式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

茶の湯

158 キリシタン(2) 仏教との衝突

今、旧統一教会と政治家の関係が問題視され、多くの場で議論されていますが、この問題は何も今日に限った事では無く、宗教が及ぼす政治や経済、或いは権力への影響は昔から随分言われてきました。 中世に日本にやってきた宣教師達もまた、彼等の個人的信仰心…

157 キリシタン(1) ザビエルの道

茶の湯とキリシタン、一見何の繋がりも無いように見えます。が、実は大有りです。 茶の湯を論ずるならば、先ずは禅宗でしょ、と、こう来るのが普通です。けれども、千利休が深化させた侘茶には、キリシタンの影響が多々見受けられ、避けては通れない問題です…

156 武野紹鴎と今井宗久

人間万事金の世の中と申しましょうか、戦に次ぐ戦で戦費増大する中、結局勝つのは経済力のある陣営です。勝つ為に、富を手に入れる、その富が堺に蓄積されている・・・信長は真っ先に堺に注目します。 1557(弘治3.09.15) 織田信長は津田宗及の茶会席に初めて…

155 日吉丸

末は博士か大臣かと、男の子だったら期待もされたでしょうに、オギャーと生まれて「何だ、また女か」と言われた婆。お生憎(あいにく)様、女で悪かったねぇと、心の中で啖呵(たんか)を切りながら、それなら男の子になってやろうと、お小遣いで金槌と鋸を買っ…

154 名物狩りと松井友閑

生きるか死ぬかは運次第の戦国乱世。きつい・汚い・危険の3Kの最たる職業の武士達。 血塗られている日常で得られるわずかな平穏の中に、己を取り戻そうとする時、彼等はそこに心の平安を求めるのでした。それが禅であり、茶の湯であり、能や連歌や諸芸の世界…

153 人間五十年 下天の内を・・・

人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり 一度(ひとたび)生を享(う)け、滅せぬもののあるべきか ご存知、信長の愛した幸若舞「敦盛」の一節です。 桶狭間への出陣を前にして、人の寿命は五十年、この世にオギァーと生まれたからには、必ず死ななけれ…

152 本能寺に消えた茶道具

形あるものは壊れ、生きるものは滅し、会うは別れの始まりとか。 俗人の悲しさ、この教えに頷くも執着を拭い去れず、本能寺の猛火に消えた数々の茶道具が、今もし目にする事が出来るならば、どれほどの眼福に浸れるものかと、唯々残念でなりません。 信長が…

151 姫路の狼狽(本能寺の変)

「光秀謀反」「上様討死」の驚天動地の報せは、全国に激震をもたらしました。 戦国期から江戸時代初期までの様子を著した本に「武功夜話(ぶこうやわ)」があります。その中に「明智日向守謀反の事」という条があり、その混乱振りが書かれています。 その部分…

150 信長年表6 本能寺の変

前号では、室町幕府滅亡、浅井・朝倉滅亡、伊勢長嶋一向一揆討伐、長篠の戦いで織田・徳川連合軍勝利、そして、1576年3月25日(天正4年2月25日)に信長が安土城に入ったところまでを年表にしました。 今号は、手取川の戦い、三木城の戦い、鳥取城の戦い、高松…

149 信長年表5 包囲網(2) 幕府滅亡・長篠合戦

「式正織部流「茶の湯」の世界」と標榜しながら、武士の歴史ばかりを述べているなんて、表紙と中身が違うではないかと、お叱りを受けそうです。が、式正織部流は武家茶です。NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見れば分かる様に、或いは某国の軍事独裁国家の…

148 信長年表4 包囲網(1) 姉川合戦・比叡山焼打

前項に引き続き、信長の年表を書いて行きます。彼を取り巻いていた政治的な環境、軍事的な動きなども合わせ見て行きたいと思います。 ※ 年表表記について 〇西暦を前にその後に和暦を( )内に記す。 〇元年の場合は1と表記。(例:弘治元年→弘治1) 〇年だけが…

147 信長年表3 二つの上洛戦

前項に引き続き、信長の年表を書いて行きます。彼を取り巻いていた政治的な環境、軍事的な動きなども合わせ見て行きたいと思います。 ※ 年表表記について 〇西暦を前にその後に和暦を( )内に記す。〇元年の場合は1と表記。(例:弘治元年→弘治1) 〇年だけが分…

146 信長年表2 初陣~桶狭間

前項に引き続き、信長の年表を書いて行きます。彼を取り巻いていた政治的な環境、軍事的な動きなども合わせ見て行きたいと思います。 ※ 年表表記について 〇 西暦を前にその後に和暦を( )内に記す。 〇 元年の場合は1と表記。(例:弘治元年→弘治1) 〇 年だけ…

145 信長年表 1 誕生前から元服迄

織田信長と言えば、知名度抜群の戦国武将です。学校で習うのは勿論の事、小説で、映画で、テレビのドラマで、そしてゲームで、頻繁に取り上げられています。彼の生涯についてはそれ故、御存じの方が大勢いらっしゃいますので、ここでは敢えてそれを書かず、…

144 信長と天下布武

「天下布武」とは穏(おだ)やかではない。全く、信長は自分を何様だと思っているのか、天下を統(す)べるのは俺様だ、俺以外いない、とでも思っているのか、と咬みつきたくなる様なこの言葉。彼の戦歴や成し遂げた事業を列挙してみると、成程そう思っても仕方…

143 会合衆 茶の湯三宗匠

婆が若い頃、会合衆を「えごうしゅう」と読むと学校で習いました。今は、「かいごうしゅう」と読むのですね。検索して初めて知りました。このごろ時々、昔習った言葉が今では通用しなくなったという事態に遭遇します。昭和は昔に成りにけりです。やれやれ、…

142 茶の湯(4) 紹鴎の茶

みわたせば花ももみぢもなかりけり 浦のとまやの秋の夕暮れ 藤原定家 晩秋を詠んだこの歌を思い出す時、ふっと、もう一つの詩を思い浮かべる事があります。それは、フランスの詩人・ヴェルレーヌの詩の「落葉」です。上田敏の名訳で、ご存知の方が大勢いらっ…

141 茶の湯(3)  利休以前

茶の湯や茶道には色々な流派があります。どういう流派があるかをご紹介します。 ここでは流名のみで、流内にある各派は省略し、また、明治以降に興った流派も省略し、古い順から並べました。 珠光流(じゅこうりゅう)・小笠原家茶道古流・志野流・紹鴎流(じょ…

140 茶の湯(2) 侘茶への道

茶の湯は禅寺を母源としています。それだからでしょうか。茶人と呼ばれる人達の多くは禅宗の寺に入って修行する様です。村田珠光(むらた じゅこう)は一休禅師の下で禅の修行をしたと言われていますし、武野紹鴎(たけの じょうおう)も千利休も堺の南宗寺に参…

139 茶の湯(1) 東山殿から侘数寄へ

何事も夢まぼろしと思い知る 身には憂いも喜びも無し 足利義政の辞世 露と落ち露と消えにし我が身かな 浪速のことは夢のまた夢 豊臣秀吉の辞世 位人臣を究め、天下の栄華を掌中に収めたかと思われた人が、私の人生は夢まぼろしであったと申されるとは、どん…

138 東山殿のお茶

初期の頃の茶の湯は、別室でお茶を点ててお客様の下に運ぶ形式になっておりました。 (参照 : 「127 絵で見る茶の湯(1) 厩図」、「128 絵で見る茶の湯(1) 調馬図」) それはきっと、水屋仕事は汚れ物などを扱うので人目に付く場所でするものでは無い、という考…

137 村田珠光

侘茶の創始者は村田珠光(むらた じゅこう or しゅこう)と言われております。彼が行った侘茶とはどのようなものだったのか、彼以前の茶の湯はどうだったのかを、少しひも解いてみたいと思います。 さて、ここに茶道具が描かれた一つの絵巻物が、サントリー美…

136 武士の生死報告書

このブログのシリーズで、最初の項から「135武家茶人 略列伝 ま行や行」までに取り上げた武士達を数えてみると、580名おります。 記事として大きく扱った武士だけでは無く、1回でも名前が出て来た人物を含めての数です。そこで、これ等の集大成として、彼等…

135 武家茶人 略列伝(5) ま行 や行

今回は、次の武将達を紹介します。 前田利長、牧村利貞、松井康之、松井友閑(徳庵)、松平定綱、松平正綱、松永久秀(弾正)、水野忠元、三好実休(みよし じっきゅう)、三好政長(宗三)、三好康長(咲岩(しょうがん))、村井貞勝、毛利秀包(もうり ひでかね=小早…

134 武家茶人 略列伝(4) は行

梅是百花魁 (梅これ百花のさきがけ)と申します。住宅街のあちこちの庭にちらほらと梅のつぼみを見る様になりました。日陰の霜柱も心なしか低い様な・・・ 「古田織部はウニのよう」と書き始めたこのブログは、4月で丸2年を迎えます。ようやく織部が生きてい…

133 武家茶人 略列伝(3) た行 な行

戦国時代から江戸時代初期までで、武人の茶の湯に限って取り上げますと、その母集団に偏(かたよ)りがある為、古田織部の弟子達の名前が頻繁に挙がる様になります。 今でも社長がゴルフ好きなら、部下達もゴルフをやる様になります。取引先がそうならば、営業…

132 武家茶人 略列伝(2) か行 さ行

大学入学共通テストの初日、東大前の路上で刺傷事件が起きました。東京大学の医学部に入りたいと言う高校2年生が、成績不振を苦に、テスト受験生を無差別に刺したそうです。成績不振から、どのように考えたら他人を傷つける行動へと結びつくのか、何とも理解…

131 武家茶人 略列伝(1) あ行

武士がお茶を嗜(たしな)んでいたからと言って、その人が茶人と言えるかどうか判断が難しいのですが、茶の湯を趣味としていた武士達がこんなにも居た、と言う証として、その名前をピックアップして列挙してみました。 但し、取り上げるのは戦国時代後半から江…

130 茶色のお茶から緑のお茶へ

昔々のその昔・・・ 昔々のその昔、お茶の色は茶色でした。それが今では緑色に代わっています。そこには茶葉の製造方法に大きな変化がありました。 唐の時代、8世紀の頃、茶祖・陸羽(りくう)がその著書『茶経(ちゃきょう)』の中で、お茶は滋養や体調回復に良…

129 名馬の条件

前項、前前項の「絵で見る茶の湯」の中で、馬の絵をダシにして茶の湯の話へ進めました。 馬と言えば、武士と切っても切れない縁があります。馬の善し悪しは、武士の生死を左右すると言ってもいい程ですので、もう少し馬の話をしてみましょう。 三大始祖 婆達…