式正織部流「茶の湯」の世界

式正織部流は古田織部が創始した武家茶を伝えている流派で、千葉県の無形文化財に指定されています。「侘茶」とは一味違う当流の「茶の湯」を、武家茶が生まれた歴史的背景を中心軸に据えて取り上げます。式正織部流では「清潔第一」を旨とし、茶碗は必ず茶碗台に載せ、一人一碗をもってお客様を遇し、礼を尽くします。回し飲みは絶対にしません。

23 お山の大将 いじめの構図

昔、昔と言ってもそう遠くない昔、婆が子供のころ色々な遊びがありました。

ごっこ、ままごと、缶蹴り、馬跳び、だるまさんが転んだ、おはじき、8の字・・・・そんな中に「お山の大将」という極めて危険で乱暴な遊びがありました。

建設残土を積み上げた小さな土饅頭型の「丘」を目指して、先陣争いをする遊びです。その時、口々に叫ぶのが「お山の大将我一人、後から来るもの突き落とせ!」と。子供達は一斉に丘に取り付き、口々に叫びながら仲間内で争い、頂上に着けば、本当に腕力をもって後続の子供達を突き落とすのです。擦り傷、切り傷、打撲は当たり前、服の汚れも破れも当たり前の遊びです。お山の大将をはじめ腕力中心のその様な遊びを通して、自ずとガキ大将が決まり、子供達の序列が決まって行きました。

婆も幼い時お転婆でしたから、結構「お山の大将」をやりました。小さかったので婆は味噌っかす扱いされました。でも、味噌っかすなりに本気でぶつかって行きました。いつも負けましたけど・・・時にはいい線いっていたのですよ。「丘」の八合目ぐらいまでは行ったことがあります。夫に聞いたら、そんな遊びは知らない、と言っていました。夫とは同じ学区域で同じ学年なのに、今初めて聞く様な顔をしておりました。婆は小さい時に余程の悪ガキグループの仲間だったようです。

で、何故そのような話を持ち出したのか、と言いますと、武士は蛮族と言った手前、武家茶の主役である武士の歴史に手を着けなければ、と考えた時、彼等の動きが、正に「お山の大将」とそっくりだと気付いたからです。

今でもありますね。政界はじめ会社組織など、人が集まると「お山の大将」遊びを始めます。誰が一番偉いのか、誰が主導権を握るのかと、ざわめき始めます。人の上に立った積りの幻想の足場にふんぞり返って、他人を支配している気分に溺れる人を多く見かけます。

いじめもパワハラもお山の大将遊びと同じです。

いじめる方は優越感と快感に酔いしれ、遊びの積り。いじめられる方は自分の生存と尊厳をかけて必死。でも、一歩その場から離れてその光景を外から眺めてみますと、何とまぁ、いじめっ子の無様で哀れな事か!! サル山のサルより劣って見えます。

動物に生まれたヒトを、理性と情緒を育んで人間に生まれ変わらせるのが教育。躾もヒトから社会生活を営む人間への脱却のメソッド。但し、躾も過ぎれば調教に成り下がり、ヒトを動物扱いしているのと同じ事。と言う事は調教する側も動物脳。そこから抜け出すには・・・・

さて、この話、この辺りで止めないと、どんどん脱線して行きそうです。

脱線する前に、軌道修正します。

武士の登頂争いは血塗られた歴史です。その歴史の先に戦国時代があり、古田織部の生きた時代があります。ウニが生きていた海があります。

海は広く大きく・・・・深いです。