2020-01-01から1年間の記事一覧
栄西禅師が九州でお茶の栽培をしているという話が、京都の栂尾(とがのお)に住んでいた明恵(みょうえ)上人に聞こえました。 因みに、明恵上人は密教を修めた華厳宗の僧侶です。法諱は高弁と言います。 己に厳しい人で、インドに憧れ渡航を試みるも二度挫折し…
栄西は帰国後、宋で修めた臨済禅を布教しようとしたのですが、新しい宗教は受け入れてもらえず、比叡山から激しい排斥を受けてしまいます。それのみか、布教禁止の宣下が出されてしまいます。彼は京都での布教を諦め、鎌倉で布教しようと鎌倉へ下向します。 …
栄西は中国での禅の修行を終え、日本に帰国しました。その時、お茶の種を持ち帰り、九州の背振山(せふりやま)にある霊仙寺(りょうせんじ)の石上坊に、お茶の種を蒔きました。 背振山山系は福岡県と佐賀県の県境にある山系で、最高峰は背振山(1055m)です。 …
タンニン 湯温が80°を越えるとタンニンの浸出が増えます。 タンニンはカテキンが変化したものです。タンニンもポリフェノールの一種です。ワインなどにも含まれており、ワインの中に微かに感じられる渋味も、タンニンに因ります。タンニンは鉄などと強く結合…
茶葉は大変栄養価の高いものです。 茶杓一勺半の抹茶が、ほうれん草のお浸し一人前小鉢一つに相当する位に、抹茶には栄養がギュッと詰っています。例えば、カロテンはほうれん草(茹)の7倍、ビタミンCは3倍、Eは約10倍、マグネシウムは約3倍、鉄は8.5倍と言う…
中国では喫茶の風習はかなり昔からありました。 約3世紀の半ばに、魏の張揖(ちょうゆう)と言う人が『広雅(こうが)』という書の中に、湖北省から四川省にかけた地方でお茶を飲んでいる、と書いているそうです。その飲用の仕方も具体的に書かれていて、それに…
栄西はインドへの憧れを抑えがたく、1187年に再び南宋を目指して海を渡りました。 矢張りお釈迦様が悟りを開いた土地に行き、座禅の原点に立ち返って修行をしたいと思ったのでしょうか。彼は南宋に着くと、早速インド行の願いを出します。ところが、陸路西に…
栄西(1141~1215年)は天台宗・真言宗・臨済宗を修めた高僧で、建仁寺の開山です。彼は南宋へ二度渡りました。 一度目は1168年です。そこで丁度在宋していた重源(ちょうげん)に出会いました。二人は共に天台山へ登り、廬山、阿育王山を巡りました。 天台山は…
ベトナムやアフガニスタンやイラクで戦ったアメリカ軍の兵士の中には、今でも戦場のトラウマに苦しめられている人が多いそうです。 彼等は厳しい訓練を積み、人を殺す術を身に着けて戦場に行きました。その後、それを許さない自身の内にある人間的な魂の叫び…
武家茶、武家茶と言うけれど、そもそも武士って一体何なのだ? 一言で言えば、武士は蛮族です。 「侍」ってカッコいいです。それだからでしょうか。「侍ジャパン」「サムライ○○」など、侍を冠した言葉が巷に溢れています。 己を磨くストイックな姿。死地をも…
古田織部は武人。武士の挨拶の仕草をそのまま茶席に持ち込みました。 拳骨は次の様にして作ります。 先ず親指を折り、それから他の四指(人差し指・中指・薬指・小指)を折って、親指を内側に隠します。親指は外に出しません。 何故? 親指を切り落とされてし…
式正織部流茶のご挨拶は拳骨でします。 拳骨を畳に着けてご挨拶するのは、手の平を汚さない為です。 前回(2020.4.14)にアップした記事「ご挨拶は拳骨で」では、手の平を畳に着けて平伏するのは危険だから、と言っていたのに「手を汚さない為だ」と前言を翻す…
何時だったかずっと前、お茶を習い始めた頃の事です。 お茶会会場の玄関で、お客様のお履物を揃えていた時に、こんな事がありました。 私達の茶会にお出でになった或る方が 「拳骨の挨拶なんて全く礼儀知らずだわ」 と、帰りしなの玄関で仰っておりました。 …
古田織部はウニのようです。 海に住んでいるウニによく似ています。 いえ、彼の面相がウニに似ていると言っているのではありません。ウニの様にあらゆる方向に針が向いていて、一方向からだけではとても捉えきれないのです。 針の一つに茶の湯があります。針…
初めまして。古田瑞陽と申します。 齢60を過ぎてから式正織部流の茶の湯を習い始めたお婆ちゃんです。 どうぞよろしくお願いいたします。 老いると体の不具合が色々出てきて、先の短さに焦りを覚えます。 2019年の春、病を得、食べ物制限をお医者様から告げ…