2020-11-01から1ヶ月間の記事一覧
北畠顕家(きたばたけあきいえ)は後醍醐天皇を批判し、堂々と真正面から諫めた人物です。『顕家諫奏文(あきいえかんそうぶん)』と呼ばれる彼の上奏文は、諸葛孔明の『出師(すいし)の表』に匹敵するのではないかと、婆は思っています。 略歴 顕家は、『神皇正…
第二次京都合戦 宮方の新田軍が湊川で敗れ、京都に向かって敗走して来る、しかも賊軍の足利がその後を追い駆けて来る と言う報せに、京都は上を下への大混乱に陥りました。 建武3年5月27日、後醍醐天皇は三種の神器を持って比叡山に避難します。その時、天皇…
当時の御家人は「利」を求めて走り、「利」が薄いと見るや忽ち離れます。「利」は恩賞。「恩賞」は土地。「土地」を得て一族郎党を養って行くのが生活の全てです。 その為には「利」の多い方に付くのは当然と考え、寝返りは日常茶飯事。戦の敗色が濃くなれば…
新田軍は後醍醐帝の宣旨を奉じ、錦旗を掲げて 鎌倉の足利尊氏討伐に向かいました。 一方、朝敵になるのを恐れて尊氏は出家してしまいます。これに対して尊氏の弟・直義は交戦を主張、自ら軍を率いて京都に向かい西進します。 後醍醐帝側の新田軍は足利を討つ…
新しい御代が始まり意気盛んな帝を戴いて、陽気にお祭り騒ぎと思いきや、綸旨に追われて右往左往。世間様を上から下まで、聖から俗まで見渡して、鋭いまなこで軽やかに笑い飛ばして描き切る当世風刺の傑作の、二条河原に落首が一つ。この頃都にはやるもの夜…
武士は恩賞の為に戦います。一所懸命です。土地に命を懸けるのです。それが、朝敵から領地を没収する筈のものが諸国平均安堵令によって御破算になり、北条氏の所領のみの没収と言う事になったので、没収された土地の面積はぐっと減ってしまいました。 その少…
元弘3年(1333年)6月5日、後醍醐天皇は京都に帰ると、スピード感を持って矢継ぎ早に様々な政策を打ち出します。 現・光厳帝を排し、荘園改革に抵抗勢力になりそうな関白・鷹司冬教(ふゆのり)を解任しました。同時に、先帝が公卿たちに与えた官位なども剥奪し…
国衙領(こくがりょう)と荘園 権力者は富を欲し、富者は権力を望みます。 上皇や摂関家をはじめ貴族達は荘園を沢山持っていました。有力者の荘園は税金を免れていましたので、少しでも土地を持っている者達は税金を逃れようと、有力荘園に自分の土地を寄進し…