れて厳重に封をして保管するのですが、使い始める時、その封を切るので「口切」と言います。普通、11月に口切の茶事を行い、その為、11月を茶の正月とも呼びます。

 

原書下巻コマ番号18/22   市野氏本309、46頁出

以下の五つの条、即ち「一 脇差をハ・・」「一 腰かけ御座候時ハ・・」「一 御手水之時は・・」「一 御供にハ・・」「一 御炭之時・・」は、いずれも小見出し「慶長御成御供之時」に含まれるものです。御成りの時に御供する時どう振る舞えば良いか述べたものですが、尋ねるのも大名の小堀遠州、答えるのも大名の古田織部、そういう大名が御供する相手といえば、上様・将軍しかおりません。それを踏まえて読み解いていきます。

慶長御成御供之時

一 脇差をハ刀懸に懸申し候

[訳] (上様の)慶長御成りに、お供した時

一 脇差を刀懸けに懸けました。

[参考] 市野氏本では「一 脇差をハさし申候、刀かけニ掛け申候」

 

原書下巻18/22   市野氏本310、46頁出

一 腰かけ御座候時ハ圓座を敷但し飛石之上敷御供有之

[訳] 一 腰掛に居る時は円座を敷きます。但し、飛び石の上に敷く、御供の者にはこれも有りです。

[解]「御成り」と言うのは将軍が家臣の屋敷を訪れる「数寄屋御成」の時に使う言葉です。腰掛けに居る時は円座を敷きます。御供の者が飛び石の上で待っている時は、飛び石の上に円座を敷く事もアリ、です。

上様の御供をして腰掛近くにまで近侍できる様な人物は、単なる平の警護の侍ではありますまい。幕閣のお偉いさんか大名格の人物。そういう身分の御供の人達であっても、上様と同じ腰掛に並んで座るなんて事は有り得ないですから、彼等は飛び石に蹲踞(そんきょ)していたのかも知れません。そういう時に「飛石之上敷御供有之候」と言ったのかも。

円座は、藁(わら)やイ草、菅(すげ)、真菰(まこも)、竹の皮などで丸く編んで作った敷物(座布団)の事です。

次の次の条で、お炭の時は、上様の手が汚れない様に、御供の者が炭を取って差し上げなさい、と言っていますので、ひょっとして上様が亭主を務める積りの席なのでしょうか。席主は御成り屋敷の主人、亭主が上様というのも戯(たわむ)れの酔狂、そんなぶっ飛んだ空想してしまう婆なのではあります。

[参考] 市野氏本では 腰かけニ御座候時ハ円座を(敷、但し)飛石ノ上ニ敷、御供之者ハ在之候」とあります。

 

原書下巻18/22   市野氏本311、46頁出

一 御手水之時は御供之内参り懸申候

[] 一 (上様が)御手水(おちょうず)を使う時は、御供の内の誰かがお側に参り、お水を懸けて差し上げます。

 

原書下巻18/22   市野氏本312、46頁出

一 御供にハ世きたをはき能候

[] 一 御供には、せきた(席駄or 雪駄)を履いて良い。

[] 「せきた」は「席駄(せきだ)」で、雪駄(せった)の事です。雪駄は和装男子の履物で、竹皮の草履の裏に革を張り、滑り止めの金具を付けたものです。「席駄」は、千利休が創ったと言われています。茶事などで、庭に降りた時などに履いたりします。

 

原書下巻18/22   市野氏本313、46頁出

一 御炭之時底は御供之とり申候

[] 一 (上様が)お炭手前をする時は、そこは御供の内の者が取ります。

[] 上様がお炭手前をする時は、お供の内の誰かが(炭を)取って差し上げなさい。上様のお手が汚れてしまうので、そうしなさい、という事。

  

 

余談  「上洛」と「上客」

この№193のブログで2番目に取り上げた条ですが、そこで、「上客」と「上洛」について、文字の読解に不安がありました。はじめ分からないので読み飛ばしていましたが、原書のコマ番号16/22の「慶長17上洛之時・・」には、はっきりと「上洛」と書いてあります。又、コマ番号13/22ある「慶長十六年十一月十三日・・・」の小見出しの末尾には「客」の字がありますので、「洛」と「客」を書き分けているのが分かります。と言う訳で、2番目に取り上げた条の「慶長14正月上客(or洛)之時」は、矢張り「客」で確定したいと思います。

 

 

 

この記事を書くに当たり、下記のような本やネット情報を参考に致しました。

国立国会図書館デジタルコレクション「宗甫公古織江御尋書」

検索は「茶道叢書 ウエブ目録 リサーチ・ナビ 国立国会図書館」ですると便利。目録通し番号は第108冊

「宗甫公古織へ御尋書」 市野千鶴子校訂

お点前の研究茶の湯44流派の比較と分析-Google ブック検索結果 廣田吉

角川書道字典

角川 漢和中辞典

AI手書きくずし字検索

人文学オープンデータ共同利用センター 「日本古典籍くずし字データセット文字種(くずし字)一覧」

この外に「ウィキペディア」、「コトバンク」などなど多くの情報を参考にさせていただきました。有難うございました。

 

 

192 古田織部茶書(1) 抜粋解読

古田織部茶の湯を知るには、織部が弟子にどのように教えていたかを知るのが一番の早道です。

そこで、先ず「宗甫公古織へ御尋書」と言う書を取り上げてみたいと思います。

宗甫とは小堀遠州の事。古織とは古田織部の事。つまり、弟子の小堀遠州が、師の古田織部に聞いた事を、メモ書きして残した書が、「宗甫公古織江御尋書」という本です。

メモ書きですので、「一つ書き」という体裁で書かれています。一つ書きと言うのは、一 なになにと言う具合いに書き連ねて行く書き方です。

 

ここでは、国立国会図書館デジタルコレクショ「宗甫公古織江御尋書」を基に思文閣から発行された市野千鶴子氏校訂「茶湯古典叢書」から「宗甫公古織へ御尋書」を大いに参考にしながら取り上げてみたいと思います。

なお、中身がどういう内容なのか、雰囲気だけでも知ろうとするものなので、取り上げるのは全部の条では無く、婆なりに目に止まった条だけに致します。

また、条についている番号は、原文に元々付いている番号では無く、又、市野千鶴子氏が付けた番号でも無く、婆が整理の都合上勝手に付けた通し番号です。

更にまた、原本と市野氏の本では、カタカナ・平仮名(万葉仮名も含めて)の扱い方の違いや漢字の平仮名化などが所々見受けられましたので、ここでは、原本に出来るだけ添うようにしました。

 

       宗甫公古織江御尋書

先ずは最初の1条です。原本1巻目コマ番号 3/27頁出。市野氏本3頁出。

一 墨蹟乃覚風帯左ヲ上

[訳] 一、墨蹟の掛け軸の覚え。風帯の左を上にします。

[解] 墨蹟とは禅僧が書いた書の事。風帯と言うのは、掛け軸に上(天)から下がっている二本の細い帯のことです。織部は墨蹟の掛軸を仕舞う時は、風帯は本紙と一緒に巻き込まずに、風帯の左を上にしなさい、と言っております。

「左を上に」と言う事を図的に説明しますと、こういう事になります。

掛け軸を下から巻いて行って最後に一番上まで達した時、てっぺんから下がっている風帯2本が邪魔になります。邪魔になるからと言ってそれを本紙と一緒に巻き込んでは絶対にいけません。何故なら、巻いてしまうと、取り出して飾ろうとする時、その癖がついた風帯がゼンマいの様にくるくる巻いてしまって蚊取り線香の様になってしまうからです。ではどうするか?

風帯を巻き込まずに、表木(ひょうもく)(一番上にある芯材)に添う様に、横に左右の風帯を折り曲げるのです。その折り曲げた風帯の扱い方ですが、左側が上になる様に折りなさい、という意味です。

(※ 表木(ひょうもく)の事を「半月(はんげつ)」とか「八双(はっそう)」とも呼びます。)

 

4番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号 3/27頁出。市野氏本3頁出。

一 墨蹟畳上ニテ巻候事、横ヨシ

[訳] 一 墨蹟の掛け軸は畳の上で巻きます。横にするのが良い。

[意] 掛け軸を巻く時は、掛け軸を畳の上に広げて巻きます。横にして巻くのが良いです。

[] 現在、表具屋さんなど掛け軸を扱う業者が行っている掛け軸の仕舞い方では、畳に置かずに床に掛けたまま下から巻き上げて行く方法を取っている様です。畳の上に広げると、畳の上の埃(ほこり)や塵(ちり)を巻き込むからだそうです。

掛けている物を仕舞うのではなく、平らな所に広げたものを再び巻いて仕舞う分には、畳の上に横に置いて巻くのが良い、と言うことでしょう。

 

17番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号 4/27頁出。市野氏本4頁出。

一 肩衝盆ニ置時、左之手を右へ添、盆ニ置時指を先付、扨茶入を置

[訳] 一 肩衝(かたつき)をお盆に置く時は、左手を右へ添え、盆に置く時は指先を先に付けて、扨(さて)それからお盆に置きます。

(肩衝とは、抹茶を入れる陶器製の小壺で、肩が角張っている物を言います。)

[意] この文章から、ここでは濃茶のお点前を取り上げている事が分かります。何故なら、茶入れ(→陶器製の小壺)は濃茶点ての時に使うものだからです。薄茶の時には茶入れを使わない代わり、棗(なつめ)(→漆塗りの木製)を使います。そして、お盆を使う事、添え手を指示している事から、これは式正の点て方だと分かります。他流では通常お盆を使いませんし、添え手の仕草もありません。

添え手と言うのは、主茶碗や棗、茶入れなどを扱う時に、それを持った手の反対側の手を添える所作の事を言います。粗相があってはならない為です。

それが「左之手を右へ添え」の表現になっています。例えば、柄杓で一杯のお湯を汲み茶碗に注ぐ時も、右手で柄杓を持って注ぐだけではなく、その時は必ず左手を茶碗に添えます。

添え手の形は「泣き手」と言って、お能で「しおる(=泣く)」時の手の形をします。(式正織部流では武術の形が所々に見られますが、お能の仕草も所作の中に取り入れられております。)

この条では、茶入れを扱う時に、「盆に置く時指先を先に付け」と簡単に書いてあります。茶入れを持つ手と、添え手の両方の手の動きが有りますが、要は、茶入れをお盆にトンといきなり置かずに、軟着陸させるような動きをする訳です。

 

71番目と72番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号 9/27頁出。市野氏本9頁出。

(猪子内匠(いのこたくみ)の数寄屋で行われた織部の雑談の中から抜粋)

慶長12正月12日朝 猪内匠数寄ニテ古織雑談

一 数寄乃振舞に餘り結構わろきよし但くわれさるもわろきと利休物語り候

一 利休にて数寄屋の振舞ニ菜三ツ多く出候事マレ成由

[訳] 慶長12年正月12日の朝、猪内匠(=猪子一時(いのこかずとき))の数寄屋で古田織部が雑談した

一 数寄屋でのご馳走が余りにも結構を尽くしたものは良くない。但し、食べられないのも良くない。利休を物語った時に出た話です。

一 利休での数寄屋振舞いに、菜(さい)(=おかず)が三つより多く出た事は滅多になかった、との事です。

 

98番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号11/27頁出。市野氏本13頁出。

一 数寄やにて、茶巾茶によこ連候時は、取替テも不苦由

[訳] 一 数寄屋で、茶巾が茶で汚れた時は、取り替えても苦しからずとの事。

[意] 一 数寄屋に於いて、茶碗を拭き清めて茶巾が汚れてしまった場合は、茶巾を新しいものに取り替えても構わないと言う事です。

式正織部流では、事前に茶巾を必ず2枚以上用意して点前に臨みます。台子点てになると、時には茶巾4枚を茶巾台に載せて運び入れます。茶巾の枚数が多くなると、茶碗に仕込むと溢れかえってしまいますので、茶巾台と言う陶器製の台に載せます。茶巾台は茶巾と茶筅の両方を載せますので、茶筅台とも呼んでおります。茶巾台と茶筅台は同じものです。

 

113番目に出て来る条です原本1巻目コマ番号13/27頁出。市野氏本15頁出。

一 月さへ候時腰かけに行燈候事、腰廻あたり暗ハヽとほし能く候

[訳] 一 月が冴えている時、腰掛けに行燈(あんどん)の件、腰廻りあたりが暗ければ、灯(とも)しても良いです。

[解] これは「夜咄(よばなし)」の茶会の話です。日暮れ時から始まる茶会です。庭には灯籠に火を灯し、室内では燭台に明かりを入れて行います。なかなか風情のある茶会です。

腰掛と言うのは、茶室の準備が整う迄のあいだ客は庭で待っていますが、その待つ場所を腰掛と言います。字の通りの腰掛で、簡単な屋根と囲いがあり、言うなれば椅子の有る屋根付きバス停の様な形の建物です。

月が冴えている時、腰掛けに行燈を置く件ですが、腰の周囲が暗い時には、行燈に火を灯しても良いです、と織部は言っています。

月が煌々と照らしている時は、草木の葉の一枚一枚に影が出来る程明るく、着物の柄も見える程になります。月の光を愛(め)でて、それを愉(たの)しむ向きには、そういう場所に行燈があるのは些(いささ)か興醒めですが、腰掛けの周りが暗ければ足元が危うく、そうも言っていられません。行燈に火を灯しても良いのではないかと言う事です。

灯籠に火を入れるだけでは無く、室内で使う行燈をわざわざ庭に持ちだして腰掛けに置き、一層の明るさを添えます。

 

139番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号 15/27頁出。市野氏本18頁出

慶長12古織腫物見廻りに宗可上洛之時相尋

一 茶入ノ袋の緒フルクナリ候ハヽ取替能候。

[訳] 慶長12年古田織部の腫物の見舞いに上田宗箇上洛の時尋ねました。

一 茶入れの袋(=仕覆(しふく))の緒が古くなったならば取り替えた方が能(よ)し。

 

下記は市野氏本の18頁の147番目に出て来る条です。この番号は最初に申し上げました様に、市野千鶴子氏校訂の古田織部茶書」内に記載の「宗甫公古織へ御尋書婆が勝手に付けた通し番号です。国立国会図書館所蔵の「宗甫公古織江御尋書」に書かれている条が、市野氏の校訂本と対応していると思っていましたが、実は、市野氏の本に付けた140番から149番までの条が、国会図書館の本にはありませんでした。もし、原本に載っているとすれば、原本のコマ番号15/27頁に有る筈のものです。そこで、この条をパスしようと思いましたが、この147番が、平仮名ばかりで何を言っているのかさっぱり分からず、逆にそれが面白くて嵌ってしまい、クイズ感覚で取組んでみました。

一 くさりの間ひるかきたてヽものヽむかひへなり能々かへむかひへなり候へハ、下のかぎ前元へなりよく候、但座敷によりワきへも替り候ハんや。

[訳] 一 鎖の間の蛭鉤(ひるかぎ)をたてて、釜の正面へ形よく上手に動かして替えたならば、下の鉤は前の通りに形良くなります。但し座敷の状態によっては脇が正面に替わる事も、あるのではありませんか?

言葉が難解で訳に自信がありません。一応次のように解釈してみました。

ひるかき→蛭鈎(ひるかぎ)。 ものヽ→釜の(「もの」が何か分かりませんが、前後関係から釜と解釈しました。) むかひ→正面。 へ→方向。 なり→形。 能々(よくよく)→心を込めて丁寧にor上手に。 かへ→替える。変化させる。動かす。 なりよく→形良く。 ワき→脇。 候ハんや→動詞四段活用「さふらう」の未然形+助動詞「む」の終止形+疑問の「や」

[(くさり)の間について]

鎖の間と言うのは、囲炉裏の様な構造を持った茶室の事です。炉の上に鎖が垂れていて、その鎖の先端に釜を掛ける仕組みになっています。

総じて鎖の間は広く、茶室で濃茶を頂いた後、席を移して鎖の間へ行き、そこで薄茶を頂きながら寛ぐ、と云う様な使われ方をしていたらしいです。茶事で言う、いわゆる中立(なかだち)の様なものですが、露地(庭)に出て気分を新たにして鎖の間へ向う事も有ったでしょう。或いは渡り廊下伝いに鎖の間へ・・・となったかも知れません。更に鎖の間から書院へ座を替えて宴になるのが、大名茶事のおよそのコース。

この条は、その鎖の間についての話題です。

鎖の間には天井に蛭釘(ひるくぎ)が打ってあって、そこに鎖を掛けます。蛭釘と言うのは「?」のような形をした釘の事を言います。よく、ハンガーを掛けたり、絵画を掛けたりする時に用いるあのフック釘の事です。

天井の蛭釘に鎖を掛けてその下に湯を張った鉄釜を下げるので、かなりの重量に耐える様に、蛭釘を打つ天井裏には、しっかりとした材木がさし渡されています。その様にして下げた鎖の先端には蛭鉤(ひるかぎ)又は蛭鈎(ひるかぎ)(→フック)が付いています。蛭鉤も蛭鈎も字が違うだけで同じものです。お釜の鉉(つる)が掛け易いように、先端が丸く曲がっている物です。その形状が蛭(ひる)という環形動物(ミミズなどの仲間)が体を曲げた状態に似ているためにこの名が付いています。

お釜を蛭鈎に掛ける時、鉤(かぎ)の向きに対してお釜の鉉(つる)が十字に交差して掛かりますので、位相が90°ズレます。更に、鉉とお釜に掛けた鐶でも十字交差して90°ズレます。上からぶら下がって固定されていない状態のお釜を、正面に向けるには少し工夫が要ります。蛭鈎の状態によっては、お釜が正面に向かずそっぽを向いたりする事も有りますので、その時の事がここに書かれている、と読み解きました。

 

148番目に出て来る条です。但し、原本にこの条は見えず。市野氏本19頁出。

一 台子の茶、むかしハふたひしゃくにてたて申候、利休時より一ひしゃくにてたて候、是ハ不定候、ツネノ数寄同前。

[訳] 一 台子の茶は、昔は二柄杓で茶を点てていました。利休の時から一柄杓で茶を点てる様になりました。これは不定です。いつもの数寄は前と同様に。

[意] 台子のお茶は、昔は柄杓で2杯のお湯を汲んで点てていました。利休になってからは、柄杓で1杯汲んでお茶を点てる様になりました。これははっきりと定まっていません。定まってはいませんが、いつもお茶を点てる時は、今までやってきた通りにしなさい。

昔は2杯で点てていましたが、今は1杯で点てています。だから、今迄の通りの1杯でやりなさい、と言う事。

 

市野氏の本に付けた通し番号155番目の条の「一 大壺ハ座敷の床には、まん中によく候 (原本:大壺ハ座敷に真中置能候)」と、156番目の条の「一 書院の床に華入大壺なとおき候事、それはしらさる事ニ候、何とおき候ても苦間敷候 (原本:一 書院乃床に花入大壺なと置候事夫ハしらさる事ニ候何を置候ても不苦候)の二条が、原本では合体して書かれているので、市野氏の本と原本とで番号が一つ合わなくなります。このブログでは市野氏の本に付けた番号で通して行きます。

 

161番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号16/27出。市野氏本20頁出。

一 濃茶之跡、すすかすに茶せんを入すすく事置又むさきと古織被申候由。

[訳] 一 濃茶の後、濯(すす)がずに茶筅を入れて濯ぐ事、又むさ苦しいと古織が申されたとの事。

[解] 濃茶を点ててその後、茶碗を濯がずに汚れたままの茶碗に茶筅を入れて濯いで置くのは、又、不潔で不快なことだ、と古織(=古田織部)が申されていたとの事。

 

下記は187番目に出て来る条です。原本1巻目コマ番号19/27出。市野氏本23頁出。

但し、市野氏本の178と179と180の条は、原本では一つの条に纏められて書かれています。更に184と185の条も、原本では一つの条になっています。従って、市野本と原本とで番号の狂いが出てきています。

一 袋棚に中次置合時中次の下に敷紙大小不折定候由

[訳] 袋棚に中次(なかつぎ)を置く時は、中次の下に敷紙を置きます。その敷紙の大小の折りは定まっていません。

[解] 「敷カミ」と言うのは、和紙で作ったコースター状の物を言います。敷紙は既製品では無く、折り紙をする様に紙を折って作ります。折りの大きさは定まっておりません、と言う事です。(婆の意見:敷紙はコースター的役割ですので、中次の底面より小さいのは論外です)

実際にお点前する時、中次を扱う時は必ず敷紙を付けたまま扱うので、敷紙が中次の底面に対してぎりぎりのサイズだったりすると、とてもやり難くなります。中次の底面よりもはみ出すように大き目に作った方が、やり易いです。

中次と言うのは、小さな茶筒の様な形をした抹茶入れです。棗と同じです。棗は、棗の実のように丸みを帯びた形をしていますが、中次はストレートの筒型で、開け方も独特の開け方をします。

 

市野氏本に付けた通し番号195~232、頁にしてP25~P34 (P27の最後の一条を除く)まで、原本の上巻では抜けていますが、その代り、原本下巻の1頁から6頁迄、コマ番号にして3/22 ~ 5/22に当該の条が記載されています。

下記は、市野氏本216番目に出て来る条です。上記の通り原本上巻にはこの条は見当たらず、原本下巻にコマ番号6/22に記載されています。

慶長12年宗ケ伏見へ上られ候時、一書ニテ織部殿尋候へは申来覚

一 台子之時、茶杓ハ盆ニ置合候て能候、なく候ても不苦候。タイ天目・茶入置合候時ハ、茶せん・茶杓・茶巾ヲシコミ候ても置候。

[訳] 慶長12年、宗ケ(上田宗箇)が伏見へ上られた時、一書面にて織部殿へお尋ねなさったので、(織部が宗ケへお返事を)申し寄こした覚え。

一 台子点(だいすだて)の時、茶杓はお盆に置き合わせるのが能(よ)いです。置き合わせなくても構いません。台天目(天目台にのせた天目茶碗)と茶入れを置き合わせる時は、茶筅茶杓・茶巾を茶碗(仕込み茶碗)に仕込んで置きます。

 

217番目に出て来る条です。原本上巻にこの条は見えず、下巻に有り。原本下巻6頁、コマ番号にして6/22。  市野氏本217番28頁出。

一 右勝手の時、台子ニ置合候事。左勝手ノことくニ茶入ヲ右ニをき、たいてんもくニ置候。

[] 右勝手(逆勝手)の時、台子に置き合わせる事。左勝手(本勝手)の如くに茶入れを右に置き、天目茶碗を置いた天目台に置き合わせます。

[] 右勝手と言うのは、亭主が点前座に座った時、亭主の右側に壁が来て、左側が空いている様な配置の茶室の事を言います。この場合、お客様は亭主の左側に座るようになりますので、式正織部流では、お点前をご覧に入れる時には左側からの視線を意識して、お道具の配置も通常の配置では無く、左右逆転します。お点前を始める時の当流での配置は、台子下段は向かって右に風炉、中央に杓立(しゃくたて)と蓋置(ふたおき)、左に水指(みずさし)という並びになります。そして、お点前は殆ど左手を主にして所作をします。左手の柄杓で湯を掬(すく)い、右手を茶碗に添え手する、と言う具合です。

上段の置き合わせは、この条と同じです。右に、盆に載せた茶入を置き、その隣に天目茶碗台に載せた天目茶碗を置きます。

「宗甫公古織江御尋書」では、右勝手の場合の左右逆転した図と、逆転しない図が並記されて記載されています。

まとめると、台子の上段には、左勝手(本勝手)と同じ様に、向かって右側にお盆に載せた茶入を置き、左に天目台に置いた天目茶碗を置きます。

 

 

 

この記事を書くに当たり、下記のような本やネット情報を参考に致しました。

国立国会図書館デジタルコレクション「宗甫公古織江御尋書」  

  検索は「茶道叢書 ウエブ目録 リサーチ・ナビ 国立国会図書館」: 目録通し番号108

「宗甫公古織江御尋書」  古田重然著 市野千鶴子校訂

わび茶と露地(茶庭)の変遷に関する史的考察-OPAC 

       浅野二郎・仲隆裕・藤井栄次郎(環境植栽研究室) 千葉大学

GalleryA4:数寄屋大工-美を創造する匠

初期茶道史に見られる「数寄」の変遷  青山俊董

和風堂全景

上田宗箇流の特徴

角川 新版 古語辞典 久松潜一・佐藤謙三編

学研全訳古語辞典

近世古文書用語検索システム

古文書解読の基本的な事 よく出る単語編 五十音順

茶道体験教室 パート3 生徒さんとの日々のしおりと

古田織部の鎖の間? 茶道体験教室 パート4 生徒さんとの日々のしおりと

茶の湯覚書歳時記

この外に「ウィキペディア」、「コトバンク」などなど多くのサイトを参考にさせていただきました。有難うございました。

191 武士の覚悟 辞世・死のテーマ

武士の死に対する覚悟が、最も分かり易いのが辞世の句ではないでしょうか。そこで、辞世を取り上げてそれを考えると共に、現実に看取った義母の病床から天寿を全うするまでの様子を、重ね合わせて行きたいと思います。

 

かかる時さこそ命の惜しからめ 

     かねて亡き身と 思いしらずば   太田道灌 辞世 享年55

 

道灌(どうかん(=資長(すけなが))のこの歌は、道灌の政治・軍事・文化力などの優れた能力に脅威を感じた主君・上杉定正(=扇谷定正(おおぎがやつ さだまさ))が、彼を罠に嵌めて暗殺した時のものです。

風呂上りの道灌を刺客が槍で刺した時、刺客は道灌の優れた歌の才能を知っていて上の句を詠みました。それが「かかる時さこそ命の惜しからめ(こんな時どんなにか命が惜しいだろうね)」です。道灌はそれに即座に下の句を「かねて亡き身と思い知らずば(もともと命など無いと思っている。もし、そのように悟っていければ、きっと命を惜しいと思ったろうよ)」と詠んだのです。

絶命の時に「当家、滅びたり」と叫んだと言われております。案の定、道灌と言う有能な忠臣を殺した定正は、家臣からの信頼を失って大量の離反を招き、没落していきます。

 

おもひおく言の葉なくてつひに行く 

                  道はまよはじ なるにまかせて   黒田孝高 辞世 享年59

 

黒田孝高(くろだ よしたか)は、言わずと知れた黒田官兵衛、又の名を如水、洗礼名はドン・シメオンです。彼は病死でした。穏やかな最期だったと言われております。仏教徒からキリシタンへと変わり、キリスト教聖堂に埋葬されました。埋葬されてから凡(およ)そ半月後、嫡子長政は仏式での葬儀を行っています。孝高の屋敷は大徳寺に移築され、龍光院(りょうこういん)を建立、特に書院の四畳半台目茶室「密庵席(みったんせき)」は国宝になっています。

道灌の歌には、常に死を覚悟している武人の姿があります。

孝高の歌には、力(りき)みも迷いも無い自然体の姿が有ります。

 

武人達の辞世の句を読む時、何となく義母の姿が思い出されます。

「死」を従容(しょうよう)として受け入れる姿は、武士の「死」に対する態度と同じではないかと、思ってしまうのです。

義母は好むと好まざると武士の妻としての心得を、大姑・舅・姑に囲まれて叩き込まれました。

明治・大正・昭和と時代が変わり、彼女を取り巻いていた人々が鬼籍に入りました。大戦後に大きく世相が変わってもなお、若い時に叩き込まれた「心得」は脈々と彼女の中に生きておりました。

義母が101歳を過ぎてベッドに寝付くようになったある日、枕元に呼ばれて行きますと、頼みが有ると言われました。それは、箪笥の一番下の引き出しの、一番下にある着物をここに持って来て欲しい、という依頼でした。

茶色に変色した畳紙(たとう)(←包み紙)を持っていきますと、懐かしそうに微笑み、

「そう、これよ。中を開けて下さい」

と言いました。何が出て来るかと思って丁寧に開けますと、中から白無地の絹の着物が現れました。心なしか黄色味がかった絹のそれは、死装束だそうです。義父に言われて義母が若い時に自分用に縫ったものだそうです。

「今日は頭が痛くて気分が悪いの。ひょっとしたらお迎えが近いかも知れないから、それを枕元に置いといて下さい。万一の場合は、それを着せてね。」

と言い、更に下着を真新しいものに取り替えたいと言い、シーツ交換も頼まれました。そして、仰臥(ぎょうが)すると、胸の前で合掌して眠りにつきました。

翌朝、ベッドを覗いてみますと、

「また、目が覚めちゃった!」

と、バツが悪そうに、それでいて茶目っ気たっぷりに笑っている義母が、そこにいました。

 確かに100歳を過ぎていれば、何時あの世に旅立ってもおかしくない年齢ですし、そこまで生きれば、ある程度の覚悟は出来上がっているかとは思いますが、彼女は自分の死装束を若い時に縫い上げていたのです。

 

 待てしばし死出山辺の旅の道

                  同じく越えて浮世語らん     北条基時 辞世 享年48

 

この歌は、鎌倉幕府滅亡の東照寺合戦の時に北条基時が詠んだ辞世で、先に討死した嫡男の仲時に呼びかけた歌です。仲時は佐々木道誉に敗れて、父より一足先に討死しておりました。

 

こんな事がありました。

義母は、往診して下さったお医者様をつかまえて「あなたは藪医者だ」と決めつけ、「私は自分の死期が近い事を知っています。それなのに貴方は、まだまだ大丈夫だとおっしゃる。看立て違いですよ」と少々不満げに話しました。

「そんなにあの世に行きたいの? あの世に行くのが嬉しそうで、まるで遠足に行くみたい」と婆が聞くと、

「そりゃぁ、あっちの方が知り合いが多いもの」と答えました。

「私達じゃ駄目?」

「少々物足らない。やっぱりお母さんやお父さんの方がいい」

と答えました。お医者様も笑って「藪医者ですみません」とおっしゃいました

 

梓弓 はりて心は強けれど 

            引手すくなき 身とぞなりぬる       細川澄之 辞世 享年19

 

細川吉兆家の当主の座を争い、戦い勝ってその座に就いたものの、たった40日でライバル細川高国に敗れて殺された澄之の歌です。心細さが滲み出ています。

 

夏草や青野ヶ原に咲く花の 

     身の行衛こそ聞かまほしけれ    足利春王丸 辞世 享年12

身の行衛 定めなければ旅の空 

     命も今日に限ると思へば      足利安王丸 辞世 享年11

 

この2首は、室町幕府将軍・足利義教(あしかが よしのり)に反抗して敗れた足利持氏の二人の子供の歌で、捕らえられて京都護送中に殺された時の辞世です。これからどうなるか分からない運命の行く末に、不安で一杯になっていた胸の内が窺(うかが)えます。

 

死出の旅路の不安を義母も吐露(とろ)していました。

ね、と義母から呼ばれ、枕元に行った時の事でした。

むけいげ、むけいげこって言うでしょ? でもね、むけいげではないの、本当は。死ぬのが怖いの。自分が無くなるってことが怖いの。どういうことか分からないの。寂しいの。そこにいくまでに痛かったり、苦しんだりするが怖い。苦しみたくないなって思う。阿弥陀様におすがりしているのだけど、お坊様が言ってきた事が、今、みんな、嘘に思えてきている」
「大丈夫よ。お義母さんは今迄一所懸命にお経を詠んできたでしょ。写経もいっぱいしてきたでしょ。ご先祖さまの供養も心を込めてやって来た。仏様が見捨てる訳はないよ。」

「違うのよ。写経をすればするほど、おかしなことになる」

お経の中のお経、最高のお経と言われる般若心経(はんにゃしんぎょう)では、全てが無だと説いている、眼も耳も鼻も舌も無く、苦痛も無く何もかも無いと言うならば、火焔地獄だろうが針山地獄だろうが何の痛みも痒(かゆ)みも感じないのだから、地獄なんてあったって意味が無い。なのに、なぜ、お坊様は地獄の話をするのだろう、地獄がそうならば、極楽へ行っても喜びも悲しみも何も感じないのではないかと、重ねて聞いて来ます。

義母は寝た切りになるまでに3千巻の般若心経の写経を成し遂げていました。この問いはとても重く、生半可に応える訳にはいきませんでした。

 

(かばね)をば岩谷の苔に埋(うず)めてぞ 

     雲井の空に名をとどむべき   高橋紹運 辞世 享年39

 

高橋紹運(たかはしじょううん)は、九州の大友宗麟の家臣で、西国無双と言われた立花宗茂の父です。紹運は783名の将兵と共に岩谷城に立て籠り、島津軍2万余(5万とも)の軍勢を迎え打って戦いました。半月持ち堪(こた)えて、全員討死しましたが、その間、島津軍は消耗戦を強いられ戦死者4,500にもなりました。この岩谷城の戦いは、島津の九州制覇の夢を打ち砕く切っ掛けになり、秀吉の九州統一を容易にならしめた一戦でもあります。

幾多(いくた)の戦場を駆け廻(めぐ)って来た歴戦の猛将の脳裏には、山河に累々(るいるい)と打ち捨てられた死体の惨臭を放って朽ち果てて行く有様が、脳裏に浮かんでいたに違いありません。

 

柳沢桂子著「われわれはなぜ死ぬのか」という本の話を、義母の問に答える形で話をしました。内容は科学的で現実的で、九相図(くそうず)のようなかなりショッキングな描写も有ります。般若心経三昧に暮らして紙背に到達している様な義母に、上っ面の極楽浄土を説くなど、出来ませんでした。

九相図の目を覆う様な場面は、今まさに死の床に就いている人に話すべきでは無いと、それとなく避けて話していますと、義母は子供の頃に、村のお寺のお坊様が九相図の絵解きをしながらお説教してくれたことを話し出し、そうやって地獄にいくのだろうか、と聞いて来ました。

婆は不意を突かれてぐっと詰まりました。そして、こう申しました。

「死んで土に返り、植物を育て、虫達や動物達を養い、そうやって巡り巡る形での転生は信じています。死んで畜生に生まれるなどと言うような突飛(とっぴ)な輪廻では無く、周りの自然を潤していくような穏やかな輪廻ならば、信じても良いと思っています。だから、形は変わっても、決して消滅してしまう訳では無い」と。

「でもね、死ぬと焼かれて灰になるでしょ? 骨壺に入れられて墓に納められるでしょ? そうしたら、壺から出られないから草にもお花にもなれない」

「あ、そうか。それは困った。どうしよう」

義母と顔を見合わせて笑いました。

「じゃ、骨壺に入れないでカロートの中に蒔く?」

「実家のお墓は骨壺に入れないでお骨のままカロートの中に蒔くけど、それだって、カロートの中に閉じ込められて外に出られないでしょ? 雑草を生やす力にもなれない」

「鳥辺山? それはちょっとね、お骨が砂埃りになって飛んで行ってしまうから不味いよ」と言った後で、はたと思い付きました。

「分かった。じゃ、お義母さんの悩みは解決できないけど、寂しくない様に三途の川まで付き添うね。でも、一緒に川を渡るのは嫌よ。こっちの岸からお見送りする。だからそれまで何も悩まないで安心して眠ってね。ずっと傍に居るから」

「淀川で千利休を見送った織部もそうだったのかしらね」

「そうかも知れない。あの川は三途の川だったのかも知れない」

一休宗純が遷化(せんげ)(=臨終)の時に「死にとうない」と言ったそうです。

 

人生七十 力囲希訥   (じんせいななじゅう りきいきとつ)  (希訥→気合。エイッヤッ)

吾這宝剣 祖仏共殺 (わがこのほうけん そぶつともにころす)

堤我得具足一太刀  (ひっさぐるわがえぐそくのひとたち) (得具足→得意の武器)

今此時天抛      (いまこのときぞてんになげうつ)   千利休  辞世  享年70

 

これは千利休の辞世の遺偈(ゆいげ/いげ)です。辞世には「月」「雲」「夢」や、「澄む」「清らか」「静か」などを詠み込んだ歌が大変多いです。ところが利休の辞世はそれ等とは違って非常にアクティブな詩です。力が漲(みなぎ)り、肩を怒(いか)らせ、まるで東大寺の仁王様の様な形相(ぎょうそう)さえも想像してしまう様な、そういう雰囲気があります。逆に、それが利休の弱さに、婆は見えます。彼は精一杯強がっているのではないかと。つまり、武士は日常的に「死」と隣り合わせなのに対し、利休は町人故に「日常的な死」とは無縁であり、「死」に自ら赴くには余程強い思いで飛び込まなければならなかったのではないかと・・・

彼は武士ではありません。商人です。けれど、武士の礼を以って死を賜りました。それで、武士の覚悟の項に彼の辞世を収めました。

(とが)を受けて淀川を下る千利休を、細川三斎(忠興)古田織部二人が淀川で見送ったという逸話があります。その21年後、今度は古田織部が大坂方内通の嫌疑で切腹させられました。彼は、なんの言い訳もせず、自刃してしまいました。

織部が釈明をしなかったのは武士として潔い態度ではありますが、なぜ辞世すらも詠まずに黙ったまま自刃してしまったのか、どう考えても分かりません。

もしかして、沈黙こそ彼の辞世だったのかもしれません。

「無~~~~ッ」

と。

 

五月雨は露か涙かホトトギス 

    わが名をあげよ雲の上まで    足利義輝 辞世 享年30

 

室町幕府の13代将軍・足利義輝は、足利義栄(あしかがよしひで)を将軍に擁立する三好三人衆の軍勢1万に二条御所を襲われ、奮戦空しく殺害されてしまいました。この歌は、もはやこれまでと最後の酒宴を開き、詠んだものです。

 

朧なる月もほのかに雲かすみ 

     晴れて行衛の西の山の端(は)   武田勝頼 辞世 享年37

 

武田勝頼は、織田・徳川・北条軍の三方から攻められ、甲斐の田野で嫡男・信勝正室と共に自害いしました。

 

何を惜しみ何を恨みん元よりも 

       この有様に定まれる身に    (陶晴賢 辞世 享年35)

 

陶晴賢(すえはるかた)は「厳島(いつくしま)の戦い」で毛利元就(もうり もとなり)と戦い、敗れて自害しました。晴賢の句は自分の運命を俯瞰(ふかん)するような歌です。織部の辞世の「沈黙」も、やはり全てを見切っての沈黙なのでしょうか。

 

よわりける心の闇に迷はねば 

       いで物見せん後の世にこそ   (波多野秀治 辞世)

波多野秀治明智光秀丹波攻略に抵抗、籠城戦の末力尽きて捕らえられました。そして、安土に送られて磔に処せられました。死を目前にした絶望的な状況の中で、死して後もなお働いて一矢報いようとする執念が感じられます。

如何に生き、如何に生き切るかを常に模索しているのが、侍の様な気がします。

 

殺人未遂

義母がまだ足腰が立ち、寝たり起きたりできる頃の話です。寝疲れたと言って、ベッドから起きて居間のソファに座っていた時の事です。その時、家に居たのは婆一人でした。義母は頼みがある、と言って婆を呼び寄せ、

「殺して欲しい」

ととんでもないことを言い出し、手を合わせました。

「なぜ? そんなこと嫌ですよ」と拒否すると、

「死にたい」と言うのです。

「痛いの?」と聞くと首を横に振ります。「苦しくてつらいの? 」と聞いても違うと言います。

帯状疱疹の痛みは残っています。何年経ってもまるで生きている証の様にいつもじわっと疼(うず)いています。でも、それにはもう慣れました。」

「じゃあ何? 私達の介護が至らないから?」

「違う。そうでは無い。みんなの迷惑になるのが嫌なの」

「そんな事で?」

「そんな事って言うけれど、それが苦しいの」

「嫌だ」と断り続けても義母の願いは執拗でした。根負けして、進退極まって、とうとう、婆は義母の首に両手の指を掛けました。義母は静かに首を伸ばし、南無阿弥陀仏と唱えながら合掌しました。

 

義母の首の温かさが手の平に伝わりました。その瞬間、わぁっと両腕で義母を抱き、

「お義母さんのバカ!」と罵(ののし)りました。

「そんな事してご先祖様が喜ぶと思ってるの?  お義母さんが死んであの世に行って、どう、重勝様に申し開きするの? 私だって死んだ時に、この不届き者!  って即刻 磔獄門じゃ、って言われちゃうよ。どうしてくれるの」

と叱りました。義母は首をうなだれ、泣き出しました。

「あのね、役に立たなくてもいい。そこに存在するだけで役に立っているの。おヘソがそうでしょ。用が済めば役に立たなくなるけど、おヘソが無ければ蛙になっちゃうでしょ。」

「蛙?」

「そうよ、蛙よ。おヘソが無ければ蛙になっちゃうよ。役立とうが立つまいが誰でもおヘソを持っているでしょ。おヘソの役目が終わってもおヘソは消えて無くならないでしょ。それはね、おヘソってとっても大切なものだから消えないの。誰でもみんなおヘソなの。お義母さんも古田家のおヘソ。堂々と家の真ん中に黙って座って居ればいいの。そこに居るだけで役に立ってるんだから。」

「そんな事は無い。慰めてくれるのは有難いです。でも、みんなの足手まといになっているのもホントの事。それが辛(つら)い。死ぬほど辛い。」

「あなたの息子さん、見てごらんなさい。退職して何もしないで家でぶらぶらしていたら、忽(たちま)ちボケてしまってます。母親の役に立ちたいと思っているからこそ、彼は今、自分を活かせる場所を知り、一所懸命生き生きと介護しているんですよ。それにね、母親が長生きすれば、それは子供の励みになる。親が若死にすれば、子供は自分もその年齢で死ぬんじゃないかと不安になる。親が長生きしていれば、自分も長生きできると希望が持てる。親の年齢を超えられる様に生きようと励む。節制もする。だから、お義母さんが何もしないでいても、お義母さんらしくそこに居るだけで役に立っている。お義母さんはおヘソなの。」

と。

「それにね、昔、母さんから言われたことがある。人はみんなおぎぁと生まれておむつをして育てられた、そのおむつをしていた年月は、親の下(しも)の世話をしなきゃいけないって。順繰りなんだって」

 

祈るぞよ子の子のすへの末までも 

    まもれあふみの国津神々   (井伊直政 辞世 享年42)

 

この子供達を子々孫々まで末永く守って欲しい、近江(おうみ)の国の神々よ、と祈る直政の歌です。直政は徳川三傑、或いは徳川四天王と称された人物です。関ケ原の戦いの時、島津を猛追中に鉄砲で撃たれ落馬、即死には至らずその後も戦後処理に活躍していましたが、銃創が悪化し、彦根城を築城している最中に傷口からの感染症により死亡しました。

この歌には、わが子のみならず、その子のその子の、又その子までもずーっと恙(つつが)無くあれ、と願う親心が滲み出ています。井伊の赤鬼と言われた猛将も、矢張り人の子でした。

 

旅立ち

1年ばかり寝付いて後の冬、義母の様体が急変しました。

往診して下さったお医者様からあと2週間だと言われました。

夫は兄弟妹達にその事を伝え、お定まりの「母危篤すぐ来い」的な連絡はしないから、何時でも良い、何度でも良いから会いに来いと伝えました。会った日が最後と思って来て欲しいと申しました。幸いにして、夫の兄弟妹達はみな現役を退き悠々自適に暮らしておりましたので、毎日誰かが間断なくやって来ました。孫も曾孫もやってきて賑やかになりました。遠い所からも頻繁にやってきて、昔話をしたり現況報告をしたりして、義母はとても喜んでいました。

 

義母は自然死を望んでおりました。義母は点滴や酸素や胃瘻(いろう)どを拒否、阿弥陀様の御心に任せたいと言っておりました。目を開いている時は訪ねて来てくれた子供達や孫達と話を交わすことが出来ました。何時も、「ありがとう、ありがとう」と言って手を合わせていました。

夫と婆は義母の寝室を開け放し、隣の部屋に寝ました。ちょっとした変化も見逃すまいと臨戦態勢を取って注意していましたが、呼吸が非常に穏やかで、それこそ生きているのか死んでいるか分からない位でした。時々不安になり、夫と二人で代わる代わる義母の胸に直接耳を当てて心音を確認し合いました。

 

食事が摂れなくなりました。重湯(おもゆ)もプリンも呑み込めなくなり、吸い口で水を飲ませるのもやっとになりました。

間も無く、お医者様から、お水を飲ませるのを止めなさいと禁止されました。何故?と伺うと、呑み込む力が無く、無理に飲ませると肺に入ってしまうと言うのです。そこで、脱脂綿に水を湿らせ、喉の渇きを癒(いや)そうとしました。唇も舌もカラカラに渇いてひび割れし始めました。全身の皮膚から水気が失われ、少し黒ずんできました。そのくせ、浮腫が酷くなりました。むくみを解消しようと、手足のマッサージをしましたが、それも、先生から止められました。若ければマッサージは有効ですが、血管がボロボロに弱っているので、マッサージをすると血管が破れてしまう、と言うのです。

どんなに喉が渇いているだろうかと思うと、居ても立っても居られなくなりました。どんなにお腹が空いているだろうかと思っても、どうする事も出来なくなりました。

次第に打つ手が無くなってきました。背中側に褥瘡(じょくそう)(=床擦れ)が出来始めました。

次第に痩せて、骨が出て来ました。皮膚が骨にまとわりつき、皮膚が擦れて血が滲んできました。体位を横にして背中側に座布団を当て、頻繁に寝返りを打たせるのですが、その進行は止められません。看護師さんが背中に軟膏を塗り、ガーゼを当てて下さいます。その都度顔を顰(しか)めて痛そうな表情をします。婆もやり方を教わり、薬を塗り、「ごめんね、ごめんね」を連発しながらガーゼ交換をしました。

ヘルパーさんも週に2回来て体を拭いて下さいました。お医者様、看護師さん、ヘルパーさん達の連係プレーで、なんとか日々持ち堪(こた)え、あと2週間と言われてから更に生きながらえました。

 

夫の兄弟妹達も頻繁にやってきました。義母の意識が朦朧(もうろう)としていても積極的に話しかけて下さい、とお願いしました。他の感覚器官が働いていなくても、耳だけは最後迄聞こえるという話を、聞いた事があります。義兄弟妹達は、あたかも義母が聞いているかのように話しかけてくれました。時には、本当に聞こえていたのか微笑んだりしていました。目が覚めている時もあり、その時は「ありがとう」と聞こえるか聞こえないかの小さな声で言うこともありました。

 

浮腫が酷くなり、そして、排泄の様子も少し変化してきました。排泄すると浮腫が和らぎました。和らぐとまた浮腫が始まりました。それが繰り返されました。

あと2週間と言われてから2ヵ月が経ちました。体はすっかり骨と皮になってしまいました。お医者様に、なんとか痛み止めを打って頂けないでしょうか、とお願いしました。お医者様は、今は殆ど痛覚を感じていませんと仰いました。

 

それから間もなくして、ふっと義母の顔を見た時、異変に気付きました。顔の色に違和感がありました。

死相? 夫も気付いたようです。皮膚の色が何時もと違うのです。何色? と聞かれても具体的に何の色と言えない様な、僅かな変化です。

それから、排便の色が黒い色に変わりました。何も食べていないのに、どうしてこんなに多いのかと思う程でした。黒い便が何回も出ました。尿も頻繁でした。婆は義母の手を握り締めて「傍に居るからね。大丈夫だよ」と何べんも声を掛けました。

死相が表われてから2日後の未明3時ごろ、夜中の世話をする為に夫と共に起きて義母の様子を見ました。どうも呼吸をしていない様でした。胸に耳を当てても心音が聞こえません。鏡を持って来て鼻の前にかざしましたが、鏡は曇りませんでした。体はまだ温かったです。

夫が、未だ柔らかい義母の手を握り、その手を胸の上に組ませて合掌させました。そして、2人で般若心経を唱えてお見送りしました。

義母は静かに旅立って行きました。102歳でした。

その姿は、即身成仏そのままでした。ガンダーラの釈迦苦行像の生き写しでした。

空が明るくなってからお医者様をお呼びしました。

お医者様は仰いました。

「私は2,000人以上の人を看取ってきましたが、この様に亡くなった方は初めてです。」

 

葬儀

葬儀は身内だけで行いました。

義父がまだ健在の頃、先祖のお墓を墓仕舞いして住所地近くの公園墓地に遷墓しておりました関係で、法事がある時などは、菩提寺のご住職様にその都度ご来駕(らいが)をお願いして執り行って頂いておりました。ところが、時代の流れでしょうか、ご住職様がお亡くなりになった後、後継者が居らず、そのまま廃寺になってしまいました。葬儀場の方が、代わりのお坊様を紹介しましょうか、と言って下さいましたが、それを断り、自分達で葬式を執り行いました。

法名は、義父母が結婚した時に生前法名を頂いていましたので、それをそのまま使いました。仏事に篤い家でしたので、門前の小僧よろしく夫が輪袈裟を掛けて導師の代わりを勤めて読経し、最後に皆で般若心経を唱えました。子供達夫婦、孫達夫婦、曾孫達と言う様に、故人を心から愛していた人達だけが集まっての葬式でしたから、それがとても清々しくて義母も喜んだと思います。

なお、家の宗派は、明治時代以前は臨済宗でした。維新の時、江戸から牧之原へ移住して入植しましたが離農、山を下りて西に向かう途中病に倒れてしまい、その土地で世話になったのが浄土宗のお寺でした。以後ずっと浄土宗で続いてきました。

 

 

余談  むけいげ むけいげこ

「むけいげ」とは、般若心経の後半に出て来る一節で、漢字で「無罣礙」と書きます。

「罣」と言う字は、妨げる、邪魔をする、かかるなどの意味があります。

「礙」と云う字は、さえぎる、さまたげる、邪魔をする、ささえる、等の意味があります。

「罣礙」で、邪魔をする、障害物があるなどの意味になり、「無罣礙」で、邪魔をするものが無い状態を表します。ざっくばらんに意訳すれば「なんの障害も無いから心配ご無用」とでもなります。

「こ」は「故」で、それゆえの意味です。

 

余談  鳥辺山(とりべやま)

鳥辺野とも言う。平安の昔からの葬地。ここに遺体を運んで荼毘(だび)(=火葬)に付した。鳥辺山は数々の物語に登場したり、下記のように、歌に詠まれたりしています。

鳥辺山 谷に煙の燃え立たば はかなく見えし 我と知らなむ  

                   拾遺和歌集 よみ人知らず

 (ずいよう意訳) 鳥辺山の谷に煙が見えたなら それは幸せ薄かった私の煙だと思って下さい

 

余談  九相図(くそうず)

九相図とは、死体がどの様に変化して土に帰るかを表わした仏教画です。

1.  腐敗して体にガスがたまり膨らむ。 2.  腐乱し始める。 3.  体液が流れ出す。 4.  溶け始める。 5.  体の色が変わる。 6. 動物に食べられたり蛆がわいたりする。 7. 骨だけになる 8. 散乱する。9. 土になる。

 

余談  カロート

カロートは、お墓の下に作った空間で、そこにお骨を納めて安置する設備です。

 

余談  ガンダーラの釈迦苦行像

ガンダーラパキスタン北部にあるペシャワールを中心とした地域の名前です。インドから仏教が伝わり、アレキサンダー大王の東方遠征によりギリシャ文化が流入、仏教の教えを説いた釈迦の姿が初めて彫刻される様になりました。それまでインドでは釈迦が余りにも尊く、その姿をそのまま表すことが恐れ多くて誰も絵に描いたり、彫刻にしたりしませんでした。その代り、釈迦を車輪(法輪)や仏足の形で表していました。そこにギリシャ人がやって来て、車輪や足で象徴的に表されていた釈迦を、「人間」の姿に彫刻したのです。これが仏像の始まりです。初期の仏像は、お顔がギリシャ彫刻の様な顔をしています。

ガンダーラで発掘された釈迦苦行像はパキスタンの国宝です。ラホール国立美術館に収蔵されています。

 

 

 

 この記事を書くに当たり、下記のようなものを参考に致しました。

摩訶般若波羅蜜多心経

ウィキペディア

戦国武将の名言から学ぶビジネスマンの生き方

歴史専門サイト「レキシル」

西遊旅行 仏陀苦行像-DISCOVER PAKISTAN

ココログ 釈迦苦行像~パキスタンガンダーラ美術展より

パキスタン館~釈迦苦行像-万博を歩こう

ありがとうございました。