式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

115 桃山文化9 漆工芸

漆器

漆器と言うと思い浮かぶのは、漆塗りのお椀ではないでしょうか。お箸やお盆、茶托や重箱など、日本人にとってはとても馴染みのある工芸品です。

漆は英語でJapanと言います。古代から日本人は漆を生活の中に取り入れて来ました。福井県若狭町の鳥浜貝塚から12,000年前のウルシが出土しました。縄文時代の遺跡から漆で接着した矢じりが見つかっています。

 

ウルシ

ウルシの仲間は60属600種もあるそうです。インドから東南及び東アジア一帯に分布しています。同じウルシと呼ばれる木であっても、木の種類によって樹液の成分が異なります。中でも日本産のウルシは、樹液の中に含まれているウルシオールと言う成分が一番濃く上質ですが、残念ながら現在、日本で生産されているウルシは数を減らし、絶滅に近い状態だそうです。今目にしている漆器は中国産の漆が使われておりす。

日本のウルシは、ウルシオールの濃度が高いだけあって、空気中の酸素と反応して網目構造の巨大な高分子を作るそうです。その状態で固まりますから、熱や湿気、酸やアルカリに強く、王水という金や白金まで溶かしてしまう強烈な酸に対しても耐性があるそうです。油にもアルコールにも強く、腐敗防止、防虫効果があり、防水や接着に優れ、しかも美しいときています。このように良い事尽くめの漆ですが、唯一の欠点は紫外線に弱いと言う事です。

貴重な日本産の漆は市中に出回る事は無く、国宝級の文化財の修復の為にだけ使われているのだとか。

 

金閣寺のエピソード

1950年(昭和25年)7月2日、放火により金閣寺が全焼した事件がありました。復元再建を望む声に、明治の解体修理の時に記録された図面や写真などを基にして、1952年(昭和27年)から再建に着手、3年後に落慶に至りました。ところがその30年後には、金箔が剥がれ落ち、下地に塗られた漆も劣化、漆黒の漆が白色化し、酷い状態になりました。

原因は下地に塗られた漆が外国産だった事と、金箔が薄かった事にありました。金箔が薄くて紫外線を通して下地の漆が劣化、ウルシの接着能力が落ちて金箔が剥がれた、と言う訳です。

1986年(昭和61年)、再度の「昭和大修理」が始まりました。この時に使われた金箔は従来よりも5倍の厚みのある金箔です。5倍箔の金箔をしっかりと接着保持できる漆は外国産の物では無く、色々研究した結果、日本産の、しかも岩手県にある浄法寺漆のみ、ということが分かりました。昭和60年の大修理は、この5倍箔の金箔・総重量20㎏を使い、1.5tの浄法寺漆を使って、今ある金閣寺の姿になっております。

 

建築と漆

 一本のウルシの木から一回に採れる樹液は耳かき一杯、一年で200gほどだそうです。それ程貴重な漆を、桃山時代はふんだんに使いました。それと言うのも、漆は米の年貢と同じ扱いで、ウルシの作付けも、木の管理も藩の命令で行われていた、という背景があったようです。お椀や棗、工芸品に使うばかりでなく、建築の装飾と塗装などにも使われました。

国宝の桃山三唐門と言われる「豊国神社唐門」「西本願寺唐門」「大徳寺唐門」の三門に加えて、二条城の唐門などは、観光や映像などでよく目にする事と思います。烏城と呼ばれる岡山城熊本城、松本城などは外壁に黒漆を塗っております。

秀吉の正室・寧々が晩年暮らした高台寺霊屋(おたまや)には、桃山時代の素晴らしい蒔絵が施されています。それにあやかって、お茶で使う棗にも高台寺と称される絵柄があり、それには必ず菊紋と桐紋が描かれています。

 

漆芸(しつげい)

 御殿建築に見られる豪華さは什器類にも及び、一層美しく漆で加飾される様になりました。伝統的な祥瑞(しょんずい)模様や、古歌に題材を取った蒔絵などの外に、葡萄(ぶどう)や茄子(なす)南蛮人などこれまで絵の題材とされなかった新しい意匠が登場しました。

 

塗る相手の材料別の名前

〇 に漆を塗ったものを木胎(もくたい)と言います。お椀などがこれです。

〇 竹細工に漆を塗ったものを藍胎(らんたい)と言います。

〇 陶器に漆を塗ったものを陶胎(とうたい)と言います。大名物の茶入れ「九十九茄子髪(つくもなすかみ)本能寺の変で焼損してしまい、その破片を集めて漆で継ぎ、色漆を塗って昔の姿に戻したと言われています。これなどは陶胎と言って良いと思います。(参照:106  信長、茶の湯御政道)

〇 に漆を塗ったものを金胎(きんたい)と言います。鉄と漆は仲が悪く上手く塗れません。そこで熱を加えて漆を焼き付けます。(よろい)小札(こざね)の鉄の部分に黒漆を焼きつけたり(黒甲冑)、建物の金具に、事前に焼付漆を施し、その上から金箔を貼って錆止めと美観を増す様にしたりしました。

〇 木や粘土の型に和紙を何枚も張り、その上から漆を塗って、乾いたら型を外して作る方法と、竹などで形を作り和紙を張って漆を塗って作る方法があります。これを紙胎(したい)と言います。高山祭の山車の屋根は紙胎で出来ています。ですから、少しでも雨が降ると山車の巡行は中止になります。棗の一閑張りも紙胎です。

 

漆の加飾の仕方

漆塗   

漆を塗った面に、色漆で絵を描く様に筆で描きます。

平蒔絵(ひらまきえ)

① 塗面に漆で文様を描き、② 漆が乾かない内に金粉や銀粉を蒔き、③ 漆を乾燥させて固着させ、④ その後、固着していない余分な金・銀の粉を筆で払って除き、⑤ 粉が払われて出て来た絵を更に磨いて仕上げます。

研出蒔絵(とぎだしまきえ)

平蒔絵の①~④までの工程は同じです。 ⑤ 金・銀の粉が払われて出て来た絵の上に、更に漆を塗って覆い隠します。⑥ 覆い隠した漆が乾いたら、⑦ 炭で擦(こす)って下に隠れた絵を研(と)ぎ出します。

高蒔絵(たかまきえ)

漆を高く盛り上げたり、炭の粉や錆の粉などを混ぜて使って文様に高さをつけたりして、金銀の粉を蒔きます。漆が乾いたら平蒔絵の④と⑤の工程に入って仕上げます。

沈金(ちんきん)

乾いた漆面に、① 刃物で傷をつけながら文様を彫り、② 彫った溝に漆を擦り込みます。③ 溝からはみ出た漆をふき取り、④ 溝内の漆が乾かない内に金箔や金粉・銀粉を埋め、⑤ 漆が乾いてから余分な箔や粉を払い落します。

螺鈿(らでん)

アワビ、夜光貝、白蝶貝、黒蝶貝などから真珠層を切り出した素材を使います。素材が厚いか薄いかで作り方が少し違います。厚い場合は、① 文様の形を、これから作ろうと思う器などの塗面に彫り、② それと同じ形に貝を切り出し、③ 切り出した②を①に埋め込み、④固着させてから、⑤ 更に上から漆を塗って覆い隠します。⑥ 漆が乾いてから覆っていた漆を炭で研ぎ出します。

素材が薄い場合は、① 素材を文様の形に切った後、上記厚切りの④⑤⑥の手順に移ります。

 平文(ひょうもん)

貝の代わりに金や銀などの金属の板を使います。螺鈿の厚切りの工程と同じです。

卵殻(らんかく)

素材は鶉(うずら)の卵や鶏の卵を細かく砕いたものです。細かく砕いた破片を、思い描く文様に合わせて貼り付けて行きます。作り方は研ぎ出し蒔絵と同じです。

堆朱(ついしゅ)堆黒(ついこく)

堆朱は朱漆を塗っては乾かし、塗っては乾かしと100回以上塗り重ねて厚みを出し(これだけ塗ってもたった3㎜程度の厚みしか出来ません)、それを彫って作ります。朱漆で作るのが堆朱、黒漆で作るのが堆黒です。

彫漆(ちょうしつ)

堆朱・堆黒も含めて、塗り重ねた漆を彫って作る方法を全て彫漆と呼びます。堆朱・堆黒は一色で行いますが、何色かの色漆を重ねて層を作り、後から彫ると、彫った断面に色の重なりが見えて、他には見られない面白さが出てきます。

 

 

余談  式正織部流の道具類

式正織部流の茶の湯で使用するお道具類で木製の物は、全て漆塗りです。

山家(やまが)の侘びた風情を醸(かも)し出す為に、木そのものの材を使って炉縁にする事があります。が、式正織部流ではそれがありません。全て漆塗りを用います。

炉縁に限らず棚や台子(だいす)というお道具類も素地の物は使わず、必ず漆塗りのものを使います。螺鈿の台子や朱塗りを使う時もあります。

式正織部流は書院で茶を点てるのを旨としています。書院でお茶を点てるのに、草庵の侘びた佇(たたず)まいを演出すれば、雰囲気がチグハグになってしまいます。炉が切られていない書院で茶を点てる・・・その場合は風炉を持ち込んで茶を点てます。風炉は「どこでもドアー」ならぬ「どこでも茶室」のアイテムです。その場合、冬でも風炉でお茶を点てます。

茶道では、冬は炉、夏は風炉を使うと決められています。何故なら、炉に炭を熾(おこ)すと、部屋全体が温もり、寒さが和らぎます。夏に風炉で火を使うと、それ程部屋に熱がこもらなくて涼しく感じられます。相手を思いやり、季節感を大切にするお茶ならではの決まり事です。

昔、江戸城で毎年正月に茶事が行われていました。将軍や御三家、大大名達が出席の下、「六天目点て」をしておりました。六つの天目茶碗を用いて点てる、とても格式の高いお点前です。その時には冬にも拘(かか)わらず風炉点てで行っておりました。

 大徳寺塔頭(たっちゅう)孤蓬庵(こほうあん)に、「忘筌(ぼうせん)と言う茶室が有ります。小堀遠州が建て、松平不昧が再建した書院で、書院造の中にも炉が切られており、草庵風の工夫がされております。そういう書院ばかりなら良いのですが、お城や御殿の書院では炉が切られていない部屋も多く、そこで活躍するのが「どこでも茶室」になる風炉のアイテムでした。

 

余談  炉と風炉

お茶の世界で炉と言うのは、ちいさな囲炉裏の事を言います。畳床に1尺4寸(約42.5cm) 四方の穴を開け、そこに囲炉裏を作ります。

風炉とは、火鉢の様なものです。持ち運びができます。

風炉の形には色々なものが有ります。

道安風炉、紅鉢風炉(べにばちぶろ)風炉(まゆぶろ)朝鮮風炉、鬼面風炉などです。

式正織部流では炉点ても風炉点ても有りますが、風炉を使う時は、主に唐銅(からがね)製の鬼面風炉を使います。

 

余談  ウルシの植樹

今、日本産ウルシの復活を目指して、NPO法人などが旗振りをして、ウルシ植樹運動を展開しています。

 

 

参考までに

何時もご愛読ありがとうございます。

陶胎の所で、「九十九茄子髪」について(参照:106  信長、茶の湯御政道)と申し上げましたが、次の様にクリックすればその項へたどり着けます。

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