式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

116 桃山文化10 焼物(1) 歴史

楽、萩、唐津、志野、織部、黄瀬戸・・・桃山の器は茶人の器です。

それまでの焼き物は、古くは祭器、でなければ生活必需品の土鍋や水がめ、穀物入れの甕(かめ)などで、食器は木製でした。庶民は木地のままの椀を、身分の在る役人などは漆塗りの椀を用いました。

家にあれば笥(け)に盛る飯(いい)草枕 

      旅にしあれば椎(しい)の葉に盛る   (万葉集 有間皇子)

これは飛鳥時代有間皇子が謀反の罪で護送されて行く途中で詠んだ歌です。

家にいれば笥(食器)にご飯が盛られて出て来るのに、旅の途中だから椎の葉に盛られて出て来る事よ、と嘆いています。

 

焼き物は地球の恵み

焼き物は地球の恵みです。大地の歴史の賜物(たまもの)です。

昔々、今から500万年から300万年くらい前、東海湖と言う湖がありました。その湖はとてつもなく大きく、伊勢湾や木曽川長良川揖斐川(いびがわ)の三つの流域を呑み込むほどの大きさでした。現在琵琶湖は滋賀県にありますが、東海湖があった頃は、古琵琶湖は奈良県にあり、古琵琶湖の西に隣接して奈良湖という湖もありました。その西隣に瀬戸内海になる以前の海がありました。その海は九州まで達していました。日本列島水浸しの状態でした。

火山が噴火します。隆起や褶曲、断層などで、地球内部のマグマが地表に出てきます。花崗岩質の岩石が風雨に晒され、ひび割れ、真砂土(まさど)になり、川に流され、湖に堆積します。何百万年もかけて堆積した湖底の土は粘土となり、その地層が隆起し、瀬戸、多治見、土岐、常滑(とこなめ)、碧南、四日市のなだらかな丘陵地帯を造りました。これ等の地は日本有数の窯業(ようぎょう)地帯です。伊賀、信楽(しがらき)備前、京都、砥部(とべ)唐津、有田など、皆似たような地球史を持っています。(真砂土については「59  鉄と刀」を参照)

 

陶土

陶土と言うのは、極細粒子の真砂土が水中で植物や動物などの遺骸と一緒になって堆積し、何百万年もの間圧力を受け続けて出来上がったものです。正長石や斜長石、石英や黒雲母、角閃岩、カオリナイトなどなどの石が混ざり合っていて、混ざり具合によって、陶土の性質や色などが違ってきます。

石英や長石やその他の鉱物の元素の組成は、珪素(けいそ)、酸素、カリウム、アルミニウム、カルシウム、鉄、マンガンなどですが、断トツに多いのが酸素と珪素です。あらゆる岩石にこの二つが含まれています。二化ケイ素、化鉄、化アルミニウムなどなど、金属でも何でも酸素は何処にでもくっ付いて酸化しています。カオリナイトに至ってはAl₄Si₄O₁₀(OH)₈という化学式で、酸素が18個も付いています。(酸素Oが10個と水酸基(OH)8でOが8個。合わせて18個)

 

酸化焔と還元焔(かんげんえん)

何故、酸素の話をしたかと申しますと、酸化焔と還元焔に関係が有るからです。

まず初めに、粘土を捏ねて成型し、充分に乾かしてから600℃~800℃の温度で素焼(すやき)をします。素焼きした器に絵付けをして釉薬(ゆうやく)を掛けます。

釉薬をかけた器を改めて窯(かま)の中に入れ、薪を燃やして熱していきます。次第に温度を上げて行く内に、粘土の中の水分が蒸発したり、有機物などが燃えたりして、器が痩せてきます。これを焼き締めと言います。このやり方は空気中の酸素をどんどん取り入れて焼くので、酸化焔による焼成です。

窯の中を一旦高温に上げてから、窯の取り入れ口を塞(ふさ)いで酸素を減らして焼くのが、還元焔の焼成です。

酸素の供給量を減らすと、酸素が不足しますから不完全燃焼が起き、窯の中の温度が下がります。不完全燃焼で発生した一酸化炭素は、陶土の中に含まれている鉱物の酸素を引っ張り出して、その酸素と結びつき、二酸化炭素になります。こうして酸化○○として存在していた金属酸化物から酸素を奪います。金属は酸素を失って、酸化していない元の状態に戻る、これが還元作用です。

 

土器

土を焼き、器を作ると言う作業が始まったのは、縄文時代からです。火焔式土器や縄文土器弥生式土器と言われる物です。

この時代の焼き方は、粘土を捏(こ)ねて成形したものを焚火の中に置き、野焼きして作りました。釉薬を使わず、800℃~900℃位の低い温度で焼きましたので、強度が余り無く、吸水性も大でした。こうして焼かれた土器を土師器(はじき)とか須恵器(すえき)と言います。

土師器と須恵器の違いが何処にあるのかよく分かりませんでしたが、最近、奈良文化財研究所、奈良大学京都国立博物館、工業技術総合センターなどの研究で、その差は使われている土の差だと分かったそうです。田圃の粘土で焼いたものが土師器、山の土で焼いたものが須恵器だそうです。

土器は焚火の中で、周りから酸素たっぷりの空気を貰って焼かれました。酸化焔焼成です。

 

炻器(せっき)

古墳時代の頃、高温で焼き締める製造法が朝鮮から伝わりました。これを炻器と言います。

炻器は、それまで野焼きしていたものを、炎の熱が周りの空間に逃げない様に、地下に穴を掘り、或いは半地下にして窖窯(あながま)を造り、その中に器を入れて焼きました。

炻器は土を1100℃~1250℃の温度で長時間焼成します。(ものによっては1200℃~1300℃で焼くものも有るようです)。鉄分を多く含み、大体が茶褐色か黒っぽくなります。美濃の黄土を使った乳白色の炻器も有ります。

炻器は陶器と磁器の中間で、吸水性が少なく、耐熱性があり、丈夫です。釉薬を掛けるものも有りますが、基本は釉薬を掛けません。

常滑(とこなめやき)の茶色い急須とか狸の置物、オーブンに入れて焼いても大丈夫なグラタン皿とか土鍋、タイルなどが炻器です。

 

陶器

陶器は、瀬戸の産地で焼かれたもの以外でも、特に気にする事なく普通名詞的に「瀬戸物」と言っています。それ程瀬戸焼の陶器は普及しています。また、器を作っている材質の区分から「土もの」とも言っています。これに対して磁器は「石もの」と言っています。

「土もの」も「石もの」も、両方とも粘土で作られています。

「土もの」は泥の割合が多く、混ざっている成分によって赤っぽかったり黒っぽかったりと、泥に色味がついています。面白い事に、赤っぽい土が焼きあがると赤い器になるかというとそうでも無く、意外と黒く焼きあがったりします。粘土の中に含まれている鉄分などの成分によって、また、焼成温度によって色が変わってきます。陶器は1200℃以上で焼きます。

陶器の代表的な焼き物に、益子焼萩焼美濃焼などがあります。

 

磁器

「石もの」は泥よりも長石と珪石の割合が多く、その分「石もの」の粘土は白っぽいです。

粘土の中身の違いから焼く時の温度も違ってきます。

磁器は1350℃以上で焼きます。

磁器を焼く時高温にするのは、長石や珪石が熱で溶けだして、ガラス化する事を狙っての事です。ガラス化すると、溶けだしたガラスが土の粒子の隙間を埋めるので、器の中がガラス化します。従って、磁器を光にかざすと、光が透けて見えます。また、指で弾(はじ)くと、ハンドベルの様な澄んだ音がします。

「土もの」の陶器は、光にかざしても光を通しません。指で弾いてみると、鈍い音がします。

磁器の代表的な焼き物は有田焼です。有田には泉山と言う流紋岩(火山岩)で出来た山があります。流紋岩は二酸化ケイ素が70%含まれており、長い間の温泉の作用を受けて白くなっていました。有田ではこの石を粉砕して陶土(磁器用土)を作り、磁器を焼いていました。今では泉山を掘り尽くして、土を天草から取り寄せています。

磁器の代表的な焼き物は、伊万里(有田焼)、九谷焼砥部焼(とべやき)などです。

 

日本六古窯(にほんろくこよう)

古墳時代の頃からすでに焼き物を作っていた所を、日本六古窯と言います。

六古窯は下記の六ケ所です。

越前

須恵器を焼いていました。常滑焼の技術を取り入れ、高温焼成で焼き締め、甕(かめ)や擂鉢(すりばち)などを生産。室町時代には北陸地方最大の焼き物の産地となります。

丹波

平安から鎌倉時代に興った焼き物の産地です。甕や擂鉢などを作っていました。後に小堀遠州の指導を受け茶器や茶碗なども作りました。(小野原焼、丹波焼立杭焼(たちくいやき))

瀬戸

奈良時代から平安時代に壺や皿などと共に瓦を焼く様になります。城の建設などで瓦の生産も盛んでした。古代・幻の東海湖に立地し、周辺一帯の窯業(ようぎょう)の中心的存在です。

常滑(とこなめ)

愛知県にあった猿投窯(さなげかま)は一つでは無く1000基もの窯の集団地区の事を指し、古墳時代から続いていました。それを母体にして常滑窯が有ります。

信楽

滋賀県甲賀市信楽鎌倉時代常滑焼の技術が伝わりました。壺、擂鉢、甕、茶壷、酒器などを生産。徳川将軍家献上のお茶壺道中の壺は、信楽焼です。

備前

古墳時代からの須恵器窯跡が点在しています。鎌倉時代初期に還元焔による焼締が行われ、同時代後期になると酸化焔による焼締が始まり今日に至っています。水甕や擂鉢を生産。室町時代から茶の湯の流行と共に、備前焼の茶碗の人気が出てきました。備前焼釉薬をかけません。

 

 

参考までに

焼き物は地球の恵みの項で、(真砂土については「59 鉄と刀」を参照) と申し上げましたが、次の様にクリックすればその項へたどり着けます。

サブタイトルの通し番号の下に(この場合は116)、小さな四角い薄青色の枠「茶の湯」をクリックして頂くと、全ての目次が出てきます。そこからお望みの項へ移る事が出来ます。(薄青色の枠「茶の湯」は見落とし易いほど小さいです。)