式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

2020-12-01から1ヶ月間の記事一覧

75 室町文化(2) 世阿弥

演劇論 大仰な身振りで、一丁先まで聞こえる様に泣き喚き、如何にも悲劇の真っ只中にあると言わんばかりの、そんな大根役者は願い下げです。また、激情のままに「聞いてくれ!俺の気持ちを」と騒音を撒き散らしながら歌う今時の歌手も、婆は苦手です。 彼等…

74 室町文化(1) 庶民の芸能

『(前略)犬田楽ハ関東ノ ホロブル物ㇳ云イナガラ 田楽ハナホハヤルナリ 茶香十炷ノ寄り合イモ 鎌倉釣リニ有鹿ト(後略)』 犬追いものや田楽は 関東を滅ぼしたものと言いながら 田楽は尚流行っています。お茶やお香の寄り合いも、鎌倉と同じ様な有様です(盛ん…

73 室町時代(2) 武家文化の変遷

頼朝は芸術音痴? 源頼朝と言う男は芸術を全く理解しない朴念仁だそうだ、と京雀に嗤われたのは、東大寺大仏殿落慶の後でした。 平氏によって焼亡した大仏殿を、源氏の手によって復興しようと頼朝は決心し、東大寺復興にかなりの資金援助を提供しています。 …

72 室町時代(1) 義詮と義満

足利義詮 室町幕府2代将軍・足利義詮と、その息子の義満は育ち方がまるで違います。 義詮は幼い時から戦争に揉まれ、義満は乳母日傘で育ちました。 義詮は、元弘の乱の時に北条氏の人質として鎌倉に留め置かれました。父の尊氏が鎌倉に謀反すると、命の危険…

71 南北朝時代の年表

南北朝時代と言うのは、後醍醐天皇が吉野に朝廷を開いた事に依り、京都の朝廷と二つに割れた1336年から、明徳の和約で南北合一する1392年までの57年間を指しますが、実際にはそれより3年前の建武の新政から数えた方が、時代区分としては分かり易い様な気がし…

70 南北朝(4) 明徳の和約

前項の「南北朝(3)」の「正平一統・和平の兆し」で、楠木正儀が北朝に寝返ったと述べましたが、そこに至る迄の間に様々な紆余曲折がありました。 南朝・後村上天皇即位 延元4年/暦応2年8月15日(1339年9月18日)、後醍醐天皇が崩御されました。 後醍醐天皇の跡…

69 南北朝(3) 正平一統と破綻

正平6年(1351年)11月、足利尊氏は、三種の神器の返還、政権返上、北朝の天皇・上皇を廃すると言う条件で、南朝と和議を結びました。 この和議によって今迄分かれていた南朝と北朝が、北朝が消滅する形で統一されました。 これを正平一統と呼びます。 南朝方…

68 南北朝(2) 観応の擾乱(じょうらん)

後醍醐天皇は吉野に朝廷を開いてからも、まだ覇権への望みは持ち続けます。 新田軍は越前の金ケ崎城で敗北、尊良親王と新田義顕は敗死します。新田義貞も藤島(現福井市)で討死、義貞の首は京都に運ばれて獄門に架けられたそうです。 後醍醐帝は懐良(かねよし…